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これではダメですか? (4)歩いたとき足と目が後ろになって1歩も前へ行けない 理由もお願いします🙇‍♀️

ままでも、 一歩も前のほうへ いへり。 18 次の文章を読んで、あとの問い かえる 蛙たちが池のそばに集まって、「私たちは手足はあるが、水中 は を泳げるだけで、陸に上がると這いつくばって、ただぴょんぴょんと 跳ぶだけだ。どうにかしてもらえるように、観音様にお願いしよう」 と相談していた。 観音堂に参りて、「願はくはわれらをあはれみたまひ、せめて蛙の身な かわいそうに思って、 りとも、人のごとくに立ちて行くやうに守らせたまへ」と祈りける まこ ように してください うしろ との心ざしをあはれとおぼしめしけん、そのまま後の足にて立ちあがりけ かわいそうだとお思いになったのだろうか、 じゃうじゅ り。「所願成就したり」と、よろこびて池に帰り、「さらばつれだちて歩き 願いがかなった てみん」とて、陸に立ちならび、後足にて立ちて行けば、目が後になりて ③ あぶな 足も向へ行かれず。先も見えねば危さ言ふばかりなし。「これにては何n の用にも立たず。ただ元のごとく這はせてたまはれ」と祈り直しはべりと 這わせてください 祈り直した (『仮名草子集』より) なぞうししゅう

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解説お願いします!!

筆者は一年前、俳句の話をしてほしいと依頼され、 大分県の国東中学校 に行った。そのことを回想している文章である。 待っていてくれたのは、やがて閉校になるという国東中学校の三 年生一同。講堂にきちんと方形に並べたいすに行儀よく座り、目を きらきらさせている。 俳人が集まると、教科書の俳句がおもしろく て俳句を始めた人がいたらお目にかかりたいね、などという。 もと より Aはおもしろい。だからみんなでAを作ろう」 てできるようなものでもない。それより、彼らの身近にある「俳句 の素」について話すほうがよさそうだと思い、たまたま教科書に取 り上げた どの子にも涼しく風の吹く日かな という飯田龍太の旬の「風」の話を緒に、ありふれた観天望気のこ とや、ものの名前のことなどを話す。国東の天気に関することわざ だって、風や雨や雲の名だって、魚や草や木や虫の名だって詩にな る立派な言葉だ。言葉はだれの持ち物でもないのだから、自由につ かっていいのだなど、思えばたわいないことだが、いずれもが「俳 旬の素」になる大事だ。 一時間をこえる長い時間だったが、一人と してごそごそする生徒、私語する生徒がなく、うなずきながらオバ アチャンの話を食い入るように聞いてくれる。 いずれ彼らも 〈古池 や蛙飛び込む水の音〉や〈くへば鐘が鳴るなり法隆寺〉を覚える ともなく覚える日がくるだろう。それと同じようにどの子にも涼 風の吹くかな〉を覚えればそれでいい。 覚えただけで終わっ てもいいし、深入りする生徒がいても、それは B 。 国東中学校は平成二十一年の春をもって閉校。 私が会った生徒た ちが最後の卒業生となったのだ。 卒業後、それぞれが大人への道を 歩きはじめる。 高校への首尾はどうだったのかな、だれか漁師さん しゅび になって魚好きのために漁労の専門家になってくれないか、などと 思いをはせていた三月半ば、「国東市立国東中学校」 の大封筒でずっ しりと手に重い郵便物が届いた。なんと卒業生全員からの手紙と、 全員の写った写真である。先生からの添え書きに「生徒が作りまし た」とある。韻文へのしっかりした考えを述べたもの、俳句を作り ましたというもの、レポートのようなもの、近況報告や国東の産物 を紹介した内容など、二つと同じものがないという手紙の束である。 ぼく 中に「うちでは椎茸をつくっています。 僕は椎茸が嫌いですが、 先 生は椎茸を食べてください」というのがある。 山間から海辺の学校 に通ってくる生徒だろう。「俳句は嫌いですが、 宇多先生は好きです」 というのもある。アリガトウと大声で返答をする。 こんなのもある。 「僕は本を読んでいます。 それがとてもおもしろいです。 先生にも、 ぜひ本を読むことをおすすめします」。 いいではないか。 言葉でつ づったおせじはたちまち見通せるが、彼らの手紙にはそれがない。 文章力や字の巧拙などには関係なく、相手に何か伝えようという達 意の域に達した、またとないいい手紙ばかりである。「俳句の素」。 の何かが伝わっていたのだと思い、じわっとしたうれしさが心身に 広がる。 どの子にも涼しく風の吹く日かな〉とは、こんな日の彼らに吹 く風のことだ。 家庭環境も違えば、それぞれの能力も体力も個性も 違う。やがて全員が同じ風を受けているということができなくなる。 日がくるだろう。昨秋の拙作に鰯雲自愛せよ中学生諸君〉がある。 願わくは、世の中学生の未来に、狂いのない風が吹きわたるように。 この国の四囲の海の魚に、狂いのない四季の巡りがもたらされるよ うに。 今、そんな思いばかりが去来する。 (宇多喜代子 「中学生諸君」 愛知県一改) 緒に......はじめに。 観天望気······現在の空の状況を観察して、今後の天気を予測すること。 首尾...... なりゆきと結果。 漁労...... 魚類・貝類・藻類などの水産物をとること。 上手なことと下手なこと。 出典は、「日曜日の随想2009」 日本経済新聞社編 日本経済新聞出版社)による。 いいだすた ら二字 しいたけ たの 3 E ア ウ LC

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この文章の四角Cには「かわず」という言葉が入るんですが、なぜかわずなのか教えて欲しいです🙇‍♀️

あとの問い! 砂漠は私たちの住む日本の風土の反対の極と言ってもいいであろう。稀辻哲郎はあの有名な『風土』という書物の中で、世界の風土 をモンスーン型、牧場型、砂漠型の三つに分け、砂漠型を私たちの住むモンスーン型風土の対極に置いた。そして、モンスーン型の日 本人がインド洋を抜けてアラビア半島にたどりついたときの衝撃を記している。その衝撃とは、「人間いたるところに青山あり」など と考えているモンストン型日本人が、どこをどう見回しても青山など見あたらぬ乾ききった風土に直面した驚きだと言う。 *じんかん せいざん たしかに、砂漠は、青山的な私にとって衝撃そのものだった。そこにあるのはただ砂と空だけなのだから。けれど、そうした砂の世 界に何日か身を置いてみると、 砂は私に何事かをささやきはじめた。そして、不思議なことに、今度は自分が住んでいるモン スーン型の日本の風土や、そこにくり広げられている生活が〝世界〟のように思えてくるのである。 B 砂漠には何もない。何もないということが当然のようになってくると、逆に、なぜ日本の生活にはあんなにもたくさんのものがある のか、奇妙に思えてくる。あんなに多くのものに取り巻かれなければ暮らしていけないのだろうか、と。 それらのものは、 全部余計なものではないのか。余計なものに取り巻かれて暮らしているから、余計な心配ばかりが増え、肝心の生きる意味が見失われ てしまうのではないか・・・・・・。しかし、待てよ、と私は考える。生きていくのに必要なものだけしかないということは、文化がないとい うことではないか。 生きていくうえに必要なもの、それを上回る余分のものこそが、実は文化ではないのか。文化とは、言ってみれば、 余計なものの集積なのではないか。だとすれば、砂漠を肯定することは、文化を否定することになりはしまいか・・・・・・。 それにしても――と私はさらに考え直す。私たちはあまりにも余分なものを抱えこみすぎているのではなかろうか。 余分なものこそ 文化にはちがいないが、さりとて、余分なもののすべてが文化であるわけもなかろう。 余分なものの中で、どれが意味があり、何が無 価値であるか、それをもう一度考え直す必要がありはしまいか……。 砂漠とは、こうした反省を私にもたらす世界である。砂漠は現代の文明社会に生きる人びとにとって、一種の鏡の国と言ってもいい ような気がする。 私は砂漠に身を置くたびに、ある探検家がしみじみともらした次の言葉をかみしめる。 「砂漠とは、そこへ入りこむ 先には心配で、そこから出て行くときにはなんの名残もない、そういう地域である。 砂漠には何もない。ただ、その人自身の反省だけ があるのだ」私は、砂漠に自分自身の姿を見に行くのである。 3. 砂漠は、私たち日本人が考えがちなロマンチックな場所ではけっしてない。王子さまとお姫さまが月の光を浴びながら銀色の砂の上 を行く――などというメルヘンの世界ではない。 昼と夜とで温度は激変し、一瞬のうちに砂嵐が天地をおおってしまう、そういうおよ である私は、こうした砂の世界に足を踏み入れたとたん、いつも後悔する。よりに 非情な世界である。日本という井の中の よって、なんでこんなところへ来てしまったのか! だが、その後悔は、やがて反省へ変わり、さらに希望へと移っていく。生きるこ とへの希望へ。 この意味で、砂漠こそ最もロマンチックな場所であり、メルヘンの世界だと私は思う。なぜなら、そうした"世界"へ行こうとす ることこそが、現代ではいちばんロマンチックな行為のように思われるからだ。 メルヘンの世界とは、さかさまの国のことである。だ とすれば、砂漠行こそ、まさしくメルヘンの国への旅ではないか。 もりもとてつろう (森本哲郎「砂漠への旅」<『すばらしき旅』所収〉より) *モンスーン型=季節風に支配される湿度の高い地域の風土。 (骨を埋める場所)があるのだから、広い世間に出て

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