学年

教科

質問の種類

日本史 高校生

この問題が分かりません!!答えがないので教えていただけると助かります😭

3 明治日本の秩禄処分 (教 P.51 傍注参照) に関して、次の資料は、 秩禄を全廃するにあたり、 その代 償として交付された金禄公債証書である。 また、下の表は金禄公債証書の交付状況を示したものであ る。これらをもとに考察した下の文XYについて、 その正誤の組合せとして正しいものを、下の 1 ~4のうちから一つ選び、解答欄に番号を書きなさい。 【 思考・判断・ 表現】 資料 (注1) 左は額面10円の金緑公債証書であ り、その他にも5000円 500円 50円 など8種類の金様公債証書が存在した。 下の部分には利子の引換券がついてお り( の部分),証書の所有者はこ れを切り取り(この証書の場合、1枚 35銭)、年2回に分けて現金を受領 した。 表 金禄公債証書の交付状況 金禄高 公債 (階層) 「」から 1000円以上 金禄高に 利子 乗ずる年数 5.00 公債受取人員 公債総発行額 一人平均 (割合) (割合) 公債交付額 519 人 3141 万 3586円 や砂糖 5% 6万527円 (旧藩主中心) ~7.50 (0.2%) (18.0%) 100円以上 6% (上・中級士族) 10円以上 7% (下級士族 ) 7.75 ~11.0 11.50 ~14.00 15,377 人 2503万8957 円 1628円 売買家禄 10% 10.00 (4.9%) 262,317 人 (83.7%) 35,304 人 (11.3%) (14.3%) 1億883万8013円 415円 (62.3%) 934 万 7657円 265円 (5.4%) (「日本経済史」より作成) (注2)金禄高×金禄高に乗ずる年数公債交付額である。下級士族の公債交付額は一人平均415円 であり、公債利子は年間で415円×7%=29円5銭となる(1円=100銭)。なお、当時の 大工手間賃は日給で40~45歳であった X 資料の額面の証書を受け取ることができた人は、 519人であった。 Y 下級士族層は金禄高に乗ずる年数や利率で上・中級士族層より冷遇されたため、+ 分な生活費を得ることができなかった。 1 X IE Y IE 3 X Y 正 2 X 正 Y 4 X Y 誤 解答欄

回答募集中 回答数: 0
日本史 高校生

下の①の文章をわかりやすく教えてください

ざす政 徴兵告 国民皆 布した 。 3年間 省は、 翌 15 れた。 主 司 新政府は,四民平等のたてまえや外国への体裁, 民間からの建議などもあって, をは 裏により解放は中断した。 1871(明治4)年8月, 今後は, 賤民の身分・職業を平民と同様に取り扱ういわゆ る解放令を布告した。 政府が解放令を出したことの意義は大きかったが,それにみあう十分な施策は や軍役の徴用 おこなわれなかった。 そのため, 結婚や就職などでの社会的差別は続いた。また, 従来は彼らに許されていた特定の職種の営業独占権がなくなり, 逆に兵役・教育 の義務が加わったので,これらの人びとの生活はかえって苦しくなった。 よって、男女の差別はあったが,同じ義務をもつ国民が形成された。 しかし、政府は華族士族に対して, 額を減らしたが依然として家禄を支 しょうてんろく 王政復古の功労者には賞典禄を与えていた。 この家禄と賞典禄をあ おうせいふっこ ちつろく わせて秩禄というが, その支出は国の総支出の約30%を占めて大きな負担と なった。政府は1873(明治6)年に希望者に対して秩禄の支給をとめるかわり ほうかん に一時金を支給する秩禄奉還の法を定め,さらに1876(明治9)年にはすべて きんろくこうさいしょうしょ の受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債 証書を与えて秩禄を はいとうれい 職廃した (秩禄処分)。 ここに,同年の廃刀令とあわせて, 士族はおもな特権 を奪われた。 かんり じゅん 小禄の士族が受けとった公債の額はわずかであったから,官吏·巡 査・教員などに転身できなかった多くの士族は生活に困り,公債を元手にな れない商売に手を出し, 失敗して没落したものも多かった(「士族の商法」)。 このような士族に対して,政府は事業資金の貸付や, 北海道開拓事業など士 じゅさん 族授産の道を講じたが, 成功した例は少なかった。 2. 緑の少ないものほど, 禄の割に多額で利率が高い公債証書を受けとったが, それでも1876 (明治9)年の公債の額は,華族が1人平均6万円余りであったのに対し, 士族は1人平均500 円ほどであった。 明治維新と富国強兵 265

未解決 回答数: 1
日本史 高校生

金禄公債証書の公債ってどういう意味ですか?

省 住 7871( 太平民 にも では、 きん 御用金の上納や軍役の徴用 をはかる見返りとして一部を解放したが、 幕府の崩壊により解放は中断した。 新政府は,四民平等のたてまえや外国への体裁, 民間からの建議などもあって 1871 (明治4)年8月, 今後は,賤民の身分・職業を平民と同様に取り扱ういわゆ る解放令を布告した。 政府が解放令を出したことの意義は大きかったが, それにみあう十分な施策は られなった。政府は1873 (明治6)年に希望者に対して秩禄の支給をとめるかわり ほうかん に一時金を支給する秩禄奉還の法を定め, さらに1876(明治9)年にはすべて 10 せんみん めに, 賤民 おこなわれなかった。 そのため、結婚や就職などでの社会的差別は続いた。また、 従来は彼らに許されていた特定の職種の営業独占権がなくなり、逆に兵役・教育 の義務が加わったので,これらの人びとの生活はかえって苦しくなった。 よって, 男女の差別はあったが,同じ義務をもつ国民が形成された。 しかし、政府は華族士族に対して,額を減らしたが依然として家禄を支 おうせいふっこ しょうてんろく 給し,王政復古の功労者には賞典禄を与えていた。この家禄と賞典禄をあ ちつろく わせて秩禄というが, その支出は国の総支出の約30%を占めて大きな負担と きんろくこうさいしょうしょ はいとうれい の受給者に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与えて秩禄を 全廃した (秩禄処分)。 ここに、同年の廃刀令とあわせて, 士族はおもな特権 を奪われた。 じゅさん 族授産の道を講じたが, 成功した例は少なかった。 じゅん 小禄の士族が受けとった公債の額はわずかであったから、菅吏 祉・教員などに転身できなかった多くの士族は生活に困り,公債を元手にな れない商売に手を出し, 失敗して没落したものも多かった(「士族の商法」)。 このような士族に対して,政府は事業資金の貸付や, 北海道開拓事業など士 円ほどで (明治9)年の公債の額は,華族が1人平均6万円余りであったのに対し, 士族は1人平均500 緑の少ないものほど、緑の割に多額で利率が高い公債証書を受けとったが, それでも1876 国強兵 265

解決済み 回答数: 1
日本史 高校生

問3のbについてお聞きしたいです。 国立銀行条例では正貨兌換を義務付けられていたはずなのに、どうして国立銀行の銀行券は不換券である(エ)が答えになるのでしょうか?

問 [ の戦費を調 1877年に政府が②を増発したのは するためである に当てはまる語句を答えよ。 問2⑥ の銀行券を発行した銀行をそれぞれ答えよ。 問3⑥ⓒの銀行券の性格を次からそれぞれ1つ選び、 記号で答えよ。 ア. 金兌換券である。 ウ. 金でも銀でも兌換できた。 エ.不換券である。 問41882年から85年にかけて②が大きく減少している。 紙幣整理を推進した大蔵卿は誰か。 問1 イ. 銀兌換券である。 西南戦争 問2⑥ 下記の設問に答えよ。 国立銀行 ! (I) 1.5 億円 1.0 日本銀行. 0.5 ①県令三島通庸が農民に労役を課して県道をつくろうとしたことに対して, 農民が抵抗した。 ②困民党を称する農民が負債の減免を求めて蜂起し, 高利貸郡役所などを襲撃した。 10 問3⑥ 問4 ・東京卸売物価 (1868年 100) a エ 銀貨1円に対する紙幣 この年平均相場 (右) 問5 問4の大蔵卿が同時に推進した財政政策を次の中 から1つ選び,記号で答えよ。 ア. 鉄道の国有化を進めた。 イ. 軍事費以外の歳出を徹底的に緊縮した。 エ秩禄処分を断行した。 ウ.官営工場・官営鉱山の増設をはかった。 問6 問5の財政政策は農村に大きな影響を与えた。 これに関して次の各文の正誤を判断し, ○×の記号 を解答欄に記せ。 (ア) 米や繭などの物価が著しく上昇し, 農民の生活は苦しくなった。 (イ) 生活に困窮した自作農が, 土地を手放して小作農に転落する動きがみられた。 (ウ) 地主が所有地を小作人に貸しつけて高額の地租を取り立てるようになった。 (エ) 土地を失った農民が, 都市に貧民として流れ込む動きがみられた。 問7 問6のような農村の窮迫は民権運動に大きな影響を与え, 自由党員や農民による騒擾事件が各地で おこった。 これに関する次の①と②の事件名をそれぞれ答えよ。 C である。 ⓐ 0 1877年 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 O 200 -150 100 2.0 円 1.5 1.0

解決済み 回答数: 1
日本史 高校生

問1の答えあっていると思いますか?答えがないので教えて頂きたいです。

第7問 災害史 日本列島は自然豊かであると同時に、自然災害ともつねに背中合わせの歴史を歩んできた。 災害に関する下の問い (問1~4)に答えよ。 問1次のグラフと表は、古代の飢饉の原因について、『続日本紀」などを基にデータをまと めたものである。 これらを見て、 下の問い (1) (2) に答えよ。 グラフ 表 8% 256%- 679年 ~791年 1000年 - 1099 F 1150年 ~1200年 158 1200年 ~1299年 日本紀』に記載された干ばつ、風雨 地震災害 煌害の件数と比率 全国計 近畿 東海 山陽・四国 東北 (出羽・ 陸奥) 関東 173 45% 31.3% 133 50 52 RE SORELL - THIE 降雨 寒冷 高温 59 67 24.7% 4.2% 28.0% 52 35 21.1% 42 3.9% 16.3% 85 10.8% 14 10 13.5% 24 21 [] 干ばつ | 風雨地震・災害蝗害 14.5% 87 31% 見益吉郎(1979) 日本紀に見ると京都大学学会誌による。 10 154 56% 121 乾燥 104 43.1% 55 33.1% 51.8% 377 47.7% 15.3% 198 41 73 1280年 1350年 60.7% 4.3% 12.6% 22.4% 72 4 13%- 28.0% 207 26.2% 計 239 166 257 790 5 16% 326 6 19% 16 52% (1) グラフと表から読み取れることを説明した文XYについて,その正誤の組合せとし て正しいものを、 下の①~④のうちから一つ選べ。 X 飢饉の原因について地域による差異はなく、どの地域でも干ばつが最も多い理由であ った。 Y 飢饉の原因は気候変動に左右されるため、年代によっては大きく異なる。 4 X-E Y-E @ X-IE Y一誤 ③ X 一誤 Y-E X誤 Y一誤 (2) 次の文章はある地域の風土記のものである。 この風土記が記された地域を下のX・Y から、その理由として最も適当なものを下の①~④のうちから一つ選べ。 「霖雨に遭はば、即ち苗子の登らざる歎を聞き, 亢陽に遭はば,唯 穀実の豊稔なる よんこな 歓をみむ」 3 地域 X 出雲 理由 常陸 長く雨が降ることを喜んでいるため、干ばつの飢饉が多い東日本の風土記であると判 断できるから。 長く雨が降ることを喜んでいるため、長雨による飢饉が多い西日本の風土記であると 判断できるから。 日照りが続くことを喜んでいるため、長雨による飢饉が多い東日本の風土記であると 判断できるから。 日照りが続くことを喜んでいるため、干ばつの飢饉が多い西日本の風土記であると判 断できるから。 問2 次の資料は18世紀に起きた江戸時代で最大の飢饉の様子を記録したものである。これ を読み. 下の問い(1) (2)に答えよ 資料 出羽陸奥の両国は、 常は豊穣の国迫しが、 此年はそれに引かへて取わけての不熟 にて、南部津軽に至りては余所よりは甚しく (中略)元より貧しき者共は生産の 手だてなく. 父子兄弟を見棄ては我一にと他領に出さまよひ嘆き食を乞ふ されど. 行く先へも同飢饉の折からなれば、他の人には目もかけず. 一飯あたふる人も なく日々に千人. 二千人流民共は餓死せし由 又出行事の叶ずして残り留る者 は食ふべき物の限り食ひたれど、後々には尽果て先に死たる屍を切取喰ひしま (後略)。 ( 『後見草』) (1) 資料に描かれている地域を地図のアイから選び、資料から読み取れる内容をウエ から選んだ場合、その組合せとして最も適当なものを、下の1~4のうちから一つ選べ。 A 地図 内容 ウ地域のなかには豊かな収穫があった地域も存在したため、 他領からきた困窮化した人 びとに食事を恵むことがあったことがわかる。 エ貧しくても他領に移動できない人びとのなかには屍さえも食すほど飢餓に苦しむ人び ともいたことがわかる。 59

回答募集中 回答数: 0
1/5