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「アテルイの乱」というか、アテルイ(阿弖流為)が率いる軍と朝廷の軍の戦いは流れの中で起こったことらしく、「アテルイの乱」というものは高校の教科書にも出ていませんでした。
何時代かと言われれば平安時代初期ですかね。
光仁天皇の時代の780年(宝亀11年)に蝦夷の豪族である伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)が乱を起こします。この乱が出できたら、あ、これはアテルイ来るなと思っていいと思います。
で、呰麻呂の起こした乱は結構大きな規模の反乱に発展して、この後、東北地方で三十数年にわたって戦争が続きます。
天皇が変わって桓武天皇の時代789年(延暦8年)に朝廷は紀古佐美(きのこさみ)を征東大使として東北地方の蝦夷を制圧しようとしますが、しかし、蝦夷の族長であるアテルイの大大大活躍で政府の軍が大敗するという事件も起こってしまいました。これが、よく聞くアテルイの話しです。
で、その後に征夷大将軍となった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が802年(延暦21年)に胆沢城という城を東北地方に築き、アテルイを帰順させて、その後諸々うまいこと進めて一件落着。
田村麻呂は朝廷を相手に奮戦し活躍したアテルイの事を認め、朝廷にアテルイの命を助けて欲しいと懇願しますが認められずにアテルイは処刑されました。
そんなこんなで、東北地方で反抗する奴らがいなくなったの朝廷の力がやり広い範囲まで及ぶことになりました。と言うわけですね。
そもそもの発端は呰麻呂の反乱からなのでアテルイが引き起こしたわけではなくて一連の流れの中で戦っただけなのでアテルイの乱とは出てないかもしれません。もちろん、教科書、ワークによって違うとは思います。
以上。案件が案件なだけに長文になってしまいました。ここまで読んでもらえたなら、目薬でもさして目をいたわってください。
参考になれば幸いです。
よかったです。
フォローありがとうございます。
こんなわかりやすい長文ありがとうございます。お陰様で理解することが出来ました☺️目のお気遣いもありがとうございます🙏