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歴史 中学生

青線で引いた、支持者の公職追放とはどのような意味ですか?冷戦や朝鮮戦争あたりの範囲です

Nc Da 2,冷たい戦争の始まり [米ソの対立とアジア・アフリカ ] ① 「国際連合」の成立 (1945.10) 51 か国 . 東ヨーロッパを中心に、 多くの社会主義国が誕生 ※ 米ソの対立 (冷たい戦争 ) 西側陣営 東側陣営 P.240 ~ 5大国 → 1945年4月サンフランシスコで国際連合憲章を採択 (安全保障理事会の設置 「拒否権 」 ~常任理事国・・・・・・アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国 本部は、 〔ニューヨーク ] 第三世界 ② アジア諸国の独立 集団安全保障体制 ・・・・・・・ (アメリカ) 中心の資本主義陣営 1949年 [北大西洋 条約機構 ・(ソ連)を中心とする社会主義陣営 1955年 [ワルシャワ ] 条約機構 新しく独立した南の国々 ンド、アジア、アフリカ ・1949年、 中華人民共和国の誕生 (共産党) →主席(毛沢東 ・1948年、ベルリンの分断 (東西に)→ 1945年 インドネシア (オランダ 1946年 フィリピン (アメリカ 1947年 インド 1945年 ベトナム → 東ドイツ(東側) 西ドイツ (西側) →(イギリス )から独立 →(フランス)から独立 軍事境界線 朝鮮戦争 (1950年~1953年) 1948年、北緯 (38) 度線を境に、南北に分裂 . • 1950年、朝鮮戦争始まる → 1953年、休戦協定 国民党 : 台湾へ )から独立 )から独立 日本への影響 日本経済は好景気 (朝鮮特需)となる → アメリカの占領政策の転換 「警察予備隊ができる (1950年) = NATO 〔北 : 中国 南 : アメリカ] 日本=「共産主義に対する防壁」(反共の砦) [ × 非軍事化・民主化 ] 1948年 官公庁の争議権を禁止 1949年 財政の引きしめ、 増税→中小企業の倒産、失業者 →労働運動の高まり →共産党の党員、支持者の公職追放」 保安隊 (1952年) →旧軍人、政財界人の追放を解除 (公職復帰) 「自衛隊に ( 1954年) 1 て D

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歴史 大学生・専門学校生・社会人

わからないので考えて欲しいです

質問1: 内藤湖南は次の史料のような主張もしています。 史料:内藤湖南 「支那の国際管理論」 そ 今日の世界の重大問題は支那問題である。 ··· 支那が特別に重大問題となるのは、其の大切な関係のある広大な土 而して現在の支那の政治家に依つては到底 ほとん あ ため しこう よ 地人民が極めて微弱な殆ど放漫な統治状態に在るが為である。 これ しばしば びんらん たんしょ 之を完全に統治し得る見込がない。 それが為に屡々世界平和素乱の端緒となるのが常に各国の心配の種となっ ここ その て居る。茲に於いて之に対する救済策が講ぜられる。 現在其救済論として知られて居る二つの流れがある。 其の ども も しこう ひとつは老年支那は全く其の救済者たる見込がないけれ共、 青年支那、即ち新に外国風の教育を受けた支那人は 支那を救済する資格を有して居ると考へて、之を守り立て 支那人自身をして支那を救済せしめようと考へるのが 其の一つで、之は主に米国人の議論に多いのである。 而して英国人も学者の側には多少さういふ意見がある。 今 ど 一つは老年支那も青年支那も等しく支那を救済する資格はない、 支那の統治を完全にすることは何うしても外国人 の力に依らなければならぬと考へるのであつて、 其結果支那の国際管理を主張することになる。之は英国人殊に その こと 実際家たる支那通の方に多い意見である。 いわゆる ごと あるい しこう …所謂支那の国際管理の如きは或は自分が最も早い主唱者であるかも知れぬ。 而して支那の為に考へ もし 若くは日本の立場から言っても、 決して左様な成行を希望して居るのではないが、 世界の平和の維持並に支那人 民の救済から考へて、 左様に成行くより外に道がないのではないかといふ意味で警告して居たのである。[内藤湖 南「支那の国際管理論」 『表現』 12 1921年。 のち 『内藤湖南全集』 5 筑摩書房、1972年所収。] あなたは、このような内藤の主張をどのように評価しますか。 あなたの意見を書いて下さい ( 300字以上)。

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質問1: 内藤湖南は次の史料のような主張もしています。 史料:内藤湖南 「支那の国際管理論」 そ 今日の世界の重大問題は支那問題である。 ··· 支那が特別に重大問題となるのは、其の大切な関係のある広大な土 而して現在の支那の政治家に依つては到底 ほとん あ ため しこう よ 地人民が極めて微弱な殆ど放漫な統治状態に在るが為である。 これ しばしば びんらん たんしょ 之を完全に統治し得る見込がない。 それが為に屡々世界平和素乱の端緒となるのが常に各国の心配の種となっ ここ その て居る。茲に於いて之に対する救済策が講ぜられる。 現在其救済論として知られて居る二つの流れがある。 其の ども も しこう ひとつは老年支那は全く其の救済者たる見込がないけれ共、 青年支那、即ち新に外国風の教育を受けた支那人は 支那を救済する資格を有して居ると考へて、之を守り立て 支那人自身をして支那を救済せしめようと考へるのが 其の一つで、之は主に米国人の議論に多いのである。 而して英国人も学者の側には多少さういふ意見がある。 今 ど 一つは老年支那も青年支那も等しく支那を救済する資格はない、 支那の統治を完全にすることは何うしても外国人 の力に依らなければならぬと考へるのであつて、 其結果支那の国際管理を主張することになる。之は英国人殊に その こと 実際家たる支那通の方に多い意見である。 いわゆる ごと あるい しこう …所謂支那の国際管理の如きは或は自分が最も早い主唱者であるかも知れぬ。 而して支那の為に考へ もし 若くは日本の立場から言っても、 決して左様な成行を希望して居るのではないが、 世界の平和の維持並に支那人 民の救済から考へて、 左様に成行くより外に道がないのではないかといふ意味で警告して居たのである。[内藤湖 南「支那の国際管理論」 『表現』 12 1921年。 のち 『内藤湖南全集』 5 筑摩書房、1972年所収。] あなたは、このような内藤の主張をどのように評価しますか。 あなたの意見を書いて下さい ( 300字以上)。

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