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1884(明治17)年、貧民の救済を訴えておきた、日本近代史上最大の農民蜂起です。
埼玉県秩父地方でおきたため、「秩父事件」と呼ばれました。
明治15年ごろから、デフレと増税により、多くの庶民が貧困に陥りました。
加えて、秩父地方のメイン産業だった生糸の価格が、大暴落してしまったんです。
生活に困った農民は高利貸しから借金をしますが、もちろん返せませんよね?
そのため、返済の代わりに、土地などを取り上げられることになってしまいました。
明治16年、農民たちが借金返済期間の延長などを求める運動を始めます。
はじめは、嘆願書を出したり、署名を集めたりと、合法的に訴えていましたが、どこにも取り合ってもらえません。
明治17年7月には、高利貸し本人のもとに押しかけて直接交渉を始めますが、これも上手くいきません。これは非合法な行動なので、警察に介入されて邪魔されたんですね。
この頃には、この運動に賛同する村や人々が増え、借金苦に苦しむ人々の集まりである「困民党」が形成されていました。
明治17年9月、「役所への嘆願」も「高利貸しとの直接交渉」も失敗し、追い込まれた困民党は、武力蜂起の計画をたてます。
困民党が要求するのは、「借金返済の先延ばし」と「減税」。
明治17年10月31日、一部農民が決起し、警官隊と衝突。戦闘が始まりました。
蜂起の参加者は、最終的には5000人規模に発展したと言われています。
困民軍は、一時は全秩父を支配下に置くほどの勢いをしめしましたが、警察の態勢の確立、軍隊や憲兵の出動、困民軍の指導者たちの動揺と混乱などにより、11月の月半ばには壊滅しました。
秩父事件の後、困民党の人々は処罰を受け、幹部には死刑宣告が言い渡されています。
この時期、日本にはこのような組織が各地にあり、政府に対する反対運動を続けていました。
その中でも、秩父事件はもっとも大規模なものでした。
この事件の後、大規模な蜂起は起こらなくなり、貧困に苦しむ人々の多くは、財閥などが経営する工場などで、過酷な労働を強いられることになりました。
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