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古文 高校生

古文、沙石集の問題。 問7の正解は1なのですが、4がだめなのはなぜでしょうか? どなたか教えてください。

りぬ。 かごろ しける。 ごぼう 次の文章は鎌倉時代に成立した仏教説話集 『沙石集』の一 がくしやう のち しゃうじよ ほんぞん 中比、(注1) 南都に(注2)学生ありけり。他界の後、弟子の僧、(a)かの生所おぼつかなく思ひて、本尊にぞ祈念 かすが みやしろ まう ある時、(注3)春日の御社へ詣づるに、道にて師匠行き逢ひぬ。 夢の心地しけり。 「御房の、法師が生所を)ゆかしく思は(ア)るる、時に(c)見せ申さん。いざ給へ」 たま と云ひて、春日山へ入りけり。さて見れば、興福寺の如くなる寺あり。(注4)僧坊ども多し。かの室へ入りて、 「ここにて法師(d)が様見給へ」 う かうぎやう しやうぞく と云ふ。見れば、(注5)講行の始まると覚えて、面々の室より装束して、僧ども出仕して、講堂の中になみ居つ 問答論議、常の如くしけり。 あかがね ごくそつ てうし きもつとう 銚子器物等、落 その後、空よりふりふりと落つる物あり。釜なり。また落つる物あり。(注6)獄卒なり。(注7) ち落ちしけり。さて獄卒、釜の中の銅の湯を銚子に(e)入れて、器物をもて次第に座の僧に引きけり。これを 受けて飲みつつ、悶絶して息絶えて、皆、身も燃えて、灰の如くになりぬ。獄卒も釜も器物もまた皆失せぬ。 もんぜつ はんときばか しゅつしやう もと ぼうぼう (t)あさましく見る程に、半時許りありて、また次第に出生して、(g) 本の如くになりて、また房々へかへり入 みやう がく ゆゑ くげん 「(E)いかに御房、我がやうは見られつるか。これは仏法を名利のために学する故に、この(注8) 苦患を受くる事 絶えず。さすがに仏法を学びし故に、論議問答するなり。名利を離れて修行すべかりけるを、口惜しき道 に入れ」 くちを と、泣く泣く語りけり。さて、送られて山を出づ。本房へかへりて夢の覚めたるが如し。 だうしんおこ ゆくえ たが かの僧、 道心発して修行に出づる後は、その行方を知らずといへり。因果の道理、違ふべからず、慎む (オ) べし慎むべし。 注(1)南都奈良。 (2)学生学問修行を専門にする僧侶。 (3)春日の御社奈良県にある春日大社。 (4)僧坊寺院に付属して建てられている、僧侶が住む建物。 (5)講行―経典の講義。 (6)獄卒地獄で罪人を責める鬼。 (7)銚子酒を注ぐ道具。 (8)苦患苦しみと悩み。

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古文 高校生

(2)を教えてください

- 3 16 説話を読む 沙石集発心集 ●ガイド 仏教説話は訓 我が底に流れている。 人 物の動作・状態 ・心の動 きを細かく理解する。 次の文章を読み、あとの問いに答えなさい。 昔、伊豆の国の、ある所の地頭の若く、猟のついでに、猿をとりて、柱に しばりつけておきにけるを、母の尼公慈悲ある人にて、「あら、いとほし。冠 者ばら、あれときゆるして、山へやれ。」と言へども、 主を恐れて、とくもの なかりければ、我とときゆるして、山へおひやりてけり。 これは春の事なり けるに、夏のころ、いちごを柏の葉につつみて、人のひまに持ちて来てけり。 あまりにあはれに覚えて、布の袋に大豆を入れてたびたりける。 九月ばかり に、彼の袋に栗を入れて持ちて来たりける時、あまりに不思議にも、いとほ しくも覚えて、とらへておきて、子供召して、かかる心ある次第かたりて、 かしは 注2 「これ程に恩を知る、心あるものなり。今より以後、比の後に、子々孫々ま 注3 で 殺さじと起請を書け。さらずは、親子の縁あるべからず。」とて、起請 書かせて、当時までも、彼の所に猿殺すことなしと申し伝へたり。(沙石集) 団 1冠者―年少の召使い 2 たびたりける―与えた 3起請―神仏などに誓 いをたて、自分の決意を示す文 1【人物吟味】 -線②の「主」とはだれのことですか。書きなさい。 (地頭の若い男 【内容吟味】 -線⑨を具体的に四字以内のことばで書きなさい。 【口語訳】 一線①⑧⑤の現代語訳として最もふさわしいものを、 次から選んで、記号で書きなさい。 ①⑦ 気の毒だ イ 困る いじらしい エ かわいい ⑧ 他の人がひまな時に イ他の人がいない間に 古典 NE 75 (r にエ ( ( ウ 人々の

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古文 高校生

「日本人が水を鑑賞する行為の極致」とは何か 教えてください!

日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのであ 4こううんりゅうすい る。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そうい てんりゅう う思想はむしろ思想以前の感性によって裏づけられてい 日本の庭園(天龍寺・京都) た。それは外界に対する受動的な態度というよりは、 極的に、形なきものを恐れない心の表れではなかっただろうか。 日本人の米に対~ 見えない水と、目に見える水。 もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのに もはや水を見る必要さえないといえる。ただ断続する音の響きを聴いて、その 隙に流れるものを間接に心で味わえばよい。そう考えればあの「鹿おどし」は、 日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだといえるかもしれない。 山崎正和 1934年〔昭和9] 2020年 [令和2] 111m/ HOR K 間が抜ける 言うまでもなく 人工自然・天然 鑑賞 観賞 京都府に生まれた。劇作家、評論家。芸術論・演劇論・文明批評・伝統文化などの多彩 なテーマについて、広い視野と柔軟な思考とによって評論活動を行う。主な著作に、戯 『世阿弥』、評論『劇的なる精神』『鷗外 闘う家長』『柔らかい個人主義の誕生』など がある。「水の東西」は、『混沌からの表現』(一九七七年刊)に発表。本文は『混沌から の表現』(二〇〇七年刊)による。 E- 4行雲流水 空を行く や流れる水のように、 物事に執着せず、自然 のままに行動すること 「その間隙」とは、何 を指すか。 m 水の東西

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古文 高校生

沙石集 兼盛と忠見 忠見が「不食の病」になったのは何故ですか?

大内裏 沙石集 兼盛と忠見 天徳の御歌合のとき、兼盛、忠見、ともに御随身にて左右についてけり 初恋といふ題を給はりて、忠見、名歌詠み出だしたりと思ひて、兼盛もい かでこれほどの歌詠むべきとぞ思ひける 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか らつめども色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の間ふまで 判者ども、名歌なりければ判じ煩ひて、天気を伺ひけるに、帝、忠見が さて、すでに御前にて講じて、判ぜられけるに、兼盛が歌に みかど 歌をば両三度御詠ありけり。兼盛が歌をば多反御詠ありけるとき、天気左 ん 点 りにけり 忠見、心憂くおぼえて心ふさがりて、不食の病つきてけり。頼みなき由 聞きて、兼盛、とぶらひければ、「別の病にあらず。御歌合のとき、名歌 ヘrに 回 詠み出だしておぼえ侍りしに、殿の「ものや思ふと人の間ふまで」に、あ はと思ひて、あさましくおぼえしより、胸ふさがりて、かく重り侍りぬ。」 と、つひにみまかりにけり。執心こそ由なけれども、道を執する習ひ、あ はれにこそ。ともに名歌にて「拾遣」に入りて侍るにや。あん (とコ) 沙石集」の編者は、忠見のあり方をどのように評価して いるか。説明してみよう ことばと表現 -それぞれ現代語訳してみよう。 eいかでこれほどの歌詠むべき(三,2) 2人知れずこそ思ひそめしか (三.4) 沙石集●無住作。仏教揃 年に一度まとまった後- 庶民の生活を語る説話。 古典文学大系」による 無住 三~1三三"

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