日本史〜室町幕府の展開〜

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さきち

さきち

高校全学年

自分が詳しくない時代なので、本当に時間かけて頑張って作りました!

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ノートテキスト

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No.
Date
室町幕府の展開
3代将軍足利義満の頃に尊氏のころに力を
持った守護たちが次々と世を去った
これを利用して義満は守護の勢力を
削減しようとした
①土岐康行の乱(1390年)
土岐頼康
弟「
満員
の守護
伊勢・尾張・美濃
兄
康行
頼康が死ぬと、兄康行(頼康の息子)が
伊勢・尾張・美濃の守護になるはず…!
でも、義満は尾張の守護には弟、満貞が
なるように言った
これに怒った康行は、従兄弟・詮直と共に尾張
に入った満点を攻める
これは幕府への反乱だと義満は康行らを
攻めて勝つ
これで土岐氏の力は弱くなった

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Date
泳の乱でも、上杉氏(関東管領)が鎌
倉公方の満を止めていた。ここからも分かるように
「将軍になりたい~!」と言う鎌倉公方と「それはダメ」と
ストップする!
このくちづ
満の跡を継いだのは、幼い足利持氏。
しかし、その叔父・満隆がその地位を狙っていた
そんなとき、持氏と関東管領が派手にゲンカ
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このときの関東管領は上杉禅秀であった
が、怒って関東管領をやめ、満隆と反乱を
起こす。一時、満隆が鎌倉公方を名乗るが、この
反乱は将軍足利義持に鎮圧された
(4代目)
(上杉禅秀の乱)
このあと、5代目の将軍・義量もいるが、権力
は父・義持が握っていて、義量は義持より早く亡く
なるので余り有名じゃない
そして義量は子がいなかったから次の将軍どうしよ!?
[ くじびきを石清水八幡宮の神前でやろう
その結果、義満の息子の一人・義教が選ばれた
そして、将軍の地位を狙う鎌倉公方にとって(=持氏
にとって)、これは苦々しいことだった。持氏は不穏
な動きを見せることもあったが、関東管領上杉憲実
が持氏と義教の間に和議を成立させた
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