こくじょう
やましろのくに
10 右の資料は、 応仁の乱の後に起こった山城国一揆
のようすを記した日記の内容を要約したものである。
山城国一揆は、その当時から下剋上の風潮のあらわ
れとしてとらえられていた。 山城国一揆が下剋上の
風潮のあらわれとされる理由を、資料をもとにして、
簡単に書きなさい。
こくじん
資料
今日、山城の国の国人が集会した。 参加者の年齢は、
上は六十、 下は十五、六歳という。同時に、国中の農
民なども群集した。 今度の両軍に対する処置を決め
るためだという。
おきて
今日、山城の国人が、 宇治の平等院で会合をした。
山城国中を統治するための掟を改めて定めるためだ
という。 (「大乗院寺社雑事記」 より、 一部を要約 )
そう
注1 国人とは南北朝から室町時代の地方在住の武士のこと。
2 両軍とは山城国内で対立し争っていた軍勢をさす。
平成 17 年改題