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の女 人
演習12
目標時間9分
チェーザレ、パヴェーゼの日記には「何月何日のところに……ということを追加」あるいは「何月何日に書いたこと
からは……という結論になる」といった記述がしばしば登場してくる。しかも追加される内容は、当日は記さずにあと
になって思い出した出来事ではなく、きわめて抽象的な思念である。ただひたすら自分の日記に読みふけっている作者
の孤独な姿がありありと浮かんでくるようだ。日記(いちいち断るのはわずらわしいので、ただ日記とだけしておくけ
れども、journal intime 正しくは個人がその内面を書き記した日記)をつけること自体、あるいはそれを公刊さえする
ことを、近代精神の《病》と呼んだポール·ブルジェであれば、病はここで極頂にまで達したと評したかもしれない
だが、いかに病気と呼ばれようとも、ある種の人びとにとって、日記はただ毎日つけるだけでは十分ではない。それを
繰り返し読み、かつ意見を追加してゆかなければいけないのだ。再読と記述の追加とは、日記を書くという行為の何か
本質的な部分につながっている。
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Sというのも、ここでは日記を一つの保存装置、とりわけ《自己》を保存する容器と考えたいのだが、何であれ、また
何のためであれ、保存するということは、その保存したものを将来いつか取り出してくるのを前提としているはずだか
らである。今日つくったジャムをいつかは食べるなどとはまったく考えもしないで、瓶に密封するひとがいるだろうか
もっとも、時がたつにつれて、保存したことそのものを忘れてしまう場合はあるけれども
-われわれの多くの日記の
つけ方はこれにあてはまるだろう。しかしパヴェーゼは、けっして忘れることなく、ときどき瓶のふたを開いてはジャ
ムを少しずつなめるような具合に、自分の日記を読みかえし、そのうえ新たな味つけまでしているのだ。つまり保
存という作業の基本を忠実に守っているわけである。
だがそれにしても、保存するものがジャムであるのと自己であるのとでは、保存の姿勢がずいぶんと変わってくる。ジャ
ムの保存は、密封した瓶をあけて内容物を消費しつくした時点でその目的は達成され完結する。他方で日記の再読にあっ
ては、保存の対象はある種のかたちで消費されるとはいえ、しかし減少することはけっしてなく、逆に、記述の追加を
通してたえず自己増殖をつづけてゆくだろう。このちがいは小さくない。保存したものが自己増殖するという点で、日
記を書くということは、むしろ蓄財やあるいは切手、昆虫などの収集に似ているかもしれない。日記に記された内面と
同様に、資本もまた自己増殖をつづけるー
少なくとも最初からそれが消滅することは願われていない||のであり
しかもそのことを確認するために、資本家はたえず帳簿に目を通さなくてはならない。切手の収集家もまた、日毎ふえ