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がんぼれ」「がんばってください」
そんな呼びかけが、貴災の直後、全国から湧き起こった。情報回路がいたるところです断されたなかで、被災地外の人たちには異害の仔」
が知れず、被災地どうしでもそれが分からない状態で、それでも声を、と送った言葉がこれであった
が、朝面から、背後から、被災地を激励しようというこの言葉は、逆境のなかで挫けてなるものかとみずからを叱陀している人びとを後
押しする言葉になりえても、時とともにいよいよ厚く重くのしかかる困難に、息も絶え絶えとなって、立っているだけで精いっぱいといっ
た状況のなかにいる人にはむしろ苛酷なものとなる
「ちう分がんばりました」「これ以上何をがんばったらいいんですか?」
これから先可能なこと、というよりは不可能なことが、一つ一つ浮き彫りになってきて、おそらく可能なことすらもすり切れかかった糸
のようにいよいよ組くなり、失ったものの大きさも測りかね、かつ納得しきれず、気持ちがまだ乾かぬやけどの痕のように潮れたまま、他一
人のそれとの差異もいやでも目につくようになって、もう眼を伏せうずくまっているほかないと思いさだめる…。そんな境地へと追いつめ
「 」へ調石
られたとき、だれかに「お気持ち、よく分かります」などと相づちを打たれたら、「そんなにかんたんに分かられてたまるか」と、叶きだ
すように低い声で返返すにちがいない
「環 SG」
一時期、そんな張り紙をしている避難所があったと、知人から聞いた。
聴くことの大切さ
十六年前、神戸の震災のとき、聴くことのむずかしさを多くの人が思い知った。言葉をさえぎって励ますこと、なかでもじぶんの体験を一
引き合いに出して励ますことが、相手に、ようやっと搾りだした言葉を逆に香み込ませてしまうこと、このことにカウンセリングの専門家
たちは注意を促し、「ひたすら聴くこと」の大切さを説いた
が、ひたすら聴くというのは、その場で相づちを打つことではない。「分かる」というのは、おそらくはその字のとおり、「分かたれる」
ということであって、話しているうちに気持ちが一つになる、同じになるというよりも、むしろ逆に、一つの言葉に込められたものの意味
や感触がそれぞれに異なるということ、つまり、相手との差異が、隔たりがいよいよ細かく見えてくるということ、そのことを思い知らさ
阪神、淡路大震災のさなか精神科救急にあたり、その後も兵庫県こころのケアセンターを拠点に「傷ついた心の回復」に尽くしてきた加
分かるというのは、ここにいるこの他者の心持ちを知りつくせないということを思い知ることなのだろう。そういう眼界を知ってなお
鷲田清一「相づちを打つこと、打たないこと」より
一1
筆者の主張を一文で抜き出し、はじめと終わりの五字をそれぞれ答えよ (句読点も一字に数える)。
( スこい)
)にあてはまる語句を文中から抜き出せ
その恨拠を簡潔に説明した火の文章の《
分かるとは(e 五字程度 )が(の 十五字程度 )ことを思い知らされることだから
はA
藤寛の、ノンフィクションライター最相葉月による聴き取り「心のケアー阪神·淡路大震災から東北へ』」(講談社現代新書)のなかで
加藤はケアにあたる者の心得として、「それ以上鍋つけない」ことをまっ先にあげている。かんたんに相づちを打たないこと、わかったつ
もりにならないこと。「何でもおっしゃっていいですよ」という言葉が、ときに相手の心に鎖めがたい氾濫を引き起こしかねないこと、あ
という支援グループの来訪以外はご免こうむりたいという気持ちが、先の張り紙には浮き出ていたのだろう。
2
れるということなのだろう
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間
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