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ソ連はスターリンが死んだ1953年を境に、大きく路線変更をします。ざっくり言うとスターリンは共産主義一色!!資本主義なんてくそ喰らえ!!という論調であって、その当時のソ連と中国は仲が良かった訳ですね。しかしスターリンの次に第一書記に就任したフルシチョフは資本主義と共産主義との「平和共存路線」を宣言し、1956年の共産党第20回大会でスターリンを批判します。
そのスターリン批判を受けて中国はフルシチョフを「修正主義だ!」と非難し、中ソ論争が勃発したわけです。
中ソ友好同盟相互援助条約調印したのにソ連のスターリン批判のこと批判したんですか?
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ソ連はスターリンが死んだ1953年を境に、大きく路線変更をします。ざっくり言うとスターリンは共産主義一色!!資本主義なんてくそ喰らえ!!という論調であって、その当時のソ連と中国は仲が良かった訳ですね。しかしスターリンの次に第一書記に就任したフルシチョフは資本主義と共産主義との「平和共存路線」を宣言し、1956年の共産党第20回大会でスターリンを批判します。
そのスターリン批判を受けて中国はフルシチョフを「修正主義だ!」と非難し、中ソ論争が勃発したわけです。
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めちゃくちゃ分かりやすいです😭ありがとうございました💓