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問4の答えをおしえてください。

2 4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。 (*印の付いている言葉 には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 日本のインテリアの特徴は、柱、障子、畳、天井に生物材料を使い、 それを白木のテクスチェアで統一しているところにある。人間はもとも と生物だから、からだに接するところに生物をおくのがいちばん素直だ し、心も休まる。 生物材料で囲まれたインテリアは、自然と人工とが組 み合わされた空間だから、日本人にとってヒノキやスギの白木の肌は、 戸外の緑と同じ意味あいを持っていた。(第一段 私は木が好まれたもう一つの理由に、仏教の無常観があったことをあ げてよいと思う。われわれの祖先は自然も社会も常に移り変わるものと 悟っていた。その法則にさからわないで暮らしていくのが、日本人の生 き方であった。ヨーロッパでは神の宮居はアテネの神殿のように、永遠 その形を残すものでなければならなかったが、日本では伊勢神宮のよ うに、やがて朽ちていく木でもよかった。 (第二段) ヨーロッパ的な見方からすれば、二十年ごとに造り換えられる神殿は、 原形ではなくコピーだから、価値の低いものと考えるが、日本では芸術 も文化も心の中にあると考えるから、形が伝われば価値は変わらないと 思う。すべてのものは人間の命と同じように、限りあるはかないものと 知っているから、木のように朽ちて自然に帰っていく素材に、心を惹か れたのである。木は仏教の無常観に通ずる恰好の材料であった。(第三段) 以上のように考えてくると、ヨーロッパの「石の文化」 「金の文化」 に対して、日本の「木の文化」が生まれた理由を納得することができる。 だからこそ建物の材料には木のような生物材料が選ばれたに違いない。 その先に濡れ縁をつくったのである。(第七段) 軒は深いからなるべく軽くつくらねばならない。そこで小丸太や竹を 使って重みを減らした。 つまり家の形は中心部に畳を敷いた座敷があっ て、そのまわりを縁側がとり囲み、さらにその先に庭と接触する濡れ縁 があるというスタイルができあがったのである。中心の座敷は人間がす わる静かな場所で、縁側は通行するところ、屋外は活動の場ということ であるから、家は中心部に向かうほど静、外に向かうほど動というよう 中心から外に向かって、静から動へのぼかし模様がつくられている ことになる。(第八段) 座敷と座敷との間の仕切りは軽いふすまだから、夏になってそれをは ずすと、風は自由に通り抜ける。日本のように夏の蒸し暑い国ではこれ が何よりで、畳の上をすべって吹き込む風は天然冷房の効用がある。 高 窓から入ってくる風ではその効果はない。 伝統の和風住宅では、 ふす まと障子をはずすと、何本もの柱で支えられた屋根だけが残る。 この構 造は通風を考えてできた生活の知恵である。 「住まいは夏を旨とすべし」 という兼好法師の有名な言葉があるが、風通しのよさからいえば、これ 以上都合のよいつくり方はない。京都の町屋では間口が狭く、奥行きが 深く、左右は隣家とくっついているから、風はいやおうなしに家を縦断 する。つまり家全体が風のトンネルになるわけで、それに都合がよいよ うに、部屋と部屋とのつながりには壁がない。このように風の吹き抜け に合わせてつくられた家は、世界的にみてもその例が少ない。(第九段) 伝統的な日本の家は、どの部屋を何の目的に使うというように固定し ていない。 ただ八畳とか六畳とかいった四角な部屋をタテヨコにつない そして同じ木の使い方でも、自然のままの白木の素肌に心の安らぎを覚 えたのであった。 ヒノキやスギに触れて暮らす生活は、そうした長い伝 統によって生まれたのである。 第四段) ヨーロッパでも最近は、コンクリート住宅よりも煉瓦の住宅に人気が 戻っているという。イギリスでは特にその傾向が強いらしい。やはりそ の風土で生まれ、長い伝統でつちかわれたものに帰って行くのが、一番 自然の流れであろう。(第五段) 私たちは木を使っている間に、そうした日本人らしい考え方が身につ いて来たのか、もともと日本人がそういう民族だったために木を好むよ うになったのか、それは私にはわからない。だがいずれにしても互いに 影響し合いながら、独特の「木の文化」をつくりあげてきたことは事実 であろう。(第六段) 「家は気候風土と長い生活の積み重ねのなかから生まれてきた文化の産 物だから、土地と切り離して考えたのでは意味がない。ということは、 ヨーロッパの家がどんなに立派でも、日本という風土のなかにそのまま 移したのでは合わないし、 和風の家がいかに美しくても、ヨーロッパに 建てたのでは、住みにくいということである。日本は雨が多いから、家 は屋根の大きいのが特徴で、すっぽりと笠をかむったような形をしてい る。仏教伝来とともに歴史の始まった日本は、何事も中国の真似をした が、土間で履き物のまま暮らす生活だけは取り入れなかった。地面から 一段高いところに板を張り、そこで生活するようになった。 そしてこの 板の間を四方に延ばして縁にした。縁とは家の「へり」の意味だが、そ こには雨がかかるから、緑先に立てた柱を支えにして軒をかけ、さらに で、そのまわりをぐるりと縁側でとり巻いたものであった。 部屋の中で の立ち居ふるまいは全く自由で、どこにすわろうとねそべろうと勝手次 第である。(第十段) 部屋ごとのプライバシーなどは全くないが、そういう住まい方が出来 たのは、住む人同士の間にあるルールが存在していたからである。それ から日本独特の礼法が生まれ、茶道や華道を芽生えさせる原因になった。 部屋には定員がないが 「ご順にお詰めを願います」という無言のルール で、混乱はおきなかった 融通無碍に対応する柔らかい住まい方が、お のずから身についていたのである(第十一段) ゆうずうむげ 一方西洋の家は、周囲を厚い煉瓦の壁で囲んで、その内側に部屋を並 べ、中心部に動的な廊下やホールをおいた。 内から外に向かって、動か 静へという遠心的な配置になっていて、日本の住宅とは正反対のぼか 7 し模様である。 第十二段) 厚い煉瓦壁の家は何百年でももつから、彼らはこれを「不動産」と呼 んだ。日本の家は木造だから腐るし燃える。全体が消耗品的なつくりで、 耐久性では比較にならないほど短い。だが西洋からの翻訳でこれを同 じように不動産と呼び、 何の疑問も持たなかったところがいかにも日本 的である。(第十三段)里さ 彼らの暮らし方は、椅子、テーブル、ベッド、ソファというように、 さまざまな道具を使う。日本式のノーファニチャとは対照的である。要 所要所に道具をおいて部屋の用途を限定すれば、生活は快適なはずだが、 好きなところへ自分の居場所を移すには、家具を移動させねばならず、 ときにはそれが足手まといになることもある。(第十四段) 模擬トレTK国 トレTK 国語1回 9

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学校のプリントです。今国語で魯迅の「故郷」を勉強しているのですが、時代背景を探ろうというプリントの中で1902年の出来事だけ、なんなのかわかりません。先生からのヒントとして幻から始まるものだよという意味で幻と書いてあるのですが調べても出てきませんでした。なんだと思いますか?

「故郷」の様子や、 188(魯迅が 生まれる ヒント 1840 1851 1894 1900 1902 1912 幻 「今」でなぜこんなにも変わってしまったのだろう? 物語の時代背景を調べよう。 菜青 義和団事件 ← ・作者である魯迅は一八八一年生まれ。『故郷』の「今」は一九一九年が 舞台。 「昔(回想)」は何年頃? 「教科書、ワーク、便覧、辞書、ウェブ」を有効に活用しよう! 手 精の中でイギリス(製造はインド)からアを仕入れる ことが流行。しかし危険を感じたことから中国政府が今 負を禁止すると、イギリスの大切な資金が減ってしまうので イギリスと対立。そのまま戦争へと発展。 太平天国の乱 秀全率いる坪上市会(宗教団体)が当時貧しかった国 を変えようとして起こした反乱。キリスト教に基づいた宗教で たため、仏教・中国に古く伝わる九の教えを否定し、処刑 建物の破壊なども行った。その中国は激しい混乱に見舞 日清戦争日本清の領土に侵入したり、中国の宗教団体が日本 国に対して反乱を起こしたりして積み重なりの上に発展した 戦争。結果日本が勝つことになり国の大切資源が多くとれる な領土ャのお金を日本に支払ったので国家が大きく 混乱した 昔、イギリス・フランスとアロー戦争をしたことで入ってきたキリスト教 ことからはじまった 手「扶清洋」を掲げろ中国政府はその後強国国と の大きな戦争に負けたため、国内の貧困が進行していった。 魯迅、日本へ留学。 の考え 義和団の伝統的な考えが対立 辛亥革命 いままでの危望的状況のつみ重ねから国家を保っ ために外国の侵入を受け入れた中国政府に対して新しい 国家をつくって独立しようと考えた人々の革命。生活の安定 民族の独立自の平等の三民主義のもと活動していたが 中からわせ凱の独裁により失敗に終わる。 魯迅、中華民国政府の教育部に着任、北京へ。 1919 魯迅、紹興の家を売り払うため、帰郷。

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現代語訳をして頂けませんか🙇‍♀️💦

三次の古文を読んで、あとの〜内に答えなさい。 あたひ 「牛を売る者あり。買ふ人、明日その値をやりて、牛を取らんといふ。 夜の間に、牛死ぬ。買はんとする人に利あり、 売らんとする人に損あり」と語る人あり。 ゆゑ まこと これを聞きて、かたへなる者の言はく、「牛の主、誠に損ありといへども、又大きなる利あり。 その故は生あるもの、 死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。 人、又おなじ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。 一日 みな がもう かろ の命、万金よりも重し。牛の値、鶏毛よりも軽し。 万金を得て一銭を失はん人、損ありといふべからず」と言ふに、皆 ひとあざけ ことわり 人嘲り、「その理は牛の主に限るべからず」と言ふ。 たから 又言はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しび を忘れていたかはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危ふく他の財をむさぼるには、志、満つ事なし。 生け る間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。 死を恐れざるにはあらず、 事を忘るるなり。もし又、生死の相にあつからずといはば、実の理を得たりといふべし」 と言ふに、いよいよ嘲る。 まこと (兼好法師『徒然草』から) (注) かたくなる者=そばにいた人。 鶏毛=ガチョウの羽根。 牛、既にしかなり=牛がそのとおりである。 いたづかはしく苦労をして。 はからざるに思いがけず。 外の楽しび名誉や金銭に対する欲求。 実の理を得たり=真理を悟っている。 生死の相=仏教用語で、生死の境地。 しやうじ

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至急です!!! 中学古文です。 現代語訳してくれませんか? よろしくお願いします🙏

あたひ 「牛を売る者あり。買ふ人、明日その値をやりて、牛を取らんといふ。 夜の間に、牛死ぬ。 買はんとする人に利あり、 売らんとする人に損あり」と語る人あり。 これを聞きて、かたへなる者の言はく、「牛の主、誠に損ありといへども、又大きなる利あり。 その故は生あるもの、 死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。 人、又おなじ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日 の命、万金よりも重し。牛の値、毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありといふべからず」と言ふに、 がもう ひとあざけ ことわり 人嘲り、「その理は牛の主に限るべからず」と言ふ。 たから 又言はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しび を忘れていたづかはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危ふく他の財をむさぼるには、志満つ事なし。 生け 間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。 人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。 死を恐れざるにはあらず、 事を忘るるなり。もし又、生死の相にあつからずといはば、実の理を得たりといふべし」 と言ふに、いよいよ嘲る。 じゃうじ (兼好法師 徒然草』から) (注) かたへなる者=そばにいた人。 毛ガチョウの羽根 牛、既にしかなり牛がそのとおりである。 いたづかはしく苦労をして。 はからざるに思いがけず。 外の楽しび名誉や金銭に対する欲求。 実の理を得たり=真理を悟っている。 生死の相=仏教用語で、生死の境地。 まこと まこと 14

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5の2、3を解説していただきたいです。答えは2がア,3はアとエです。 ご回答いただけると嬉しいです。

次の文章は、とんち話で有名な一和尚の話です。これを読んであとの問いに答えなさい。(なお、設問の関係で古文中 「」の一部を省略しています。) 和尚と申ける。 一休和尚は、いとけなき時より常の人には変り結びて、利なりけるとかや。師の坊をは とても賢い 一般の人 を心地よく思ひて、折々は疲れをいひて こびたる旦那ありて、常に来りて和尚に参などしては、一発明 されていて、 問答などしけり。かの皮を着て来りけるを、一休円にてちらと見、内へ走りだて、ぎに書立られけるは、 薄い板に書き付けて その もし 寺の内へかわのたぐび、固く かわの物入る時は、争に必ずばち当るべし。 なり。 禁止する 当たるに違いない と書きで動ける。かの旦那を見て、皮のたぐひにばち当るならば、お寺の太鼓は何とし給ふぞ」と申ける。一休聞 そのう のだから のですから 給ひ、「さればとよ、夜昼三度づつ撥当る間、其方へも太鼓の撥を当て申さん、皮の袴、着られけるほどに」とおどけられ けり。 かなぞう ししゅう 『仮名草子集』より) * 師の坊 = 仏教を教える師匠である僧。 そう ひろまち * 和尚 室町時代の僧。 * 旦那 = お金や物品で寺や僧を支援する人。 しえん * 学 学問、特に仏教を学ぶこと。 * 檀那 = 旦那と同じ。 * 皮袴 = なめした皮で仕立てられた。 ren しゃれたことをよく言う mere ve * へぎ *撥 - よるびる JA* drew スギやヒノキを薄く削って作った板。 太鼓をたたく棒。ここでは「撥」に「ばち)」の意味を重ねている。 ということだ 賢いのを ときどき しょう談 FUR

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高校入試の国語(都立入試)で『この文章を読んだ後の自分の線見聞や体験をもとに自分の考えを書く』という問題が必ず出るのですが、その分には筆者の意見を含めなければいけません。 筆者の主張を踏まえた内容とはどういうことですか? (毎回それがわからず、~と筆者は主張しています。の... 続きを読む

となのだ。(第五段) 前i「湖洲」Sr ra9へ 高 - い ム びつけて考える。個性の表現だとか自己表現というのがそれだ。地味な恰一 好をしていると、個性的ではない、もっと自己表現を、などといわれる。 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(印の付いている言葉に しかしよく見てみれば、流行に敏感なひとのかなりの部分というのは、じ つは制服に身を包んでいるように、同じような非個性的な恰好をしている。 は、本文のあとに【注】がある。)」 ファッションにぜんぜん気がいかないひとはかっこよくないが、ファッ ション、ファッション……とそれしか頭にないひとはもっとかっこわるい。 (「部) このふたつ、一見反対のことのようで、じつは同じ態度を意味している。 他人がそこにいないのだ。あるいは、他人にじぶんがどのように映ってい まわりを見ても、若い女性はキャミソールのようなドレスとかスリップド レスとか、インナーのようなミニドレスに身を包んでいる。それに薄手の一 るかという、そういう想像力の働きが、欠けているのだ。(第二段) ひとにはそれぞれ印象というものがある。印象がいいというのは、 スケスケのカーディガンをちょいとはおって、という感じだ。足元を見て一 も、たいていはかかとが太くて高いサンダルを履いている。(第六段) ファッションでももちろんほめ言葉のひとつだ。清潔な感じがするとか 自己表現というときの自己が流行のなかでつくられるのだから、流行し」 さっぱりしているとか、あるいはダサイとか、暗いとか、かったるいだと」 か表現しようがないのだろう。しかも店で買う以上、「絶対的」に個性的一 か。(第三段) な服などあるはずもないから、みんな似たり寄ったりの服装になるしかな たとえば同じ医者でも、白衣のときにはどことなくおっかない感じがす い。わたしもこのあいだ、買ってから半年も着る勇気がなかった奇抜な服 るが、平服で往診に来ると、ふっと身近に感じて、なんでも相談できそう をある会合に着ていったところ、そっくりの服装のひとと鉢合わせしてし な感じがする。豪華な椅子に腰かけているときと、患者と同じクルクルま」 まい、まったく居心地が悪い思いをした。(第七段) わる機能的な椅子に腰かけているときとでは、安心感も違う。服装ひとつ おしゃれというのは、じぶんを着飾るということではない。むしろそれ で印象はころづと変わってしまうのだ。(第四段)- を見るひとへの気くばり、思いやりだと考えると、服を選ぶときのセンス 「印象の反対の言葉をご存じだろうか。「表現プという言葉だ。英語で が変わってくる。つまり、他人の視線をデコレートするという発想をどこ」 表すとそれがよくわかる。「印象」は英語でインプレッション。外界が心 かに取り入れること、つまりそういうホスピタリティが、ファッションで の内(イン)に刻印される(プレス=押す)ことを、インプレッション (印象)という。反対はエクスプレッション、つまり心の内を外(エクス) いちばん大切な要素なのではないかと思う。(第八段) へと目に見える形で押し出す(プレス)こと、つまり「表現」を意味する。 わたしは京都という街に生まれたので、子どものころからよく舞妓さん 印象」は内に刻みつけられたもの、「表現」は外に押し出されたもののこ」 やお坊さんとすれ違った。どちらも服装がきわめて特異。 蕃 からおこぼ まで、いやというほど着飾る舞妓さんと、すりきれかけている貧相なきも 屈しやすいが、胸元だとか袖口、深いスリットとか下から浮きあがる下着」 のにわらじのお坊さん。しゃなりしゃなりと夜の 帳 のなかを歩く舞妓さ」 の線とかには深く誘いこまれる。つまりそれは、私たちの欲望の形を 象」 んと、おーっとうなりながら早朝の街を托鉢をして歩く修行僧。徹底的に一 ドレスアップして客を歓待するひとと、徹底的にドレスダウンして衆 生 ファッションは品位とか優美といった情愛の肌理をつくりだす。感情や を迎え入れるひと。どちらも常人の知らない幸福を教えるホスピタリティ 隙もある……といった心の揺れを微細に表現する。(第十三段) ファッションはまた、社会からのあらゆる包囲をすり抜ける抵抗のスタ を重ね着して、見るひとの眼を涼ませるといった感覚を、である。(第九 イルを決める。背伸びやはずし、突っぱりや飽きっぽさというのは、 (姫 ファッショナブルということを、江戸のひとは「いき」と呼んだ。あか ファッションのもっとも得意とする遊びであるが、こういうイメージの揺」 抜けして、張りがあって、色っぽいこと、いいかえると、諦めと意気地と さぶりのなかで、ひとはそのつどじぶんというものを選び取ってゆくわけ 婚態が織りなす綾のことを、「いき」と呼んだ。その例を、九鬼周造とい だ。(第十四段) う哲学者は「「いき」の構造」(一九三〇年に発表)のなかで、うすものを一 じぶんをいつも可変的な状態に置いておく行為、それがファッションで 身にまとった姿や、湯上がり姿、柳腰、細面や流し目、抜き衣紋や 左 棲一 ある。(第十五段) の裾さばきなどに見いだした。さっきはちょっと嫌みをいってしまったが (鷲田清一「てつがくを着て、まちを歩こう」による) 現代のキャミソール·ドレスは不思議に九鬼周造のあげている例に似てい [注】 デコレート - - 飾ること。装飾。 ホスピタリティ ||歓待。もてなし。 る。ただそこには、婿びるばかりではない、映えとか張りとでもいうべき 心の緊張がある点が異なる。(第十段) おこぼ||舞妓がはく厚底のげた。ぽっくり。 地位がひとをつくるということとともに、服がひとをつくるということ一 悪S 夜の比陰表現。「帳」は室内の空間を隔てる布。 もよくいわれる。それは、ファッションがわたしたちのからだのイメージ をわずかに、あるいはときに激しく揺さぶるものだからだ。(第十一段) 僧が修行のために経を唱えながら家々を回り、米や銭」 市 たとえばそれは、性のイメージと 戯 れる。ひとはむきだしの裸には退 などのほどこしを受けること。 ゅう 衆生 仏教で、現世の人々のことをいう。 「紹」も「紗」も、薄地の絹織物で夏の和服池。 気分とファッションは深く結びついている。力が抜け、洗練されていて、 色があって、コケットなところもあって、決まりすぎず、だからちょっと」 る。(第十二段) のプロ、どちらもけっしてじぶんのために着飾っているわけではない。こ ういうセンスの働かせ方を、多くのひとが忘れかけているのではないだろ うか。たとえば夏のかんかん照りの日に、白のきものに透けた黒の紹や紗」

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文学史についてです。 2枚の写真の内1枚は一応出来たのですがもう1枚は少し分からない所があるので教えて頂きたいです。その他の埋めている所も間違えていたら教えて欲しいです。お願いします。

時室 江 戸 時 代 鎌倉時代 時 代 奈良時代 代町 作 生 者 特 徴·冒 頭 部 分 6を+まろ |太安万侶 神代から推古天皇までの歴史書。 日本書紀 舎人親王 神代から持統天皇までの歴史書。 撃産 :ラそう 不群 わが国最古の漢詩集。 万き不任 e6をる 大伴家持 わが国最古の和歌集。 竹取物語 不詳 わが国最古の物語集。 『昔男』を主人公にした歌物語。 Sr全 さ S和歌集 紀貫之一 最初の勅撰和歌集。全二十巻。約二千首。 土佐日記 紀貫之一 男性による最初の仮名を使った旅日記。 a。 ASみ 6 藤原道綱母 貴族社会の女性の心をの内を緩った日記。 清少納言 宮廷生活について、見聞、意見を述べた女性の随筆 紫式部 光源氏を主人公にした、五十四帖に及ぶ長編物語。 不詳 様々な人間像を描いた短編物語。 + かすえのむす 菅原孝標女一 貴族社会に生きた平凡な女性の半世紀。 不詳 文徳天皇から後一条天皇までの藤原志絶頂期の歴史物 語。 ぐ普物語 不詳 中国、インド、日本の仏教、世俗の説話集。 後白河院 今様を中心に編纂された歌謡集。 西行法師 千六百余首を収めた歌集。 新古今和歌集 藤原定家一 『幽玄』の歌風。全二十巻。約千九百首。 る=6 4うめい 古丈記 厳正の無常を方丈の庵にて述べた随筆。 金換和歌集 源実朝 力強く格調高い万葉調の歌集。約七百首。 平家物語 不詳 平家滅亡を琵琶法師が語り継いだ軍記物。 今日物語 不詳 仏教、世俗関係の事柄を集めた説話集。 小@ 回く 藤原定家 それまでの百人の秀歌を一首ずつ集めた歌集。 吉田兼好 批評精神を根底にした二四三段からなる随筆。 庶民にまで親しまれた短編物語集。 世阿弥 猿能楽の秘伝としての芸術論。 あR v ん vドマ 安楽庵策伝 近世笑話文学の最初のもの。 井原西鶴 文学的に内容豊かな『浮世草子』、町人物の第一作 |井原西鶴 町人の生活を赤裸々に描写した町人物。 s 松尾芭蕉 奥州から北陸を経て大垣に至る紀行文。 世話物 近松門左衛門 町人社会に題材を取った。(浄瑠璃心中物の作品) 伝奇小説 上田秋成 中国や日本の話をもとにした怪奇物。 = のりな 本居宣長 作者 の人生観、文学観を述べた随筆。全十五巻。 東海道中膝栗毛 r マしゃいv 十図|R 滑稽本、弥次、喜多で親しまれている。 南貌里兄にだ伝 滝沢馬琴 読本。全九十八巻のわが国最大の伝奇小説。 ん ん

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中3国語の古文です この文章の内容がイマイチ理解できていません どっちの人物が欲が深いんですか? どうして歯を2本取ったんですか? 教えてください🙇‍♀️🙇‍♀️

(虫歯を抜き取る) (欲が深くて) (損得を重んじ) (何事につけても) (財産も持っている人が) ※R 南都に幽取る。唐人ありき。或る”在家人の怪食にしてで、利簡をさきとし、事にぶれて、商 ひ心のみありて、徳もありけるが、 (取ってください) 虫の食ひたる歯を(取らせんとて、唐人が許へ行きぬ。歯取るには、銭”ニ文に定めたるを、「一文にて取りてたべ」といふ。 (それでは) (わずかばかりのことなので) 小分の事なれば、只も取るべけれども、@心ざまの悪さに、「ふづと一文には取らじ」といふ。さらば三文にて、歯二つ取りてた (送しP) (無に) (得をしたと思っただろうが) べとて、虫も食はぬ、よによき歯をとりそへて、@つ取らせてけり。心には徳利と思ひけめども、きずなき歯を失ひける、大き AV コ (ばかげた行為) を中 金n なる損なり。これは大きに愚かなる事、をこがましきわざなり。 (無住「沙石集」より) さマ 』 たうじん ※南都…奈良の都。京都(=北都)に対して言う。 在家人…仏教を深く信仰しているが、僧侶にはなっていない人。 唐人…中国人のこと。 二文…「文」は昔のおかねの単位。

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