日本史〜執権政治の確立〜

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さきち

さきち

高校全学年

このノートで、最近書いたノートは全て投稿してしまいましたので、しばらく少しペースダウンしての投稿になると思います!またノートを書く時間が沢山あるときに沢山書いて、沢山、投稿します!大晦日なので、ずっとやりたかった初の共有ノートをやります‼️良かったら参加してくれると、とても嬉しいです🥺
初めてなので、もし共有ノートになってなければ教えてください❣️

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ノートテキスト

ページ1:

執権政治の確立
執権誕生~
頼朝の死後、後を継いだのは息子の頼家!
1日
でも、まだ頼朝のように御家人たちを統率することが
できなくて…...
御家人中心の政治となっていく
その中で力を持ったのが、頼朝の妻で頼家の母の
政子の実家・北条氏
しかし頼家の妻は比企能員の娘で、長男も生んでいた
つまり、次の将軍が頼家の長男なら、その外戚となる
能員が力を持つことになる!
これを危険視していたのが北条時政
(政子の父)

ページ2:

No.
Date
そんなとき、頼家が病で意識不明になる
その間に時政は能員と能員の娘でもある頼家の妻
や頼家の長男は殺された
(比企能員の乱)(1203年)
ち
そして、意識が戻った頼家を伊豆の修禅寺に
幽閉して殺害した(1204年)
また、頼家幽閉後、時政は頼家の弟・源実朝
を擁立し、政所の別当になって、初代執権になった
1213年に和田義盛の乱(和田合戦)で、義盛亡き後
時政の息子・義時(執権には1205年になっていた)
は侍所別当も政所別当と兼任するようになる
執権の地位の確立
朝廷と幕府
すの
of
朝廷では後鳥羽上皇が新たに西面の武士をおいて
軍事力を強化するなど朝廷権力の復興をめざした
しかし1219年、朝廷と協力関係にあった将軍・源実朝
が甥(頼家の子)の公暁に暗殺された…
これによって源氏将軍は断絶....
だから京の摂関家から幼い藤原(九条)頼経が将軍に
迎えられた
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