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漢文 高校生

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入る語の名 (私(=荘園)は鮒のいひし 明日 H 一の千の金さらに益なしとぞいひける。 Ⅱ後 は、生くべからず。 A Ⅰ 今日前 Ⅰ 今日 ウ Ⅱ前 Ⅰ 明日 Ⅱ 今日 オ Ⅰ 昨日 Ⅱ 今日 カ Ⅰ 昨日 Ⅱ 明日 子 2荘 書き下し文・口語訳 家の説く人為的な道名 のままに育てる [Ⅰ] と一体となって、 I に生きることを理想とする。 トシテ シテ 鮒魚念然色 ふぎよふんぜん (順接 ラン 水面迎子、可乎。」 子を迎へん、可ならんか」と。 せきとめて勢いを増させて押し流して あなたを迎えよう、それでよいか」と 魚然として色を作して曰はく、「君は すると)がむっと顔色を変えて言うことには、「私は シテ キン セル ~ 『吾 きのふルトキ ニシテ 荘周忿 作色 「周作来 有中道 うきのふきた ちゅうだう わ じゅうようしな われるところな として色を作して曰はく、「周昨来るとき、中道にして がっと色 とは、「私が昨日ここへ来るとき、道の途中で こっちしないの 魚 5我目~回 失我常与、我無所処。吾得三斗升之水然活 斗の水を得れば然して活きん 我が常与を失ひ、我処る所無し。 今なく はならない水を失っている場所がありません。 私はただわずかな水さえ得られたら生きられる 場所 〈順接> プ レバしや てつ ぎょ 〈強意 ヒテニ ク メンニハ 而呼者。周顧視、車轍中有三鮒魚爲周問之~ 耳。君乃 曽不如早 しうこ し 我於枯魚之 しやてつもゆう ふぎよあ 呼ぶ有り。 周顧視すれば、車轍中に鮒魚有り。 しうこれと きみすなはこれ すなは はや われこぎよ 周之に問ひて 私を呼び止める者がいた。私がふり向いて見ると、車輪が過ぎた後のくぼみにがいた。 私がこれにたずねて <疑問> <ヘテ ハク 「 しニ 肆。』」 曽ち早く我を枯魚の肆に索めんには のみ。君乃ち此を言ふ。 のです。しかしあなたはこのように言う。いっそさっさと (干物になった) 私を乾物屋で探し求める方が 如かず』と。」 「よいでしょう」と。」 魚は 日、「鮮魚来、子何為者邪」対日、『我東海 曰はく、「魚来れ、子は何為る者ぞや」と。 対べて曰はく、「我は東海 答えて言うことには、「私は東海 言うことには、「あなたは何者か」と <推測 語句解説 <順接> カサン 之波臣也。君豈有斗升之水面活我哉 読 ぜん きみあ としよう みづ の波臣なり。 君豈に斗升の水有りて我を活かさんか」と。 〈形容の言葉・様子や 状態を表す 海神の家来です。あなたは(もしかして) わずかな水 っていて私を生かしてく のではないだろうか」と。 〈再読文字》 ハク カタ 意 よろしい 〈承知した意 激西江之 ごまつわう あそ 周曰はく、「諾。 我且に南のかた呉越の王に遊ばんとす。 西江の水を激して 私が言うことには、 「よろしいとも。 私はこれから南方の具と越の王のところに遊説に) 行くつもりだ。 蜀江の川の流れ シテ 周日、『諾。我且三南遊呉越之王。 せいかう みづげき だく われまさ みなみ 00 索 読だく 味のあいさつ すなはチ 意 しかし もとム 探し求める 出典作者紹介 てっぷ 全三十三編。内編七外編十五・ 雑編十一より成るが、内編だけが 周の自著と推定される。荘周は戦国 時代・宋の思想家。 老子とともに道 家に分類される(老荘思想)。 本文は、 故事成語 「轍鮒の急 (差 し迫った苦しみや困窮のたとえ)」 の典拠であり、わが国でも「宇治拾 遺物語」が「後の千金の事」として 紹介している(問五)。 『荘子」には 他にも、蝸牛角上の争い・胡蝶の かぎゅうかくじょう (こちょう aは「顔色・顔の表情」の意で用いられているので、答えはイ 「気色ばむ」などと使う。その他は、 は「千の金」つまり大金が「まったく無駄である一 (食料)」が「水一切 ぐうわ 夢など動物を使った寓話がいくつも ある。 疑問② 88 80

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漢文 高校生

こんな感じでサ変とサ行4段が見分けれないとるからるなのかみわけれないんですけど、どうやってサ行四段とサ変見分けたらいいですか?

|- 法学部卒。 入社 の社長から偶 激し、文学部 。趣味は「わか 験参考書を作 箸 君に逐はる〈現代語訳〉私はかつて何度も仕えたが、そのたびに、君主に追放された ③ 「保んず」は、「やすんザァ――ない」とはならずサ変動詞であるから「見」は「らる」。さら に「不」があるから未然形の「られず)」となる。 箸 保んぜられず 〈現代語訳〉人民は保護されないとさずとからもわないかり ④「臣」は「臣とす」と読む(P.1参照) サ変動詞で、未然形は「臣とせ」。 また、「見」は「ら る」と読むので訓読は「臣とせらる」となる。さらに、「人を臣とすると」を参考にすると「と」 の上は連体形であることがわかるから、「臣とせらるると」のように連体形にする。 一方、「制」は「制す」というサ変動詞であるから、「見」は「らる」となって「制せらる」と なり、次に「と」があるから連体形の「制せらるる」となる。 答 人に臣とせらるると人に制せらるるとは〈現代語訳〉 人を臣下として使うことと、人に 臣下として使われること、(あるいは)人を支配するのと、人に支配されるのとでは、どうして 同じように考えることができようか、いやできはしない 「る・らる」の使い方には慣れただろうか。それでは実際の大学入試問題をやってみよう。「爲」 の読みと『受身』の訳「れる・られる」を問う問題だ。 貝。 入試問題 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 ひきキニラ フ のち二 きん をぎ 將自随。隆後至江辺伐荻爲大蛇囲 ○太興…東晋王朝の年号。西暦318年~321年 こうそ …今の江蘇省一帯の地方 〇民 間傍線部

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漢文 高校生

赤い字の口語訳を読んでもどんな話なのかさっぱりわかりません。わかりやすく説明お願いします🙇‍♀️

25呂氏春秋 本冊13~33 <反語> 3父羊~6誅者乎 セ セラレ わう キ 誅 「者 もの チ ル 」聞之、乃木謙也。 けいわうこれ すなはちゅう ざる者有らんや」 と。 荊王之を聞き、乃ち誅せざるなり。 孔子 荊王はこれを聞いて、考えを改め、直射を処刑しなかった。 孔子は 孔子 こうし 書き下し文・口語訳 ない者がいるでしょうか (いいえ、いません)」と。 倒置 直躬は 其父窃羊 1楚有直~6不誅也 そ ちよくきゅうナル ぬすミテ 〈順接>グ <詠嘆> キテヲ ハク ナル ル ニシテ 楚有 躬 者。 父 羊而謁之 聞之日 「異哉、直躬之為信也。 一父 そちょくきゅう ものあ ちちひつじ ぬす これしやう これ ちよくきゅう しん いつぶ 楚に直躬なる者有り。 其の父羊を窃みて之を上に こと を聞きて曰はく、「異なるかな、直躬の信たるや。 このことを聞いて言った、「おかしなことだなあ、直躬の正直というのは。 父にして 父一人によって に直躬(正直者の躬)と その直射の父が羊を盗んだとき、直射は)そのことを いう者がいた。 上荊)に く <再読文字〉 <願望> 比較〉〈否定> とらへ〈順接 ちゆうセント ヲ フ ハランコトヲ <接続>ふたたビルト 〈強意〉 カ キニ 上 田執而将 之。 N 〇代) 而載取名爲。」故直躬之信、不若無 しゃうとら まさ これ ちゅう ちよくきゅうこれ か ふたた 調ぐ。 上執へて将に之を誅せんとす。 ゆゑ ちよくきゅう しん しんな 直躬之に代はらんことを 告発した。荊王はこれ(父)を捕らえて処刑しようとした。 直躬は、 これ(父)に代わる (身代わりと して処刑される)ことを と 「載び名を取る」と。 二度も評判を得るのだから」と。 故に直躬の信は、 信無きに若かず。 だから、直躬のような正直さならば、正直さがない方がよい。 直躬は〈再読文字) セラムント〈強意〉 直躬が ミテ 〈順接グルハ 之。 告吏日、「窃羊而調」 言。[] 将にせられんとして、更に告げて日はく、「父羊をみて之を 望んだ。(直躬は)今にも(自分が) 処刑されようとしたとき、役人に告げて言った、「父が羊を盗んで、 (直躬が)そのことを 其父窈羊 直躬が T <詠嘆〉 父 ナラー セラレントシテ〈順接 ハルハニ 之、不 信乎。 而代之、不 またしん ちちちゅう これ ぐるは、 信ならずや。父誅せられんとして之に代はるは、 告発するのは、なんと正直なこ 父が処刑されそうになって、直躬が)これ(父) とではないですか。 の身代わりになろうとするのは、なんと 〈詠嘆〉 ツ ニシテ〈逆接 セバ 4 ランル 孝平。 且孝、而誅之、国有不 しんか かう これ ちゅう くに は ちゅう 孝ならずや。 孝行なことで はないですか。 信且つ孝にして、之を誅せば、国に将た誅せられ 正直でしかも孝行であるというのに、これ(直躬)を処刑するな らば、国にいった処刑され

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