わりに、日本の韓国権益を認めさせようとした (日露協商論・満韓交換論)。
しかし、ロシアとの外交交渉はまとまらず、1904 (明治37)年、日本は開戦
に踏みきった。
りょじゅん
日本は旅順や奉天を占領し日本海海戦でも勝利したが、国力を
した。
(ルーション)
他方、ロシアでは革命運動がおこり、 社会不安が高まった。 1905 (
38)年、
ちょうしゅん
日露両国はアメリカ合衆国の仲介で講和条約 (ポーツマス条約)を結んだ。
日本は韓国の保護権や、旅順と大連租借地(関東州)と長春・旅順間の鉄道
利権、北緯50度以南の樺太(サハリン)などを得たが、 賠償金はロシアがあ
くまで拒んだため得られなかった。
(チャンチュン)
ばいしょうきん
ドンズ 運動
れっきょう
アジア各地で近代化や民族主義運動に取り組んでいた人々は、日本の勝
利に注目した。自分たちも近代化すれば、日本のように西洋列強に対抗で
きると受けとめたのである。
しかし日本は日露戦争中から韓国の支配をめざし、アメリカのフィリピ
そうご しょうにん
ン支配やイギリスのインド支配と相互承認の形で支持を取りつけていた。
(→p.61)
日露戦争が終わると、 日本は韓国を保護国とし、義兵による抵抗をおさえ
へいごう
て、1910(明治43)年には韓国を併合した。 またロシアとのあいだでは、ア
D
しじょう
そし
メリカが満洲市場に介入するのを阻止することで協調体制がとられた(日
たいわん
ちょうせん
・
露協約)。このように、日本は台湾 南樺太・朝鮮を支配し、満洲に権益
をもつ本格的な帝国主義国家となった。
アメリカが中国進出を企図
そしてあげた政策
満洲に権益を得た日本は、中国の門戸開放をとなえていたアメリカと走
立した。またアメリカでは中国人移民が1882年に禁止されていたが、19日
(p.94)