体験に即しているという点では原作よりもむしろこの方が自然である。
多くの読者の体験と一致しているはずである。 それにもかかわらず、感動の度合
いでは明らかに原作の方が強い力を持っている。「桜色のちいさな貝」では、心
の深いところには刺さらないのである。読者の多くは、自分では「飛行機の折れ
た翼」を砂浜に埋めたことがないにもかかわらず、その思い出に対してより強い
感情移入をすることができる。それはなぜだろう。
「翼」と「桜貝」の違いはそのまま、言葉が驚異の感覚を通過しているかどう
かの違いである。おかしなたとえになるが、「桜貝」の歌がコップのように上か
ら下までズンドウの円筒形をしているとすれば、原作の方は砂時計のようにクビ
レを持ったかたちをしている。このクビレに当たるのが「飛行機の折れた翼」の。
部分である。この歌を上から読んできた読者の意識はここに至って、「えっ?
飛行機の折れた翼?」という、自分自身の体験とはかけ離れた一瞬の衝撃を通過
することによって、より普遍的な共感の次元へ運ばれることになる。
その際一首のなかで「飛行機の折れた翼」は、あくまでも共感へ向かうための
クビレとして機能しており、多くの作品同様に、ここに含まれる驚異の感覚は、B
つまり
か。
寸胴。
語句
●意表をつく
漢字
翼(翼賛・尾翼)
普遍
★「言葉が驚異の感覚を
通過している」とは、具
体的にはどのようなこと
ズンドウ 上から下まで
が同じ太さであること。
在)→不変・不偏
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