歴史 中学生 約1ヶ月前 何故ウではなく、アなのでしょうか? 2 次のA~Eはそれぞれ日本の政治の特色について述べた文です。 あとの1~5に答えなさい。 A 古代には、中大兄皇子や中臣鎌足らによって大化の改新が進められた。 B 中世には、 武家政権が打ち立てられた。 室町時代には、大きな戦乱が起こった。 C 近世には、江戸幕府と藩による幕藩体制が整った。 幕末には、 長州藩や薩摩藩が幕府を 倒そうと活動するようになった。 D 近代には、 明治新政府による改革が進められた。 20世紀初頭に起こった第一次世界大戦 後には、国際協調の時代が訪れた。 E 第二次世界大戦後には、GHQによって民主化が進められた。 1952年、 前年に結ばれたサ ンフランシスコ平和条約が発効し、 日本は主権を回復した。 1 Aに関して、次のア~エの中で、大化の改新が行われた7世紀半ばの中国の様子について述べ た文として最も適切なものはどれですか。 その記号を書きなさい。 ア 唐が高句麗へ攻め入った。 イ魏呉蜀に分かれて対立していた。 701 ウ隋が南北朝を統一し、律令を整えた。 秦が中国を統一し、文字や貨幣を統一した。 解決済み 回答数: 1
国語 中学生 3ヶ月前 問4の答えをおしえてください。 2 4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。 (*印の付いている言葉 には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 日本のインテリアの特徴は、柱、障子、畳、天井に生物材料を使い、 それを白木のテクスチェアで統一しているところにある。人間はもとも と生物だから、からだに接するところに生物をおくのがいちばん素直だ し、心も休まる。 生物材料で囲まれたインテリアは、自然と人工とが組 み合わされた空間だから、日本人にとってヒノキやスギの白木の肌は、 戸外の緑と同じ意味あいを持っていた。(第一段 私は木が好まれたもう一つの理由に、仏教の無常観があったことをあ げてよいと思う。われわれの祖先は自然も社会も常に移り変わるものと 悟っていた。その法則にさからわないで暮らしていくのが、日本人の生 き方であった。ヨーロッパでは神の宮居はアテネの神殿のように、永遠 その形を残すものでなければならなかったが、日本では伊勢神宮のよ うに、やがて朽ちていく木でもよかった。 (第二段) ヨーロッパ的な見方からすれば、二十年ごとに造り換えられる神殿は、 原形ではなくコピーだから、価値の低いものと考えるが、日本では芸術 も文化も心の中にあると考えるから、形が伝われば価値は変わらないと 思う。すべてのものは人間の命と同じように、限りあるはかないものと 知っているから、木のように朽ちて自然に帰っていく素材に、心を惹か れたのである。木は仏教の無常観に通ずる恰好の材料であった。(第三段) 以上のように考えてくると、ヨーロッパの「石の文化」 「金の文化」 に対して、日本の「木の文化」が生まれた理由を納得することができる。 だからこそ建物の材料には木のような生物材料が選ばれたに違いない。 その先に濡れ縁をつくったのである。(第七段) 軒は深いからなるべく軽くつくらねばならない。そこで小丸太や竹を 使って重みを減らした。 つまり家の形は中心部に畳を敷いた座敷があっ て、そのまわりを縁側がとり囲み、さらにその先に庭と接触する濡れ縁 があるというスタイルができあがったのである。中心の座敷は人間がす わる静かな場所で、縁側は通行するところ、屋外は活動の場ということ であるから、家は中心部に向かうほど静、外に向かうほど動というよう 中心から外に向かって、静から動へのぼかし模様がつくられている ことになる。(第八段) 座敷と座敷との間の仕切りは軽いふすまだから、夏になってそれをは ずすと、風は自由に通り抜ける。日本のように夏の蒸し暑い国ではこれ が何よりで、畳の上をすべって吹き込む風は天然冷房の効用がある。 高 窓から入ってくる風ではその効果はない。 伝統の和風住宅では、 ふす まと障子をはずすと、何本もの柱で支えられた屋根だけが残る。 この構 造は通風を考えてできた生活の知恵である。 「住まいは夏を旨とすべし」 という兼好法師の有名な言葉があるが、風通しのよさからいえば、これ 以上都合のよいつくり方はない。京都の町屋では間口が狭く、奥行きが 深く、左右は隣家とくっついているから、風はいやおうなしに家を縦断 する。つまり家全体が風のトンネルになるわけで、それに都合がよいよ うに、部屋と部屋とのつながりには壁がない。このように風の吹き抜け に合わせてつくられた家は、世界的にみてもその例が少ない。(第九段) 伝統的な日本の家は、どの部屋を何の目的に使うというように固定し ていない。 ただ八畳とか六畳とかいった四角な部屋をタテヨコにつない そして同じ木の使い方でも、自然のままの白木の素肌に心の安らぎを覚 えたのであった。 ヒノキやスギに触れて暮らす生活は、そうした長い伝 統によって生まれたのである。 第四段) ヨーロッパでも最近は、コンクリート住宅よりも煉瓦の住宅に人気が 戻っているという。イギリスでは特にその傾向が強いらしい。やはりそ の風土で生まれ、長い伝統でつちかわれたものに帰って行くのが、一番 自然の流れであろう。(第五段) 私たちは木を使っている間に、そうした日本人らしい考え方が身につ いて来たのか、もともと日本人がそういう民族だったために木を好むよ うになったのか、それは私にはわからない。だがいずれにしても互いに 影響し合いながら、独特の「木の文化」をつくりあげてきたことは事実 であろう。(第六段) 「家は気候風土と長い生活の積み重ねのなかから生まれてきた文化の産 物だから、土地と切り離して考えたのでは意味がない。ということは、 ヨーロッパの家がどんなに立派でも、日本という風土のなかにそのまま 移したのでは合わないし、 和風の家がいかに美しくても、ヨーロッパに 建てたのでは、住みにくいということである。日本は雨が多いから、家 は屋根の大きいのが特徴で、すっぽりと笠をかむったような形をしてい る。仏教伝来とともに歴史の始まった日本は、何事も中国の真似をした が、土間で履き物のまま暮らす生活だけは取り入れなかった。地面から 一段高いところに板を張り、そこで生活するようになった。 そしてこの 板の間を四方に延ばして縁にした。縁とは家の「へり」の意味だが、そ こには雨がかかるから、緑先に立てた柱を支えにして軒をかけ、さらに で、そのまわりをぐるりと縁側でとり巻いたものであった。 部屋の中で の立ち居ふるまいは全く自由で、どこにすわろうとねそべろうと勝手次 第である。(第十段) 部屋ごとのプライバシーなどは全くないが、そういう住まい方が出来 たのは、住む人同士の間にあるルールが存在していたからである。それ から日本独特の礼法が生まれ、茶道や華道を芽生えさせる原因になった。 部屋には定員がないが 「ご順にお詰めを願います」という無言のルール で、混乱はおきなかった 融通無碍に対応する柔らかい住まい方が、お のずから身についていたのである(第十一段) ゆうずうむげ 一方西洋の家は、周囲を厚い煉瓦の壁で囲んで、その内側に部屋を並 べ、中心部に動的な廊下やホールをおいた。 内から外に向かって、動か 静へという遠心的な配置になっていて、日本の住宅とは正反対のぼか 7 し模様である。 第十二段) 厚い煉瓦壁の家は何百年でももつから、彼らはこれを「不動産」と呼 んだ。日本の家は木造だから腐るし燃える。全体が消耗品的なつくりで、 耐久性では比較にならないほど短い。だが西洋からの翻訳でこれを同 じように不動産と呼び、 何の疑問も持たなかったところがいかにも日本 的である。(第十三段)里さ 彼らの暮らし方は、椅子、テーブル、ベッド、ソファというように、 さまざまな道具を使う。日本式のノーファニチャとは対照的である。要 所要所に道具をおいて部屋の用途を限定すれば、生活は快適なはずだが、 好きなところへ自分の居場所を移すには、家具を移動させねばならず、 ときにはそれが足手まといになることもある。(第十四段) 模擬トレTK国 トレTK 国語1回 9 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 3ヶ月前 なぜ、祖父が関係あるのかを教えてください <古代> 令和2年改題 図は、藤原氏と皇室の関係を示した系図の一部である。 藤原道長は、三条 天皇を退位させ、まだ幼い後一条天皇を即位させた。藤原道長は、まだ幼い 後 一条天皇を即位させることで、何という職に就こうとしたと考えられるか。 図から読み取れる、藤原道長と後一条天皇の関係とあわせて、簡単に書き なさい。 年改題 阿弥陀如来像を納めた、国風文化の代表的な建造 図 図 三条 道長 妍子 注 □内の数字は天皇の即 夫婦関係を、 それぞれ表 位順を、二重線 (三) は している。 後一条天皇の祖父として、摂政に就こうとした。 (孫の後一条天皇の摂政に就こうとした。) 「何という職に就こうとしたと考えられるか」という条件より、下線部の語がなければ×。 図より後一条天皇にとって藤原道長は祖父であることがわかる。 「図から読み取れる、藤原道長と後一条天皇の関係とあわせて」 という条件より、 波線部と同様の内容がなければ×。 なり行った政治を摂関政治という。摂関政治は藤原道長とその子の頼通のときに、最も栄えた。 藤原氏は天皇が幼いときは摂政、成人したのちは関白という職について政治の実権を握った。摂政や関白が中心と 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 3ヶ月前 答えはイなのですが、鉄を求めて中国に手紙を送ったこともあったような気がするのですが、、教えてください🙇🏻♀️ I のです。 これをみて,(1)~(5)に答えなさい。 大和政権は,朝鮮半島南部の伽耶地域 (任那) の国々や百済と交流が深く、 それらの援軍とし て, 高句麗や新羅と戦った。 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 3ヶ月前 古代の日本② 奈良〜平安 説明力アップ問題の答えが知りたいです。 上から順番に ① ② ③ と書いていただきたいです。 ○説明力アップ問題 班田収授法とはどのような法律か説明してみよう。 • 租・調・庸は、それぞれどのような税か説明してみよう。 (DF) UNCENS ・墾田永年私財法には、どのような問題点があったか説明してみよう。 ・天平文化はどのような文化か説明してみよう . 聖武天皇はなぜ東大寺や国分寺を建てたのか、 「仏教」 という語句を使って説明してみよう。 ①f JJO ・なぜ桓武天皇は遷都 (都を移すこと) したのか、 「仏教」 という語句を使って説明してみよう。 藤原氏はどのようにして実権を握ったのか説明してみよう。 ・国風文化とはどのような文化か、またそのような特色になった時代背景についてもふれて説明してみよう。 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 3ヶ月前 古代の日本① 縄文〜飛鳥 説明力アップ問題の答えが知りたいです。 上から順番に ① ② ③ と書いていただきたいです。 O 説明力アップ問題 . 縄文土器と弥生土器の特色をそれぞれ説明してみよう。 なぜ卑弥呼は魏に朝貢をしたのか説明してみよう。 ・なぜ熊本と埼玉県で同じ 「ワカタケル大王」 と刻まれた鉄剣が見つかったのか説明してみよう。 ・聖徳太子はどのような国づくりを目指したか説明してみよう。 • 摂政とは何か説明してみよう。 ・冠位十二階とはどのような制度か説明してみよう。 ・公地・公民とは何か説明してみよう。 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 3ヶ月前 古代文明 説明力アップ問題の答えが知りたいです。 上から順番に ① ② ③ と書いていただきたいです。 ◎説明力アップ問題 ・旧石器時代と新石器時代の石器について、 それぞれの特色を説明してみよう。 旧石器時代と新石器時代の食料の得た方の違いを説明してみよう。 ・古代文明の共通点を説明してみよう。 ・ヘレニズムとは何か、 「アレクサンドロス大王」 という語句を使って説明してみよう。 ・ヒンドゥー教はなぜ世界三大宗教では無いのか説明してみよう。 解決済み 回答数: 1
国語 中学生 4ヶ月前 (1)傍線部の、「住みわびて、暇をこふ」の現代語訳がわかりません…。わかる方教えてください。 この文の出典は『十訓抄』です。 次の文章を読んで、1から4までの問いに答えなさい。( 左側は現代語訳である。) (注1) しゅぽいしん (注3)りよしやうほ 朱買臣、文の道は富めりしかども、家貧しかりけり。年ごろの妻、 才能) ひととせ 住みわびて、暇をこふに、「いま一年を待て」としたひをしめども、 (注2) くわいけい ふるさと しゅ 聞かずして別れ去りぬ。その次の年、買臣、古里の会稽の守になり たみ て赴く時、かの妻、国の民の妻となりて、買臣に見えにけるを、恥 ぢ悲しみて、消え入りにけりとなむ。 (気を失い、死んでしまった) (顔を合わせてしまったことを 呂尚父が妻、同じく家を住みわびて、離れにけり。呂尚父、王の となりて、いみじかりける時、かの妻、 帰り来て、もとのごとく (富み栄えるようになった) をけ あらむことをこひのぞむ。その時に、呂尚父、桶一つを取り出でて、 「これに水入れよ」といふままに入れつ。「こぼせ」といへば、こぼ しけり。さて、「もとのやうに返し入れよ」といふ時、妻笑ひて、 「土にこぼせる水、いかでか返し入れむ」といふ。呂尚いはく、「汝、 われに縁尽きしこと、桶の水をこぼせるに同じ。いまさら、いかで か帰り住まむ」とぞいひける。 なんぢ これら、ものねたみにはあらねども、貧しき世を忍びえず、心短 きたぐひなり。 (嫉妬心を抱いた話ではないが) (注1)朱買臣=古代中国の前漢の政治家。 (注2)会稽の守=地方の郡の長官。 (注3)呂尚父=古代中国 賢臣。 太公望。 たいこうぼう じっきんしょう (「十訓抄」から) 解決済み 回答数: 0
歴史 中学生 4ヶ月前 これって反を段に直してからかけて求めるんですか!! の表を参考に次の土地の石高をそれぞれ答えなさい。(★ 等級 上田 盛 CJ13&tacus e 1石斗 ANT 下田 下々田。 J ■ 600 反の上田 750反の下田漁び再 ③ 700 反の 3000石高750石高 水 200圧高 1200 解決済み 回答数: 1