-
-
二口
来る
(解答番号は、
~286です。)
第一問 次の文章を読み、設問 (問1~問10) に答えよ。
して引き受けます。
九鬼は、「偶然性の問題」の冒頭で、「偶然性とは必然性の否定である」と言っています。 しかし、本書の後半で、少し角度を
変えて偶然と必然じます。
偶然性に当価する感情はいかなる感情か。 「奇遇」「奇縁」などの語の存在が示すごとく、偶然性の感情当は驚異の情緒
である必然性が平穏という沈静的感情を有つのは、問題が分析的をもって「既に」解決されているからである。 それ
に反して偶然性が驚異という興奮的感情をそそるのは問題が未解決のままに「眼前に」投出されるからである。驚異の情緒
は偶然性の時間性格たる現在性に基づいている。 要するに、必然はその過去的決定的確証性のために、池および沈静の静
的な弱い感情より有たないが、可能および偶然は問題性のために、緊張および興奮の動的な強い感情を齎すのである。
私たちは、偶然の出来事に直面したとき、「あっ!」と驚きます。 この「あっ!」の瞬間は、「現在」ですよね。 九鬼が「驚異
の情緒は偶然性の時間性格たる現在性に基づいている」と言っているのは、このことです。
この「あっ!」の瞬間は、「問題が未解決のままに「眼前に」投出され」ています。そうですよね。 何が起こったのかとっさ
に判断できず、今起きている現実が、どのようなことにつながるのか、これからどうなっていくのか、「あっ!」の瞬間にはわ
かりません。
ることであります。
こそが
しかし、時間が経つと、そこに意味づけがなされていきます。思いがけず若松さんが隣の席にいたとき、私はただ驚いただけ
でしたが、次第に「これは神様の思し召しだ」と思い始め、そこから「そういえばデリーで会っていたことだって、偶然とは思
えない」と考え始めました。私は若松さんとの出会いを必然的な運命だと思うようになっていったのです。
偶然と必然は、全く対立するガイネンではありません。時制が違うのです。偶然は「現在性」という時制に基づき、「驚異と
いう興奮的感情」をもたらします。しかし、私たちは時間が経つにつれて、偶然の驚異を飼いならし始めます。次第に「あれは
運命の出会いだ」と感じるようになり、偶然を必然に読み替えていきます。 つまり、今起きている
という物語化によって、「C
へと生まれ変わります。
A
運命は偶然にタンを発しています。 しかし、それを必然として引き受けたとき、私たちは「私をめぐる偶然」を所与のものと
私が日本語を母語としていること。 大阪で生まれ、大阪人の気質を受け継いでいること。 顔や姿が親に似ていること。
すべては、私が意志を持って選択したものではありません。 偶然という驚異によって成立しています。 あらゆる存在は、与え
られたもの、贈与的なものです。そして、この贈与性を「私」として受け止めたとき、「偶然」は「運命」へと姿を変えます
私は私という摩訶不思議な運命を生きていこうとします。
九鬼は偶然と運命」という論考の中で、次のように言っています。
人間としてその時になし得ることは、意志が引き返してそれを意して、自分がそれを自由に選んだのと同じわけ合いにす
私は私をめぐる偶然、意志を持って引き受けることで、私を生きることができます。私を生きることは、私という偶
然的な被贈与を受け入れ、運命を能動化する作業です。
の形だったり、重的だったりしました。
入ってからです。それ以前には、現在の国境で区切られた空間が均質的に支配されていたわけではなく、アイデンティティも別
近代より以前、アイヌの人たちは日本人であるというアイデンティティは持っていませんでした。 琉球王
ちも同様です。なのに、北海道や沖縄は、国立博物館ではナショナル・ヒー
琉球王国に住んでいた人た
代に日本人なんていう意識が
は、未来からやって
初めから身
ちょう
AG-P-5)