55年体制とは〜
1951年のサンフランシスコ講和会議の時に、講和の方法で世論は二つに分かれることになります。
一つは全面講和。当時アメリカと対立していたソ連を始めとする東側陣営も含めて、戦争した全ての国と講和条約を結ぶべきという考えです。
二つは単独講和。現実的に当時の冷戦時代に東側陣営と講和条約を結ぶのは難しく、西側諸国に限った講和をしようという考えです。
そしてこの二つの考えで当時存在していた社会党という政党は意見が真っ二つに割れることになります。そして遂には社会党は二つに分裂することになります。
時は流れて3年後の1954年、鳩山一郎という人物が日本民主党という政党の総裁となり、総理大臣になります。彼は自身の政治方針として「再軍備、憲法改正、自主外交」を掲げることになります。
これに焦ったのが分裂した社会党です。二つに割れたとは言え、彼らは元々戦争反対という考え自体は変わっておらず、憲法を改正しようとする鳩山に危機感を覚え、憲法改正阻止という目的の為に再統一することになります。そして社会党だけで憲法改正阻止に必要な3分の1の議席確保に成功します。
逆にこれに焦ったのが鳩山率いる日本民主党です。日本民主党はこのままでは社会党に政権を取られるかもしれないと思い、こちらも自由党という政党とくっ付き、自由民主党(自民党)が生まれることになります。
こうして1955年に新たな保守政党と新たな革新政党の2つがそれぞれ誕生し、自民党が3分の2弱、社会党は3分の1以上の議席を維持するという政治状況が1955年から1993年まで自民党政権のまま続いたこの状態を55年体制と言います。
連立政権とは簡単に言うと今の自民党と公明党の関係です。55年体制崩壊後は自民党単独で政権運営するほどの力は失われました。そこで別の政党と一緒になって政治運営をする事で大勢力を作り政権運営をスムーズにしようという目的があります。また単純に議席確保も相互にしやすくなるというメリットもあります。