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国語 中学生

この問題の穴埋めが全て分かりません💦😭

得点 新 入試評論文読解のキーワード 300 確認テスト NO.1 現代を深く読むための基本知識 [ p18~40] 組 年 氏名 / 30 次の文章の空欄部に入るべき適語を下の語群より選び、 記号で答えなさい。 2的なものなので 1 とのかかわりの中で絶えず変化し続けている ① 《自分》 というものは、 す。 それを、私たちは 《自分》 という一つの概念でとらえてしまうので、 《自分》という一つのもの 3 が存在すると思い込んでしまいます。 4 の危機)、《自分探し》 に精を出します。 し 現代人は、 しばしば自分を実感できないと嘆き かし、変わらない 《 自分》 などどこにも存在しません。 私たちは、 空しい努力をしているのかもしれ ません。 5 として存在し、自分が生きていくために自覚的に 近代以降、 人間は、まず していると考えられるようになりました。 6 と深く長くかかわって暮らすのではなく、いくつもの しかし、現代人は、特定の 6 の一員としての自覚が稀薄になり、個人という意 浅くかかわって暮らしています。 そのため、 の側面だけが 識だけが肥大化してしまいました。 それはもはや、かつての個人ではなく、《 7 6 を作り出 6 と広く 露出した存在だといえます。 私たちは、現代生活の便利さや豊かさに安住し 8する中で、 社会的な束縛から解放されて軽や 9 かに生きているように見えますが、 実は、人間としての中身を失っているようです 危機は、まさにこのような現代人の状況を象徴するものでしょう。 0 の 私たちは、自分が一人の人間として生きているという実感 10性を取り戻す必要があります。 《語群》 他者 イ 個人 主体 エ客体 * 可塑 カ疎外 キ同一性 ク 有名化 ケ無名化 私 サ シ 社会 X アイデンティティ

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この問題教えてください🙇‍♀️答えはDで、Aと答えました。

1 次の文章は、文学作品について評論を書いてきた筆者が、小説を書き始 めたころのことを振り返って書いたものである。これを読んで、あとの問 3D いに答えなさい。 小説を書き始めてまず突き当たった壁は、評論という形式に馴染んだた めの、事物の抽象的な処理、非具体的な処理であった。 心を動かされた作 品と対い合い、なぜ感動したのかを問うてみる事を分析帰納しながら一 般化できる共通項を抽き出し、敷衍してゆく作業は、当然のこととし て、言葉による明確な結論を自分に要求する。時によっては、結論として の言葉あるいは文章が先に立ち、それを客観的に証明しようとして論理的 な作業をひたすら重ねてゆく。 0. 感動の拠り所を分析帰納して、少しでも論理的に把握したい評論への欲 望と感動の拠り所を分散拡大して、更に強調したい小説への欲望、この 二種類の欲望は、どうやら自分の中には矛盾なく生きているらしい。今更 言い立てるのも気がひけるようなことながら、小説で必要なのは事物の具 体的な表現であって、抽象的な論評でもなければ概念的な記述でもない。 なぜこの作品を書いたかという、作者の直接の言葉は不要であり、結論は、 作者が提示した具体的な事物を通じて読者にゆだねればよい。しかし習慣 は恐ろしい。結論めいた文章を書かない不安と私は長く争うことになる。 7 ofer U.

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この評論文についてです。 傍線部(3)「静かにその名前を呼ぶ心」とは、具体的にどのようなことを指しているか。本文中の語句を用いて、十字以内で答えなさい。 という問いがあります。 模範解答は、「自然を玩味すること。」ですが、私の回答は「自然に対する謙虚さ。」です。 ○、△、×... 続きを読む

急速な工業化によって、日本の自然が事実として乏しくなったという意見があるが、私 はこういう俗説を信じない。むしろ国民ひとりひとりの立場から見れば、ヨカも交通手段 も豊かになって、自然に触れあう機会は飛躍的に増大したはずである。加賀千代女が北海 道旅行をしたという話は聞かないし、芭蕉が一生に歩いた道よりも、現代の学生が夏休み rG f ば しょう にドライヴする距離の方が大きいことはわかりきっている。ただ、われわれはつるべに咲 5 いた一輪の朝顔を見ず、枯れ枝にとまった一羽のカラスに注意を向けないというだけのこ とであろう。見なれた植物の名をあらためて口にのぼせ、たがいにうなずきあう習慣が少 なくなったというだけのことなのである。 がん み 自然を玩味する文章は少なくなったが、それとはうらはらに、自然をむしり取る所有欲 はますます増大するチョウコウがあるという。高山植物の花畑に自動車道路が延び、若い 10 ハイカーたちが遠慮なく草の根をひき抜いて行くらしい。そこにはたぶん恐るべき流離感 があって、現代人は自然を暴力的に所有したいという衝動に駆り立てられているのであろ う。自然にたいする人間の優越性をあまりにも過信して、自分が自然に所有され、自然に 帰属しているという謙虚さを見失った結果なのである。自然を自分の手のとどかない距離 まつ に配って、静かにその名前を呼ぶ心の技術を失った結果だといえる。こういう心の風潮の 5 もとでは、公園や街路樹の増設を要求する声があっても、私はそれを信じる気持ちになれ ない。政治的な言葉で修飾されてはいるが、それもまた自然にたいする所有欲の現れにす ぎないような気がするからである。

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