急速な工業化によって、日本の自然が事実として乏しくなったという意見があるが、私
はこういう俗説を信じない。むしろ国民ひとりひとりの立場から見れば、ヨカも交通手段
も豊かになって、自然に触れあう機会は飛躍的に増大したはずである。加賀千代女が北海
道旅行をしたという話は聞かないし、芭蕉が一生に歩いた道よりも、現代の学生が夏休み
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ば しょう
にドライヴする距離の方が大きいことはわかりきっている。ただ、われわれはつるべに咲 5
いた一輪の朝顔を見ず、枯れ枝にとまった一羽のカラスに注意を向けないというだけのこ
とであろう。見なれた植物の名をあらためて口にのぼせ、たがいにうなずきあう習慣が少
なくなったというだけのことなのである。
がん み
自然を玩味する文章は少なくなったが、それとはうらはらに、自然をむしり取る所有欲
はますます増大するチョウコウがあるという。高山植物の花畑に自動車道路が延び、若い 10
ハイカーたちが遠慮なく草の根をひき抜いて行くらしい。そこにはたぶん恐るべき流離感
があって、現代人は自然を暴力的に所有したいという衝動に駆り立てられているのであろ
う。自然にたいする人間の優越性をあまりにも過信して、自分が自然に所有され、自然に
帰属しているという謙虚さを見失った結果なのである。自然を自分の手のとどかない距離
まつ
に配って、静かにその名前を呼ぶ心の技術を失った結果だといえる。こういう心の風潮の 5
もとでは、公園や街路樹の増設を要求する声があっても、私はそれを信じる気持ちになれ
ない。政治的な言葉で修飾されてはいるが、それもまた自然にたいする所有欲の現れにす
ぎないような気がするからである。