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現代文
感染者の家にはもれなく病名を書いた札を貼るべし。
明治半ば、政府内でそんな意見が強まる中、反対の声が上がる。
「それは酷だ。①国民はだれも感染予防に協力しなくなる」
反対派の代表は内務省の衛生局長だった長与専斎である。
ながよせんさい
いわくらともみ
藩医の家系に生まれ、岩倉具視率いる使節団の一員として欧米を視察。
病気の予防を個々人にまかせる日本流とは違い、
政府や自治体がAジンリョクしていることに感銘した。
日本には存在しない公的な健康保護の仕組みをどう広めるか知恵を絞った。
呼称として「養生」「保健」が浮かぶが、しっくり来ない。
選んだのが中国の古典にあった「衛生」。
B字面が高雅で語感も悪くない、とのちに説明した。
各自治体に「衛生委員」を置いて、今の保健所に近いCケンノウを与えた。
悩みのタネは3との分業だ。
感染症が急拡大するたび、患者の強制隔離や近隣封鎖が増える。
2コレラが猛威をふるった年、[3の過剰介入に異を(④)えたが、D阻まれる。
よほど不本意だったらしく、その年の経験を自ら「明治 19年の頓挫」と読んだ。
専斎の業績に詳しい小島和貴桃山学院大法学部教授(50)によると、
役所が感染者をまるで犯罪者のように扱う危うさを専斎は見抜いていた。
「官と民の協力こそ感染症を抑える最善の策だと確信していたからです」
現下のコロナ禍でも政府の対策に強圧の影がのぞく。
風浴営業法を根拠にして警察を店に立ち入らせるのは果たして良策か。
後世に「コロナ期の(⑤)」と嘆かれたくはない。
田