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世界史 高校生

歴史総合です 問題5の答えがわかりません。

先生:今日は日本の産業革命の様子について見ていきましょう。 官営事業の拡大をはかった政府はさらに殖産興業をと え、民間の経済活動をうながします。 そして、 (1) が大蔵卿に就任すると 1882年、 中央銀行として(2)を 設立します。 その後、貨幣制度が安定したことを背景に企業勃興がおこり、 1897年には(3)。 生徒:運輸の分野の発展の様子を見ると(4) 紡績業の発展の様子を見ると(5) 先生:それでは、(A)グラフを参考に日本とアジアとの関係、欧米との 関係を考えてみましょう。 また、 植民地の経済的な役割について も考えてみましょう。 生 綿花 その他 43% 1913年 30% その他 32% 36% 1913年 輸出品 輸入品 生徒それぞれの地域がどのような製品の輸出入先だったか、 6 3246万円 7億2943万円) 11% 砂糖 5% 着目するとよさそうですね。 米 5% 7% 豆・大豆5%- 機械類 7% 織物 5% 織物 6%・ 1913年主要輸出品輸出・移出先 1913年主要輸入品輸入・移入先 生糸 綿糸 アメリカ フランス イタリア その他 香港 綿花 アメリカ //// 英領インド///// -その他 ベルギー 中国 オーストラリア 鉄類 機械類 イギリス ドイツ 絹織物 イギリス タイ 「英領インド * 仏領インドシナ連邦!!! 台湾 朝鮮 綿織物 関東州 朝鮮 大豆・豆粕 関東州 中国 _フィリピン 砂糖 オランダ領東インド (インドネシア) 0 20 40 60 80 100 120 140(%) 0 20 40 60 80 100 120 140 160(%) 100%をこえる分は移出・移入 〈対植民地〉。 大蔵省編 「大日本外国貿易年表』、台湾総督府 「台 湾外国間及内地間貿易年表」、 台湾総督府 「台湾外国貿易月表」より作成) 問題」(1)(2)に入る語句の組み合わせとして正しいものをア~エより一つ選びなさい。 ア. ( 1 ) -大隈重信 (2) - 日本銀行 イ. (1) 大隈重信 (2) 国立銀行 ウ.(1) 松方正義 (2) - 日本銀行 エ. (1) 松方正義 (2) 国立銀行 【知識・技能】 解答番号 30 問題2 (3)に入る先生の発言として正しいものをア~エより一つ選びなさい。 【思考・判断・表現】 解答番号 31 ア. 金本位制が採用されます イ. 銀兌換の銀行券を発行します ウ. 官営製鉄所を建設します エ.工場法が制定されます 問題3 (4)に入る生徒の発言ア~エのうち、誤っているものを2つ選びなさい。 【思考・判断・表現】 解答番号 32-1-32-2(完全解答) ア.政府が設立した日本鉄道会社などの鉄道会社が幹線の整備を進めていきます イ.1906 年の鉄道国有法によって幹線の民営鉄道は買収され、統一的に経営されます ウ.海運では日本郵船会社が、 政府が命令した航路で定期運航する条件で補助を受け、発展します エ. 日清戦争後には船舶の需要が低下し、政府は造船や海運を奨励しなくなります 問題4(5)に入る生徒の発言として誤っているものをア~エより1つ選びなさい。 【思考・判断・表現】解答番号 33 ア. 大阪紡績会社が開業し、 国産綿花を用いた生産で成功をおさめます イ.1890年には綿糸の国内生産量が輸入量を上まわります ウ. 日清戦争後、1897年には綿糸の輸出が輸入を上まわります エ. 豊田佐吉が力織機を開発し、綿織物の生産、輸出ものびていきます 問題5 下線部(A)について、1913年のアジアにおける日本の輸出入・移出入関係を65 字以内で述べよ。 「植民 地」 「租借地」 「日本経済」という語句を必ず用いること。 【思考・判断・表現】 解答番号 34

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世界史 高校生

社会苦手なので教えて欲しいです よろしくお願いします

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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世界史 高校生

優しい方教えて欲しいです。 よろしくお願いします

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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世界史 高校生

どなたか優しい方この課題教えてもらえませんか? よろしくお願いします。

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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世界史 高校生

⑦⑧⑭⑯が分からないです。 1つでもいいので分かる方教えて欲しいです!

1部2章2節 大航海時代と新たな国家の形成 6アジア·アメリカに進出するヨーロッパ 【教科書p.90~91) 圏ヨーロッパ諸国のアジアへの進出 ■アジアにおける植民地化の開始 言確認 ■イギリスとフランスの抗争 (e)17世紀のヨーロッパ勢力は, イラン, (① イラブ), (② 1ンド アジア諸地域の商人の伝統的な商業活動のもとで小規模な交易を行っていた。 空欄に適語を記入して まとめよう。 ).(@ -ド)など (b)18世紀半ば以降はヨーロッパの優位が明らかとなり、 アジアの植民地化が開始 された。その背景としては, 南北アメリカ大陸の安価な (③ 銀 ) の入手。 強大な(の 孝カ ). 世界規模での市場の形成の始まりなどがあげられる。 西アジア·南アジアへ最初に進出。中国の(⑥ 器 )を ヨーロッパに紹介し, (⑤)ブームが起こる 16 ポルトガル 世紀 オランダ | ( インド会社 アジアでのインドネシアの(① 17|オランダとが(® 世紀 イギリスのインドへ転換→3度の(@ 栄蘭(件リスーオランダ)発争 抗争 )を設立してさかんに活動 )貿易をめぐり抗争,オランダ で勝利,イギリスは進出先を 戦争を経てイギリスがアジア貿易の主導権をにきぎる イギリス·フランスは(① たら )の漁場を求め北米に進出 北アメリカ仏= (① カプダ )やルイジアナに植民地を築き, 先住民と 大陸での イギリスと民地を築き,タバコなどの( 18|フランスのを広げて先住民と対立。 1755年,英と仏先住民連合軍の 世紀抗争 (@そ及 )交易を行う。英=(® /ギリス )岸地域に植 間に戦争が勃発。ヨーロッパで (G七年戦等 ) が起こる とイギリスは植民地での戦争に力を注いで勝利をおさめた イギリス北米やインドを支配下において世界帝国への道を歩み始める 大西洋三角貿易と奴隷制 )イギリスなどの商人は, アフリカで武器や雑貨と引きかえに住民を安価に購入し て労働力が不足する新大陸に(⑥ ヒーなどを得て多大な利益を得た。 これを (①大西洋三角賀易 )として売り,かわりに砂糖やコー )とよ ぶ。この結果,アフリカでは人口が激減して伝統的な社会が崩壊し, 新大陸に連 れ去られたアフリカ系住民は長く人権を奪われたままの状態が続いた。

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世界史 高校生

⑥と⑩、⑯を教えて欲しいです!

された。その背景としては、南北アメリカ大陸の安価な(③銀)の入手。 )植民地化が開始 ぶ。この結果,アフリカでは人口が激減して伝統的な社会が崩壊し, 新大陸に連 治大な(の軍専 ),世界規模での市場の形成の始まりなどがあげられる。 16 ポルトガル 世紀 西アジア- 南アジアへ最初に進出。中国の(⑤ 石器)を ヨーロッパに紹介し、(⑥)ブームが起こる オランダ|( アジアでの「インドネシアの(①幸料) h )を設立してさかんに活動 貿易をめぐり抗争,オランダ 2で勝利,イギリスは進出先を 17|オランダとが(® 世紀イギリスのインドへ転換→3度の (④央蘭 (件リスーオランタ) 抗争 戦争を経てイギリスがアジア貿易の主導権をにぎる イギリス·フランスは(0 北アメリカ仏= (① カナダ 大陸での )の漁場を求め北米に進出 )やルイジアナに植民地を築き, 先住民と )岸地域に植 ( 毛皮 )交易を行う。英3 (() イギリスと民地を築き,タバコなどの(④ プランラーション 18|フランスのを広げて先住民と対立。→1755年,英と仏·先住民連合軍の 世紀抗争 間に戦争が勃発。ヨーロッパで (6 七年戦争 ) が起こる とイギリスは植民地での戦争に力を注いで勝利をおさめた イギリス |北米やインドを支配下において世界帝国への道を歩み始める ■大西洋三角貿易と奴隷制 (a)イギリスなどの商人は, アフリカで武器や雑貨と引きかえに住民を安価に購入し )として売り、かわりに砂糖やコー て労働力が不足する新大陸に(B ヒーなどを得て多大な利益を得た。 これを (① 大西洋三角習目 ぶ、この結果、アフリカでは人口が激減して伝統的な社会が崩壊し,新大陸に連 の )とよ

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