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日本史 高校生

a,bにはいる語句を教えてください!

① 高度経済成長について,空欄(a)~(d)に適する語句を答えなさい。 【プリント (第3回) : 5~6 文章資料 ③: 4~5】 1960年代を通じて日本経済は順調に発展した。(a)景気のあと, 池田内閣の高度経済成長政策のなかで, 195 9~61(昭和 34~36)年には岩戸景気とよばれる大型景気が続き, 佐藤内閣の 1966~70(昭和41~45)年にはいざなぎ 景気とよばれる空前の好景気が続いた。日本経済は1955~73(昭和30~48) 年の20年近くのあいだ、経済成長率が 年平均 10%をこえる高度成長を続けたのである。 こうして1968(昭和43)年には,日本の国民総生産(GNP)は自 由主義国第2位の規模となった。 高度成長期に,鉄鋼・機械・化学などの分野で(b)がすすみ, 設備もあたらしくなり, 石油化学や合成繊維 などの新部門も発達した。 この過程で農林水産業などに対して鉱工業や各種製造業, サービス業などの地位が高ま り,産業構造の高度化がいちだんとすすんだ。 1961(昭和36)年、農業基本法が制定された。これにより農業を合理 化して生産性を高めたり, 農家の収入をふやすなど, 農業の近代化がすすめられた。 生産の急速な増大をうけ、円安という有利な条件もあって輸出は急速に拡大した。 鉄鋼・船舶・自動車などの輸 出はとくにふえ,1960年代後半から貿易収支は毎年大はばな黒字となり, 国内市場も活気づいた。この間, 1964 年に(c)に加盟して, (d)の自由化をおこなった。

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日本史 高校生

調べてもわからないので、教えて下さい。 よろしくお願いいたします🤲

4 {O品人J) < :3(5)す 思考 1950年代の日本について, 資料Iは, 製造業事業所数の推移,資料IⅡは,1955年の最 大需要電力と電力の供給能力を示しています。 問1 資料I 資料I 事業所数 年代 (万) じゅよう 最大需要電力 9331 (kW) |1950年 |1955年 (経済産業省資料) けて,「工業」と「需要」と「供給」の語句を使って書きなさい。 15.6 このころ,大規模な水力発電用のダムが建設さ れるようになった背景を,資料I.Ⅱを関連づ 供給能力 18.7 9168(kW) (「数字でみる日本 の100年」第6版 問2 思考 レポートは,日本がA国に対して レポート 古(行ったプロジェクトをまとめたものの一部 1970年代末より,日本は, A国に専門 家を派遣し、土壌改良や品種選定など、 農業技術の開発を行った。試験的な事業 地を選び,農地やかんがい設備を整備し, 農家への資金の低利貸し付けも行った。 どじょう です。資料Iは,A国における大豆の生産 量の推移,資料IⅣは,日本における大豆の 輸入相手国の推移を示しています。レポー トのプロジェクトの目的として考えられる ことを,資料IVからJま公撮資料I H 資料IV 問 その他 3.2 年代 生産量(万t) 輸入量 読み取れる課題にふ A国 1.6 B国 95.2% 1974年 750 1977年 360万t れ,「B国」と 「A 9630 2016年 国」の語句を使って 書きなさい。 2017年 73.0% |16.2|10.8 322万t 資料Ⅲは2018/19年版「世界国 勢図会」ほか, 資料IⅣは2018/ \19年版「日本国勢図会」 ほか 0 50 100% 溶料V 日本の男性と女性の平均寿命と健康寿命

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日本史 高校生

高2 日本史 鎌倉時代 明日のテストの対策プリントです 答えを配布してくれなかったので、解答を教えてください!!!! 大門1だけとか、少しでも助かります😭

く鎌倉時代プレテスト> 1ほに 「次の文章を読んて, ( 1 )~( 15 )に適当な語句を下の語群から記号で選び、あとの問いにも答えなさい。 平清盛が後白河法皇を幽閉し,1180年に孫の( 1 )天皇を位につけると, 地方の武士団や中央の貴族·大寺院の中には, 平氏の専制政治に 対する不満がうずまき始めた。この情勢をみた後白河法皇の皇子( 2 )と,畿内に基盤をもつ源氏の( 3 )は,平氏打倒の兵をあげ,挙兵を呼 びかける(2 )の命令が諸国の武士に伝えられた。 これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ちあがり,つづいて伊豆に流されていた源頼朝や信濃の木曽谷にいた(4 )をはじ め,各地の武士団が挙兵して,ついに内乱は全国的に広がり, 5年にわたって争乱が続いた。 平氏は当初,都を( 5 )に移した。( 5 )は近くに良港( 6 )があり, 瀬戸内海支配のための平氏の拠点であったが,この遷都には大寺院や貴 族たちが反対したため,約半年間でまた京都に戻し,平氏は機内を中心とする支配を固めてこれらの動きに対応した。しかし,清盛の突然の死 や,畿内西国を中心とする( 7 )の飢僅などで平氏の基盤は弱体化し, I183年,北陸で( 4 )に敗北すると,平氏は( 1 )天皇を奉じて西国 に都落ちした。その( 4 )を,院と結んだ源頼朝は弟の( 8 ) 義経らの軍を派遣して減ぼすと,さらに平氏と戦い,摂津の( 9 ),讃岐の( 10 ) の合戦を経て,ついに1185年に( 11 )の壇の浦で平氏を滅亡させた。 その後,頼朝は逃亡した義経をかくまったとして奥州藤原氏を滅ぼすと,I190年には上洛して( 12 )となり, I192年,後白河法皇の死後に は,征夷大将軍に任ぜられた。こうして鎌倉幕府が成立してから滅亡するまでの時代を鎌倉時代と呼んでいる。 幕府の支配機構は,簡素で実務的なものであった。鎌倉には中央機関として,御家人を組織し統制する( 13 ),一般政務や財政事務をつかさ どる( 14 )(初めは②公文所), ③裁判事務を担当する( 15 )などがおかれ,京都からまねいた下級貴族を主とする側近たちが将軍頼朝を補 佐した。 地方には@守護と地頭がおかれた。守護は原則として各国に一人ずつ, 主として東国出身の有力御家人が任命されて,⑤大犯三カ条などの 職務を任とし,国内の御家人を指揮して平時には治安の維持と警察権の行使に当たり,戦時には国内の武士を統率した。また在庁官人を支配 し,とくに東国では国街の行政事務を引き継いで, 地方行政官としての役割も果たした。 地頭は御家人の中から任命され,任務は年貢の徴収·納人と土地の管理および治安維持であった。それまでの下司などの荘官の多くは,新た に頼朝から任命を受けた地頭となり, 広く御家人たちの権利が保障された。 《語群》 ア,源範頼 イ,源頼政 ウ, 源頼家 エ,源義仲 オ,以仁王 カ,護良親王 キ, 高倉天皇 ク,安徳 ケ,右近衛大将 コ,太政大臣 サ,平城京 シ, 福原京 ス,養和 セ,天明 ソ,富士川川 タ,長門 チ,屋島 ツ,ーの谷 テ,問注所 ト, 政所 ナ,京都守護 ニ,侍所 ヌ,大輪田泊 ネ,大宰府 問1 下線部のの公文所の初代長官(別当)となった人物名を答えなさい。 問2 下線部3の裁判事務を担当する初代長官(執事)となった人物名を答えなさい。 問3 下線部のの守護·地頭が設置された年代を,次の中から選び記号で答えなさい。 ア,I180年 イ, 1183年 ウ, I185年 エ,1188年 問4 下線部のの大犯三カ条としてあてはまるものを,次の中からすべて選び記号で答えなさい。 ア,諸国の御家人に天皇·院の御所を警護させる京都大番役の催促 イ,大宰府の監督 ウ,謀反人·殺害人の逮捕 エ,六波羅探題で,西国の御家人の統轄 2 次の文章の(1)~(10)の下線部分は,すべて誤っている。正しい語句を下の語群から記号で選び,( A )~( E )には適当な人名·語句を書 き入れ,あとの問いにも答えなさい。 幕府政治はすぐれた指導者である源頼朝が将軍独裁の体制で運営していたが,頼朝の死後,若い( A )と(1)義朝の時代になると,御家人中 心の政治を求める動きが強まった。それとともに有力な御家人のあいだで政治の主導権をめぐる激しい争いが続き, 多くの御家人が滅んでいっ た。その中で勢力をのばしてきたのが,伊豆の在庁官人出身の北条氏である。 1203年,頼朝の妻北条(2)時子の父である( B )は,将軍の( A )を廃し,弟の(1)を立てて幕府の実権を握った。この( B )の地位は執権と 呼ばれて,子の義時に継承されたが,さらに義時は,侍所の長官であった(3)大江広元を滅ぼし,政所と侍所の別当を兼ねてその地位を固めた。 これ以後,執権は北条氏一族のあいだで世襲されるようになっていった。 京都の朝廷では, 幕府の成立と勢力の拡大に直面して,これまでの朝廷の政治の立直しがおこなわれた。その中心にあったのが後鳥羽上皇で ある。上皇は,分散していた広大な皇室領の荘園を手中におさめるとともに,新たに(4)滝口の武士をおいて軍事カの増強をはかるなど院政を 強化し,幕府と対決して朝廷の勢力を挽回する動きを強めた。 その中で1219年,上皇との連携をはかっていた将軍(1)が( A )の遺児(5)千幡に暗殺される事件がおきると,これをきっかけに,朝幕関係が 不安定になり,上皇は,畿内·西国の武士や大寺院の僧兵,さらに北条氏の勢力増大に反発する東国武士の一部をも味方に引き入れて,ついに の北条義時追討の兵をあげた。 しかし,上皇側の期待に反して,東国武士の大多数は源頼朝の妻の呼びかけに応じて結集し,戦いにのぞんだ。幕府は,義時の子(6)為朝,弟 の時房らの率いる軍を送り京都を攻めた結果,1カ月ののち,戦いは幕府の圧倒的な勝利に終わり,の3上皇を配流した。これが( C )である。 乱後,幕府は皇位の継承に介入するとともに,京都には新たに( D )をおいて,朝廷を監視し,京都の内外の警備,および西国の統轄に当たら

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日本史 高校生

このプリントが分かりません。 教えて欲しいです!お願いします!

~英雄たちの選択~ どうする慰様 ? / 「抵抗」 か? 「従う」か? くねらい> 明治維新期の「中央集権化」を学んだうえで、版籍奉還から廃藩置県に至る『天皇中心の集権化』構築が本当に 「正しかった」といえるかを主体的に考え、 様々な事実やデータをもとに判断して自身の意見を表現できるか。 <活動の手順> 以下、あなたが「大名」の立場であったとして、自分であったらどのような選択をするかを、自由に書いてく ださい。書き写すだけでも終われますが、この課題では「独自性」を評価に盛り込みますので注意! 0 まずは、そもそも明治新政府が「集権化」 として何をしようとしていたかを知る必要があります。 代表的な 政策である「版籍奉還」と 「廃藩置県」の内容とその目的をメモ書きしましょう (複数書きだすと good) 「版籍奉還」薩摩·長州·土佐·肥前の4藩主代「廃藩置県」中央集権の徹底をはかるため、 藤長エ引 (内容·目的)領也 (M版)と領風(籍)を朝進付 (内容· 目的)毒の兵さを東京に裏めて新会とする 返上する。 2 Oの内容を踏まえ、「抵抗」 「従う」のそれぞれを選択した場合の「メリット (起こりうる良い点)」と「デメ リット(起こりうる悪い点)」を考え、それぞれ書き出しましょう。 <メリット> 「抵抗」 「従う」 <メリット> くデメリット> <デメリット> 3 上記を踏まえ、 あなたが「大名」であった時、 集権化政策について「抵抗」 「従う」のどちらを選択しますか? 「選択」 私は「 を選択する 「理由」 活動後、実際に調査をしてみての感想(実感したこと学んだことなど)を記載してください。 く感想>

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