歴史 中学生 約2ヶ月前 7これではダメですか?理由も教えてほしいです ききんと百姓一揆が同時に起きている。 右のグラフは、百姓一揆の発生件数を示している。 また、右下の表は、大きなききんが起こった時期を 示している。 グラフと表から考えられる、百姓一揆 発生件数と大きなきさんが起こった時期との関係を、 簡単に書きなさい。 グラフ (件) 100 50 表 時期 天明のききん 1782年~1787年 てんぼう 天保のききん 1833年~1830年代後半 平成20年改題 1780 1760 注 「百姓一揆総合年表」 により作成 1800 1820 1840年) 7 大きなききんが起こった時期に、 百姓一揆が増えている。 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 9ヶ月前 中2 歴史 江戸時代 Bの所は天保の改革じゃないのですか? こくだか ねんぐ 資料2 幕府領の石高と年貢収納高の推移 万石 万石 500 250 ききん A 天明の飢饉- B ―石高 450 200 石高 年貢収納高 400 150 年貢収納高 350 1701 1720 1740 1760 ABは改革が行われた時期 1780 ( 『角川日本史辞典』) 100 1800年 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 約1年前 このような𓏸𓏸の飢饉って入試などに出ますか? 授業では習っていませんが、写真の資料には書いてあったので、、🥲 (年) 1701〜 10 0 10 20 30 40 40 11~ 20 21~ 30 きょうほう 31 ~ 40 50 60 (件) 10年毎年平均 百姓一揆 P 享保の改革 享保のききん 41~50 51~ 60 61~70 71~ 80 81~90 91〜1800 1801 ~ 10 11~ 20 21~ 30 31~ 40 41~ 50 51~ 60 L てんめい かんせい 天明のききん、寛政の改革 てんぼう 天保のききん 天保の改革 解決済み 回答数: 1
国語 中学生 約2年前 答えが2と6なのですが、6が答えの理由を教えてください。よく分かりませんでした🙇♀️ 次の文章を読んで、あとの〜に答えなさい。 ある倉の二階に、オルフォイスとオイリディケというねずみの夫婦が住んでいました。 オルフォイスはねずみの世界では絶世の詩人として広く知 れわたっていました。よく磨かれた宝石のようにするどく澄みわたったその叫びは、暗闇を引裂いて光をまねき、ねずみたちの心をよろこびに美し く輝かせたばかりでなく、ねこの爪を起すあの恐ろしい筋肉を麻痺させ、ねこいらずの毒を中和させ、 ねずみとり機のバネを延ばしてしまい、小麦 の袋は、自ら高い香りを発散させてそのありかを知らせ、油の壺は重しをはねのけて蓋を開け、卵は自らコロコロところがってねずみたちの巣を訪 れ、板や土の壁ばかりでなくコンクリートや石の壁までがねずみたちの交通に便利なようにと、顔や胸のまん中に穴を開けて待っていたということ です。 この評判は、考えてみると、 オルフォイスが単なる詩人ではなく、現実のあらゆる隅々まで知りぬいた科学者であり哲学者であったことを意味し ているのだろうと思われます。 また例えばこんな噂も伝わっています。大飢饉の年でした。ササの実のなる南の国を目指して大移動をすることになったとき、ねずみたちが一番 恐れたのはセレーネという山ねこの住む沼のそばを通らねばならないことでした。 セレーネは不思議な歌をうたってねずみを沼に誘いこむと伝えら れていました。いよいよその沼に近づいた時、突然ねずみたちの間に激しい動揺がおこりました。 「セレーネが歌っている!」 苦しそうな囁きが波のようにひろがり、 身もだえしながらその場にうずくまり、動けなくなるもの、さては理性を失ってすすり泣きながら沼のほ うへよろめいて行こうとするものさえ現われました。 オルフォイスは驚いて耳をすませました。しかし彼の耳にはどんな歌も聞えないのでした。 実 際セレーネは歌ってなんかいなかったのです。 オルフォイスはすぐにそれが沈黙の歌であることを理解しました。 そして沈黙の歌ほど恐ろしいもの はないことを知りました。 オルフォイスはねずみたちの先頭に立って歌いはじめました。 ながい闘いのあと、ついに彼の歌はセレーネにうちかち、 ねずみたちは無事に目的地に辿りつくことができました。 自然オルフォイスはねずみたちの教師であり指導者でした。ねずみたちは彼に、王様になってくれと嘆願しましたが、 彼は拒み、共和政治をしく ことをすすめました。 そこで彼はねずみ共和国の初代大統領にえらばれました。 はじめにお話した倉が大統領官邸に採用され、それ以来そこが彼の 住居になったわけです。 住居だったばかりでなく、その倉はねずみの社会の議事堂であり、裁判所であり学校であり公民館でした。 オルフォイスは そこで政治の事務をとり、壁争いやチーズの分け前についての裁判をし、学生を集めて詩作法からねこいらずの解毒法にいたるまで教え、あるいは 大音楽会を開いたりするのです。世 そんなわけでしたから、自然ねずみたちの出人も多く始終ねこどもがうろうろと倉の周囲をうろついて、パリパリ壁を引っかいたり舌なめずりし たりしているのでした。 しかしオルフォイスの知恵とねずみたちの共同した力とは、倉を難攻不落の要塞にしていました。 ようさい もちぬし ある日のことです。 不意に一人の人間がやってきて、倉の戸を開けたのです。ねずみたちはこんなことが起ろうとは、夢にも考えなかったので、 ひどく狼狽してしまいました。 事実は単に春がきて、その倉の持主である農夫が耕作機の手人をしにきたというにすぎなかったのですが、人間の一 日がねずみにはひと月以上にもあたるのです。 何十年来の、いやほとんどありうべからざる事件に思われたのも無理はなかったのです。 ねずみたちは狼狽しました。 そして案じていたとおり、男は戸を半開きにしたまま帰って行ったのです。倉はもはや難攻不落ではなくなりました。 老いぼれねこのプルートーがやってきたのはその夜のことでした。 老いぼれてはいましたが、残忍で名の聞えたプルートーです。 その名はねずみ たちにとっては「死の王」という意味でした。 ねずみたちは一心に相談し意見をたたかわせました。 「誰が鈴をつけに行くか?」というあの有名なイソップの寓話ができたのもこの時でした。 オルフォイスはブルートーがいかに冷酷であり残忍であるかをこんこんと説き、どんな妥協もありえないことを強く主張しましたが、すっかりおび えたねずみたちは彼の気持を少しも理解しようとはしませんでした。 もしねずみたち全部がその気になれば、いかにプルートーが恐ろしい爪をもっ ているにしても、必ず打ち破ることができたはずです。 しかしねずみたちはただおびえるだけで、まるで闘う気力を見せないのでした。 そして馬鹿 のようにいつまでも「誰が鈴をつけに行くか?」を繰返すのでした。 「困難が君達を強くするのを待つよりほかないのだろうか。」 オルフォイスは悲しそうに言って、一同の顔を見まわしました。 しかし誰も返事をするものがないので、あきらめて言葉をつづけました。 「むろ ん交渉の余地がないわけじゃない。 それが君たち全部の意見だというのなら、やってみよう。」 オルフォイスは壁ごしに、 よく透る美しい声で呼びかけました。 「プルートー君、相談だが・・・・・・」 「なんだ?」 プルートーの太いダミ声が意外に近くして、ねずみたちは気が遠くなるほどふるえ上りました。 オルフォイスは言いました。 「もし君がこの倉の出人にさいして私たちの生命を保証すると約束してくれるなら、私たちは一日一ポンドの肉と半ポンドの油と、四匹のニシンを 君にあげることを約束しよう。」 「なるほど」とプルートーが言いました。 「君は利口者だ。ニシンを六匹にしたらどうかね。」 「もし君がその約束を守るという証拠に、君の首に鈴をつけさしてくれればそうしよう。」とオルフォイスは答えました。 さて、オルフォイスが鈴をもって下りて行こうとすると、我に返ったねずみたちはいっせいに騒ぎはじめました。 万一のことがあってはと言うの です。そのくせ、では誰が行くかということになると、やはり尻込みして申出るものは一人もないのでした。 そのとき、「私が参りましょう。」 そう言ったのはオイリディケでした。 オイリディケは夫の手から鈴を受取り、恐ろしく静まりかえった中を、静かに下りて行きました。 チリチリ うけと Seit ラー 未解決 回答数: 0
歴史 中学生 約2年前 18世紀以降、江戸幕府が次々と政治の改革を行った理由について、 「幕府の財政が苦しくなったから。」とありますが、なぜ幕府の財政が苦しくなると政治の改革を行うのですか?🙇♂ 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 2年以上前 中2 歴史 (2)③の解説たのみます 答えは✕でした (2) 江戸時代中期以降の世の中のようすを説明した次の文のうち,正しいものには○、誤っ ているものには×をつけましょう。 農村では商品作物が高く売れるので生活が楽になり、 貧富の差がなくなった。 (各5点) 百姓のなかには,自分の土地を失い, 村を出る者もいた。 3 百姓から取り立てる年貢の量を増やしたので、幕府の財政は安定した。 T X 都市の商人が力をもち, 武士のなかには商人に借金をする者もいた。 解決済み 回答数: 1