地球温暖化問題においては、問題が起きる前に手を打つ「予防原則」の立場から、気候変動条約や
CO2削減といった様々な政策的
論が不確定なうちに政治が動き出した」との印象を抱き、研究の不備や政治的偏向を主張したりして
(ト)
ソチが動き出しました。 結果として、反対する人は「科学的な結
論争が続くことになったのです。
このような状況を否定的に捉えて、政治論争が起きるような学問はまともでない、政治的中立性が
ないとの結論に飛んでいく人もいます。あるいはその逆で、科学的な検証を行って出した答えに反対
する人がいるなんて信じられない、
x ではないと叩く人もいます
私自身は、カントのように、論争の存在自体をY に捉える立場です。それも、彼よりは一歩踏
み込んで、ある学問が人間社会に関わる切実な対象を扱うほどに、その一Z な論争と、政治的論争
との間の境目が不明確になっていくのはやむを得ないし、だからこそ論争が必要だと思っています
それは、人間の認識能力の不完全さと、対象の複雑さとが合わさったとき、何らかの政治性が生まれ
てしまうことは避けがたいと考えているからでもあります(なお私は、「政治的(political)であるこ
」と「党派的 (partisan)であること」を区別しています。前者は「市民生活においてどの価値を優
先するか」ということ、後者は「誰の味方か」という人間関係的な側面のことです)。
完全に世界を認識し、記述できるシステムはありません。もしそ
れ以外のものは