モテようと思うなら、私たちは、自分自身がどうし
たいかにこだわらず、周りの好み、役割期待に自分を一
合わせることに長けていなければならない。周りはど
んな人を好ましいと見ているか、どんな人を求めてい
るか、そのジュョウに合わせて自分を演出し演じてい
く。それが見かけも中身も伴ってうまくいくとき、周
りは彼女/彼を好ましい、いいな、と思う。
「モ
テ」状況が到来する。
もう明らかであろう。「モテ」への道は、「私」を捨一
てること、失うこととつながっている。モテようとす
ればするほど、私たちは自分はどうしたいかではなく、
周りの好み、基準に合わせる方向で努力をする。その
努力に抵抗感や違和感があるうちはまだよい。という
より、抵抗感のある人はそもそもそんな努力をしよう
とはあまり思わない。気恥ずかしい、柄じゃない、な
ど自意識がじゃまをして努力できない。ゆえに、抵抗
なく「モテ」るための努力ができるということは、す
でに自己喪失という領域に一歩足を踏み入れていると
もいえる。「モテ」への道は自己喪失への道なのである。
「でもモテ努力は、あくまで外向けにゲーム感覚で
やっているだけで、別にのめり込んでいるわけではな」