学年

質問の種類

日本史 高校生

日本史得意な方教えて頂きたいです🥲

[3]近世社会の成熟と幕藩体制の動揺に関し,以下の設問に記号で 答えなさい。[思・判・表] (1) 享保の改革に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で 答えよ。(教科書 P.166 参照) ア倹約令を出し, 上米の制を定めるなど財源確保に努めた。 イ 町人出資による新田開発を禁じ, 農民による開墾を奨励した。 ウ 競争原理を働かせるため、 株仲間による独占的営業を禁じた。 エ 財政難のもとで人材を登用するため, 相対済し令を出した。 (1) (3) (2) 蘭学の始まりに関する次の説明で,誤っているものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.172 参照) (3点×3) ア 8代将軍吉宗は、 漢訳洋書の輸入制限をゆるめ, 青木昆陽らにオランダ語を学ばせるなど西洋の学術を取り 入れようとした。 イ 西洋の知識への高まりから、平賀源内は、起電機や寒暖計をつくって人々を驚かせた。 ウ蘭方医の前野良沢・杉田玄白らは、オランダ語の解剖書を翻訳して『解体新書』を著した。 I 蘭学の入門書である『蘭学階梯』の著者稲村三伯の弟子である大槻玄沢は, 日本最初の蘭和辞書である 『ハルマ和解』を著した。 (3) 雄藩の誕生に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.184 参照) ア 幕末には,諸藩でも有能な中下級家臣を登用し、財政再建や藩権力を強化し,幕政改革に協力しようとする 動きがみられた。 イ 長州藩では,村田清風が商人から多額の借財を行い、紙や蝋の専売制を改革した。 ウ幕府は,江川英龍(太郎左衛門)に命じて伊豆韮山に反射炉を築き、大砲を鋳造した。 I 薩摩藩では調所広郷を登用し、奄美の黒砂糖の専売制度や琉球経由の貿易の大規模な事業化に成功した。

解決済み 回答数: 1
日本史 高校生

至急でお願いします。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 [1] 近世社会の成熟と幕藩体制の動揺に関し、次の各問いに答えなさ [1] い。 [思・判・表] (1) 享保の改革と経済の発展について、 各文の空欄にふさわしい語句 を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.166~P.168 参照) 1716年, 紀州藩主 (①) が8代将軍となり、 享保の改革が 始まった。 この時代は、 手工業生産にも変化が見られ, 京都の西 陣から高機が伝わると, 北関東では問屋商人が原料や資金を農家 前貸し 製品を受け取る (②)も現れた。 学問の世界では, 江戸の儒学者 (3) が中国古代言語を研究して古典の解釈を 試み、 また、政治・経済などへの造詣の深さから ( ① )の政治 顧問にも就任した。 彼の説く学問は経世論として確立され、幕藩 体制に動揺のきざしが見えるとさらに盛んになり、弟子の ( ① )は、 藩による商業活動や専売制の必要を論じるなど, 後世にも通じる 経済論を展開し、江戸の政治、経済思想上に名を残している。 (2) 近世社会の成熟と危機の始まりについて、各文の空欄にふさわしい 語句を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.170~P.174 参照) (1) (2) e 2 ④ ① 3 © A (3点×12) 庶民の初等教育機関である(①)は, 18世紀半ばから19 世紀半ばにかけて増加・普及した。 文化面では、文人画の世界で 秀作を残しながら、 俳句の世界でも活躍した(②)が現れた。 同時代の画家には, 動植物を題材とする優れた作品を多く残した (③)もいる。 浮世絵の分野では, () が多くの美人画を描き人気を博した。 日本の古典を研究する (5)では、賀茂真淵や本居宣長が,文献学的な研究を発展させた。 政治の世界では、10代将軍家治の時代に老中を務めた (⑥) が, 商人の経済力に着目した財政再建に 取り組んだが、賄賂政治の批判を受けたり、相次ぐ天災や凶作で「(⑦) の大飢饉」が発生するなど, 社会 不安が広がる中, 失脚した。 農村でも変化が見られ、18世紀半ばには有力な百姓の中から農村工業や商業な どの多角的経営を始める (⑧)が各地に登場した。

解決済み 回答数: 1
世界史 高校生

穴埋め問題です 分かる方回答お願いします😭😭

"T 1800 10 (2) アヘン戦争 ①経緯 ・ [4 20 30 1790 40 ○清朝はアヘンを取り締まるため、 [ 1 ○イギリスが艦隊を派遣 →→ (2 [3 〕 の締結 (1842) ]の割譲、5港の開港 (上海、広州など)、 自由貿易の実施、賠償金 ※ロシアには沿海州割譲 (3) 太平天国と洋務運動 ① [8 ②戦後 ○領事裁判権、 協定関税 (関税自主権ナシ)、 一方的な [5 ○アメリカ、フランスとも同様の条約 ○イギリスがフランスとともに清と戦い、勝利 ○天津条約 (1858) ○ [7 1800 50 →対清外交に大きな変化がなく、 貿易も思うように伸びず・ (第2次アヘン戦争)〕 (1856) ③ [6 10 60 ) (1860) ・天津など11港開港、 外国公使の北京常駐、 キリスト教布教の自由、アヘン貿易の公 認 九龍半島の南部のイギリスへの割譲 20 70 30 (背景) 増税等の負担に対する民衆の不満 [9 O "10 ○曽国藩・李鴻章が組織した郷勇が外国軍と協力して鎮圧 [11 ] ( 欧米の技術を導入した近代化運動) [12 ]の理念 (技術は欧米より、政治体制 ・ 思想は中国伝統のまま) 総理各国事務衙門の設置 (外交・技術導入担当) . 十分な効果上がらず (4) 日本への通商の要求と対応 18世紀末 1792 1804 80 〕 (キリスト教的宗教結社) の反乱 ( 1851~64) 40 90 1900 [] が広西省で挙兵し太平天国を樹立 (1851) 南京占領(1853) (清朝打倒をめざすスローガン) 50 〕を広州に派遣→アヘンの没収・処分 〕 (1840) 60 天保の [14 ※国内で尊王攘夷論の高まり 70 歴史総合14-① 教p59~60 80 ロシアが毛皮獲得などのために蝦夷地周辺に進出 ラクスマン(ロシア) が根室に来航・ 通商要求 レザノフ(ロシア) が長崎に来航・ ・・・通商要求 ・幕府は拒否→ ロシアは樺太択捉島を襲撃 1820年代~ アメリカの捕鯨船が日本近海で活動、 水・食料を要求 1825 幕府による [13 1842 ] ( 幕府の方針転換) 90 太平洋岸に到達したアメリカは、 中国への往復の途中にある日本に、 石炭・水の補給を認めさせようとして・... 教p61~62 背景にあったのは

回答募集中 回答数: 0
日本史 高校生

青線🟦 鎖国を放棄したと考えていたわけではない。 という文の意味がわかりません。

た使節し 一以外の国と関わり た。これに対して、 幕府は防備を固 ものではなかっ れた。 動が日本近海 上陸する事態 うちはらいれい む 打払令(無 船が接近し 本に伝わ 1842 (天 を与える 基礎に 打払 浦賀 コカ 15 5 フランス イギリス マデイラ島 12.12 セントヘレナ島 1853.1.10 大西洋 Miza オランダ 1853~56 クリミア戦争」 "}, ケープタウン 1.24 セイロン 3.10 1840-42 アヘン戦争 マカオ インド 4.7 ゴア モーリシャス諸島 (ポートルイス) 2.18 ロシア帝国 J.. ペキン 北京 上海 1853.7.8(6.6.3) サンコン 5.4 シンガポール 3.25 インド洋 小笠原 6.14 ・琉球 5.26 フィリピン諸島 サンフランシスコ ゾーフォーク アメリカ 1852.11.24 カリフォルニア州 合衆国 1861-65 南北戦争 太平洋 3000km ⑥619世紀半ばの世界とベリー 艦隊の航路 ベリーの来航に先 こうか 立つ1846 (弘化3)年に浦賀に来 航したアメリカ艦隊も同様の 路だった。 → ペリーの来日航路 大陸横断鉄道 (1869年) 7 ヨーロッパで産業 たいほう ちゅうぞう 鉄製大砲を鋳造す いられていた反射 ダ語の書籍を手 がペリー来航前 たのをはじめ、 しもだ はこだて ひょうちゃくしゃ に下田・箱館に寄港することや、日本側が漂着者を保護すること、 下 ハリス かんり ちゅうざい さいけいこくたいぐう 田へのアメリカ官吏の駐在、そして最恵国待遇などを認めた。 ついで (個人)(領事) ~日本がみとめた。 イギリス・ロシア・オランダとも同様の条約を結んだ。これを「開国」と たいさ 呼ぶが、国書で求められた通商を認めなかったことから、 薪水給与令と 大差ないというとらえ方もあり、当時の人々がみな、「鎖国」を放棄した と考えていたわけではない。 日本への西洋軍事技術の導入は、1830年代にオランダからの情報によ たかしまりゅうほうじゅつ らんがくしゃ り 長崎で高島流砲術として始まり、書籍を輸入して蘭学者が研究し、 なぜ、 って のだろう Q ほんやく はんしゃろ また翻訳することを通じて、 反射炉の建設など内容を深めつつ、幕 10 府や諸藩に広まっていた。 そうした技術は、ペリー来航に対応しての海 防強化に活用され、さらに普及した。 開国後に幕府は、江戸に翻訳や洋 ぶげい

解決済み 回答数: 2
歴史 中学生

琉球を使った密貿易とありますが、具体的に教えて下さい。

紀を乱す小説の出版を禁止しました。物価の上昇をおさえるため, どくせん かぶなか ま 営業を独占している株仲間に解散を命じ,江戸に出かせぎに来て いる農民を故郷の村に帰らせました。 しん 忠邦は,アヘン戦争で清がイギリスに敗れたことを知ると,異 くろ ざとう さんかい O6黒砂糖作り(日本山海名物図会 東京都 国立国会図書館蔵) 奄美群島では,さとうき びの栽培が盛んで、これをしぼって作った黒 砂糖は,大阪などで売られ,薩摩藩に大きな 利益をもたらしました。 →p.152 あま み 国船打払令をやめ,日本に寄港した外国船には燃料のまきや水を さいばい さか ちょう し さつ まはん あたえるよう命じる一方で, 軍事力の強化を目指しました。銚子 わん いん ば ぬま から江戸湾までの水路を造るために印解沼の開発を再開し,さら →p.128 ばくりょう だいみょう はた に江戸や大阪周辺の農村を幕領にしようとしましたが, 大名や旗 →p.112 もと 本の強い反対にあい, 忠邦は, 改革の開始からわずか2年余りで 老中を辞めさせられ, 改革は失敗しました。 しょはん 主に西日本の諸藩は,財政を立て直すため, ゅうは。 雄藩の成長 さつ ま か ごしま 独自の改革を行いました。薩摩藩(鹿児島県) くろ ざとう 6 りゅうきゅう あま み は,奄美群島で作られる黒砂糖の専売制や, 琉球を使った密貿易 ひ ぜん さ が とう じ などで経済力をたくわえました。肥前藩(佐賀県 ·長崎県)は陶磁 ちょうしゅう やまぐち き 器を専売制にし,ヨーロッパに輸出しました。長州藩 (山口県)は, しものせき きんゆう 下関でほかの藩の船に対する金融業を行いました。また, 肥前藩 p.276 はんしゃ ろ やまぐち はぎ のの7反射炉(左:山口県萩市 高さ11.5m, 右:静岡県伊豆の国市 高さ15.7m)火炎を 反射させることで高温を出し,質の良い鉄を 製造できました。左は長州藩,右は幕府が造 った反射炉です。 はんしゃ ろ7 世 や薩摩藩,長州藩は,外国船に対する軍備を強化し,反射炉を建 しずおか いず くに かえん たいほう 設して,大砲などを製造しました。 これらの藩は,雄藩と呼ばれ, ちょうしゅうはん ばく ふ 幕府に対して政治的な発言力を持つようになりました。

未解決 回答数: 1