バルカン半島での
対立
20世紀初頭、列強の二極分化が進み、 協商
→p.90
国と同盟国の対立が深まった。 対立の焦点
しょうてん
となったのは、新たに独立した国々が領土をめぐってにらみあい、列強
も外人の野心をもつバルカン半島で、その状況から「ヨーロッパの火薬
にちろ
庫」と呼ばれた。とりわけロシアは、日露戦争の敗北によって再びバ
ルカン半島に目を向け、オーストリアもまたバルカン半島での影響力を
広げようとしていた。 1908年、青年トルコ革命によるオスマン帝国の混
→p.96
乱に乗じて、 オーストリアはベルリン会議で行政権を得ていたボスニア・
→p.50
へいごう
ヘルツェゴヴィナを併合した。 セルビアはこれに強く反発し、同じ正
教国として関係の深いロシアに支援を求めた。
1912年、ロシアはセルビアやブルガリアなどのバルカン諸国に働きか
け、反オーストリアのバルカン同盟をつくり、 オスマン帝国と戦って勝
利した(第1次バルカン戦争)。 しかし翌年、獲得した領土の分配をめぐ
って同盟諸国間での戦争 (第2次バルカン戦争) が生じると、 敗北して多
かくとく
BALKAN TROUBLES
Revan tick
おおがま
1 「ヨーロッパの火薬庫」 い
まにも吹きこぼれそうな大釜
には「バルカン問題」と書かれて
おり、おさえ込もうとする列強
も戦々恐々としている。
Q
バルカン半島は、なぜ
「ヨーロッパの火薬庫」
と呼ばれたのだろうか。