✨ ベストアンサー ✨
その理由は、大塩平八郎が乱を起こす一年前に遡ります。
実は乱の一年前(1836年)、天保の飢饉が起こりました。
不作によって米価は高騰、大塩平八郎が暮らしていた大阪では、人々はその日食べるものにさえ困るような有様でした。
それを見た大塩平八郎は奉行所に、「町の人に食べ物が行き渡るように支援してほしい」ということを伝えます。
しかし奉行所は救済策を講じないばかりか、江戸に大量の米を運送し大金を稼いだのです。
それに怒った大塩平八郎は、乱を起こしたのです。
ただ、大塩平八郎は奉行所だけを頼りにした訳ではありません。
自分の持つ本を売り払って、そのお金で難民を救った、すごい人なのです。
結論としては、
奉行所の「飢饉に対応をしないばかりか、これをチャンスとばかりに金儲けをしていた」部分に不満を感じたのだと思います。
返信が遅くなってすみません💦
大塩平八郎は、大阪に住んでいました。
なので、自分たちの暮らしている大阪を差し置いて江戸に米を回したのが許せなかったんだと思います。
また江戸に送られた米も、物価の高騰によって庶民には手が出せない値段となっていたので、基金の影響はほとんど変わらなかったと思われます……
なるほど!✨
分かりやすく回答して下さりありがとうございました
江戸では飢饉の影響は少なかったのですか?
江戸にも飢饉の影響があるのならば、米不足であり、そんな時に奉公所から米が来て嬉しいと思うのですが.......?