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古文 高校生

高校古典の問題です。 解説を記入済みで見づらいです。すみません🙇‍♀️ 雨月物語なのですが、傍線部③の「現形し給うはありがたくも悲しき御こころにし侍り」という文章についてです。 西行にとって新院が姿を見せたことにについてもったいなくおもわれるが、新院が現世に未練を残している... 続きを読む

ステップ2 28 12 [小説 『雨月物語』 上田利 うたまくら さぬきのくに 文法助動詞④定ム (注1) ①よもすがらくやう さいぎょう 歌枕を巡る旅で讃岐国(現在の香川県)に渡った西行は、新院の陵墓を訪れ、供養を行った。 山自己の願望「~たい」 しづか 終夜供養し奉らばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文徐に誦しつつも、か つ歌よみて奉る。 「申し上げる」 (注2) 松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり もの寂しい そ 猶心怠らず供養す。露いかばかり袖にふかかりけん。日は没りしま奥めだ ゆか (注3) ふすま ①すさま 山深き夜のさま常なら (注4)+ 5 ね、石の牀木葉の衾いと寒く、神清み骨冷えて、物とはなしに凄じきここちせらる。月は出でし (注5) (注6) ん かど、茂きが桃は影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく「円位円 位。」とよぶ声す。眼をひらきてすかし見れば、その形異なる人の、背高く痩せおとろへたるが、 いろあや さま 顔のかたち着たる衣の色紋も見えで、こなたにむかひて立てるを、西行もとより道心の法師なれ た さき ば、恐ろしともなくて、「ここに来たるは誰そ。」と答ふ。かの人いふ。「前によみつること葉のか m へりこと聞こえんとて見えつるなり。」とて、わが身を「松山に流れてきた船」に ただ うれ 「松山の浪にながれるこし船のやがてむなしくない 喜しくもまうでつるよ。」と聞こゆるに、新院の霊なる そのまま死ぬの焼 けるか 地にぬかづき涙を流してい せ えんり 多い気持ち ③けぎゃう ふ。「さりとていかに迷はせ給ふや。濁世を厭離し給ひつることのうらやましく侍りてこそ、今夜 ほふせ (注7) (注8) 6 1 いきやくしゅうそく の法施に随縁し奉るを、現形し給ふはありが も悲しき御こころにし侍り。ひたぶるに隔生即 (注9) こころ いさ まう 5 忘して、仏果円満の位に昇らせ給へ。」と、情をづくして諫め奉る。 新院に次女を見せたこと すくいん ほうげん (注) 新院 崇徳院のこと。保元の乱に敗れて讃岐国に流され、その地で没した。 ①本 2 松山 崇徳院の陵墓がある場所は、当時松山という地名であった。 3 夜具。 4.神 5 うらぶれて Hus 悲しみに沈んで。 現世の妄執を忘れること。 円位 6 西行の最初の法名。 仏果円満 7 随縁 仏縁にあやかること。 功徳が満ち足りて成仏の果報を得ること。 のも悲しい 文法 二重傍線部A~Dの中から、断定の助動 詞をすべて選べ。 問二語句 二重旁泉 【3点】 の 解釈をする が、わが身を ]になぞらえた歌 で、私も松山に流れてきて、 == ず」と 詠んでいる。 C

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漢文 高校生

漢文について。水色マーカーの部分は「已然形+ば」なので「〜ではないので」という訳じゃないんですか? どなたか教えてください。

大意 けんそう いさ 憲宗が仏教を信奉することを憂えた韓愈は、諌める文章の中で仏教を崇拝した ようせい 皇帝たちが夭逝したと指摘して憲宗の怒りを買ったが、周囲のとりなしで死罪 は免れて左遷された。 憲宗は後に中央に戻そうとしたが、皇甫縛に妨害された。 こうほはく 書き下し文・現代語訳 けんそう ししゃ ほうしゃう ぶつこつ きんちゅう 憲宗、 使者をして鳳翔に往きて仏骨を迎へしめ、禁中に入るるこ 憲宗(皇帝)は、使者を都の西の方の)鳳翔まで遣わして仏骨を迎えさせ、宮中に三日間(仏骨を) さんじつ すなは ぶつし おく わうこうししょ 王公士庶、 ほんそう ゆき と三日、乃ち仏祠に送る。 入れ、そうしてそれをあちこちの)仏寺に送った。皇帝・諸侯・役人・人民に至るまで)が、 ほばい 奔走して 膜唄し、 とうたふ みち けい 騰して路に係す。 駆けずりまわって、手を合わせて仏の賛歌を唱え、踊りまわって道に行列をなす(までになった)。 これ にく 愈聞きて之を悪み、 韓愈はこれ〈=皇帝が仏骨を宮中に入れ、国中が仏の信奉に熱狂していること〉を聞いて憎み、そ すなは じゃうへう だ ねが 乃ち上表して、 きよくかん 極諫す。 てい いか 帝大いに怒り、 こで意見文<=「仏骨を論ずる表」〉を皇帝に提出して、激しく諫めた。 (憲宗) 皇帝はひどく腹を もつ さいしやう しめ まさ あ 持して宰相に示し、 将に抵つるに死を以てせん (韓愈を死刑に当たるものとして処罰しよう げん けつご 立てて、韓愈の意見文を持って宰相に示し、 はいど さいぐん い とす。裴度、崔群曰はく、 「念の言は評悟なれば、 とした。裴度と、崔群が言うことには、「韓愈の言葉は(皇帝の)秘密を暴き立て(皇帝に逆らう これ つみ 之を罪するは まこと 誠に宜なり。然れども うち しちゅう 内に至忠を ものなので、これ〈=韓愈〉を罪に処すことはなるほど当然です。しかし(韓愈が)心中にこのうえ あら 懐くに非ざれば、 ここ いづ よ およ 安くんぞ能く此に及ばんや。 もない忠誠心を持っているのでなければ、どうしてこのような(激しく諌める)ことまでに至ること ができるでしょうか、いや、できません<=韓愈が道理に背いてまで皇帝の態度を批判したのは、皇帝に 対するこのうえもない忠誠心の表れなのです。 すこ くわんか 願はくは少しく寛仮し、 もつ かんさう きた 以て諫争を来らしめよ。」と。 どうか(広い心を持って) 少し(韓愈の罪を許し、それで(皇帝を)強く諌めにやって来る者が

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漢文 高校生

漢文の問題について質問です。 写真二枚目の問題がわかりません。傍線部③というのは、写真一枚目にあります。 写真三枚目が現代語訳です。 どうして答えがオになるかが分かりません。 わかりやすく解説お願いします🙇‍♀️

10 ステップ 基礎力を身につけよう じゅうはっしりゃく そうせんし (史伝) 3 『十八史略』 曽先之 読解 狄仁傑にとって人材とはどのようなものか 句形否定形① ステップ1 ≒常備薬 之 元行沖狄仁保 規き (注3) LO とう てきじんけつ 唐の時代、朝廷での信頼も厚かった狄仁傑(注1)のもとには多くの人材が集まっていた。 その人材に関してのエピソードである。(設問の都合で送りがなを省略した箇所がある。) (注2) こう ちゅう 沖博学多通 明 (注4) めい こう 公 1111 〈元行沖が) 末 日、 ヒテ 傑 木席 あルヒト ハク 無也。或 できようか、いやできない。 ムルハ ニシテ 也。或日、「天下 之の 日 重之。行 沖 (注5) ハラント。 門、 珍味多 矣。 請備薬 門下 ろこ やく わが ちゅう ケン 籠 物、何可一 (注7) 薬 桃季 李り 「薦」賢 為」国 非為」私也。」 賢者 多シ \11 どうして一日でもなくすことが 日本 在公門矣。仁傑 (注)1 狄仁傑- 名。 2 元行沖 人名。 狄仁傑に仕えていた。 3 いさ 規諌正し諫めること。 4 明公地位・名誉のある人に対する尊称。ここでは狄仁傑のこと。 5 珍味おいしいごちそう。 H] あ 漢字句形 習得問題 内容 ●本文 〇参考図 [エピリ 〈元行 <狄

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古文 高校生

諫めという動詞の下なのになぜ「申さ」は補助動詞ではないのですか?

二条院) 八四・巳 接助 代名格助 名 尊(作者→東宮) 妾員) ス 格 夕四・未尊・用補八四・用完・用週・終 名 名 給へば、この式部卿、 東宮にたたせ給ひにき。御年二 尊(作者→東宮) この式部卿(=敦明親王)が、東宮(=皇太子)にお立ちになった。(この時、敦明親王の)お年は 副 謙(作者→東宮) 用補サ四・用過・体 格助 名 名 副助 ラ変用 接助 サ四用 過原・体 ひ申ししほどに、二年ばかりありて、いかが思し召しけ 式部卿、東宮の竹 長和五年正月、三条 部卿が東宮になった。 えつきしゃ 二年ほどして、きち 2 東宮の思い 思い申していた時に、 二年ほど経って、 どのようにお思いになったから 呼応・願望 尊(作者→東宮) 八四・未 尊・用補八四・用 接助 形シク・体 (接頭) 名 副 形シク用 ほらはせ給ひて、うるはしき御有様いと苦しく、いかでか なさって、 係結強意 格助 係助 丁(東宮→皇后宮) 補ラ変・体 八四・用 謙(作者→皇后宮)尊(作者→東宮) 格助 サ四・未尊用補八四・体 接助 副 (皇太子としての)きちんとした有り様がとてもつらく、何とかして 宮に、「かくなむ思ひはべる。」と申させ給ふを、いかで つらく、東宮から退 を皇后様に申し出 「う」などと思うはず れた」といましめ (娍子)に、「このように思っています。」 ORI と申し上げなさるが、それを私は)「どうして 謙(作者→東宮)尊(作者→皇后宮) 道殿に相談があった 形シク用 ラ変・体 禁・体 名 格助 副助 マ下二・用 サ四・未尊・用楠八四・体 5 しあさましく、あるまじきこと。」とのみ諌め申させ給ふ かない。全く驚きあきれた、あってはならないこと(だ)。」とばかりいましめ申しなさるので、 謙(作者→東宮) 尊(作者→入道殿) 東宮は [東宮 援助 3 ラ四・未 尊用補八四・已完・体接助 (接頭) 名 形動ナリ用 接助 代名格助 ば、まゐらせ給へるに、御物語 こまやかにて、「この いったので、(入道殿が)参上なさったところ、(東宮の)お話は細部にまでわたり、「(私は)この(東宮の) 丁(東宮→入道殿) 謙(作者→入道殿)尊(作者→東宮) [入道殿 3 入道殿の諫言 入道殿が参上する 八四・用 補ラ変・体 助 ヤ下二・未 幕用 補八四・用週・巳 接助 思ひはべる。」と聞こえさせ給ひければ、「さらにさらに にわたり、「この

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古文 高校生

(2)について質問です。 最後の詠嘆の助動詞は 〜であったなぁ または 〜であるなぁ どちらでもいいんですか? 回答は現在形で訳してました。

III 「そうふくじ たちばななんけい 次の文章は、江戸時代後期の人、橘南谿による『西遊記』の一節で、筑前の国にある崇福寺で聞いた話を書きとめたもので す。文中の「この国」は筑前国であり、文中に見える鐘の岬・織幡山・志賀・宗像などの地名も筑前のものです。これを読ん で、後の問い(問一〜問七)に答えなさい。なお、本文は一部改変したところがあります。 tový> おりはた うしとら (注1) この国の海中に鐘あり。 その所を鐘の岬といふ。 織幡山の艮の方、岸を離るること、わづかに五町ばかりの所にあり。 船 (注2) つきがね にてその所に至れば、よく見ゆるよし、里人いふ。これはむかし三韓より撞鐘を船に積みて渡せしに、竜神その鐘を望み、こ の海に至りて、波風にはかに起り、船くつがへりて、鐘はつひに海底に沈みぬ、三韓より渡りしてとはふるきことにゃ、万葉 集の歌にも、 (注4) (注3) しか すめかみ 千早振る鐘の岬を過ぐれども我は忘れず志賀の皇神 読人しらず と出でたり。また、新古今にも、 (注5) 白波の岩打つ音やひびくらん鐘の岬の暁の空 衣笠内大臣 (注6) また、家の集、 音にきく鐘の岬はつきもせずな ひびくわたりなりけり 俊頼 (注7) おほせ Slett) また、大名寄に、 聞きあかす鐘の岬のうき枕夢路も彼に幾夜へだてぬ など、諸集に見えて、むかしより竜宮の物とて人々おそれ、誰取りあげんとせし人も無かりしに、当君の先祖、黒田長政、こ の国の太守となりて、「この崇福寺を菩提寺に取り立て、いまだ程よき鐘もなければ、新たに造り鋳んよりは海中にある鐘こ そ名高き鐘なれば、引き上げてこの寺に寄附せん」とありしを、諸臣皆、「この鐘は竜神の惜しみ給ふと古来より申し伝へ候へ ば、今更引き上げ給はんもおそれ有り」と諫めしに、元来長政勇将なれば、聞き入れ給はずして、「我が用にて我が領内にあ る物を取るに、竜神とて惜しむやうやある。早くも海より引き上げよ」とて、数十艘の船を浮べ、鐘の竜頭に大綱をおびたた (注8) りゆうづ Yat Jist さう 税

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