歴史 ~近代のヨーロッパについて~
4
224
0
前のアカウントで投稿したものでございます!!🙌
近代のヨーロッパについて
フランス革命での自由主義的考えの種(1〜2ページ)
イタリア統一について(3ページ)
クリミア戦争でのロシアの南下政策について(4〜5ページ)
をご紹介いたしました!!!🙌✨
メモとしてですが、まとめてみましたので
ぜひ見ていただけると嬉しいです!!!
それと、見えにくいところあると思いますので、気軽に言ってください!!!
ノートテキスト
ページ1:
近代ヨーロッパの転換点 近代化前!!! 自由主義。 ナショナリズム 不満がたまり… (市民革命) 王の政治(絶対王政) 市民の権利× 「ナポレオン登場!! 1804年に国民投票によりG 皇帝になった フランス革命が起こる 凸 1793年 ルイ16世処刑 凸 革命がいますぎてしまう・・・ (ナポレオン1世)国民に 国民の混乱を収束させる必要がある 選ばれた者 凸 ナポレオンの政策により・・・ オランダ、スペイン、オーストリアノ プロイセン、ロシアなどに進出 ナポレオンがヨーロッパ大陸に 進出したことによって(対外戦争も) ナショナリズム、自由主義などの 考えの種を海外にまく 1815~485 立て直すため ウィーン体制となる!! に しかし 王の政治に戻す ナポレオンは敗北してしまう… 凸 国民はウィーン体制に動揺 1830年七月革命が → ブルボン家シャルル10世から オルレアン家ルインフィリップ を新王へ 起こる 1848年 三月革命が起る便に! 政治は絶対王政から 変わらず 更に!!! 国民の不満はたまる。 " これによりヨーロッパ(プロイロン、オーストリア) でも三月革命が起こる ルインフィリップを追い出し 共和政へ!!! 国民投票により ルイナポレオンは 汁ポレオン3世になる 第二帝政と呼ばれる!!
ページ2:
国内ではパリ改造!! ナポレオン3世が 国外ではアロー戦争に参加(1856~60) したこと… 仏領インドシナ(ベけム)をつくる!!(1887) 普仏戦争(プロイセン,フランス)&プロイセンに負ける このときのプロイセンは 力をつけている! 負けたことにより退位 皇帝がいなくなってしまった!! A 第三共和政へ ・勝手に 労働者による 自治政府が でき上がる (パリコミューン)
ページ3:
1世記 オーストリアが治めていた ロンバルドンヴェネト王国 ・連金利:南チロルドはエステをもらう 第一次世界大戦で イタリアが 北イタリア周辺はフランスが治めていた (税) イギリス、フランス、ロシア、(アメリア,日本) ドイツ、オーストリアンハンガリー、オスマン帝国 ブルガリアでイタリアは東ゴリ連合側につく 教皇領はローマ教皇の土地、領土(フランスが 守る) 獲ろうと思う…その頃オスマン帝国、フランス イギリス VS 両シチリア三回はブルボン家王様が治めていた 刺 様々な国の仕事をするのがカヴール首相 サルデーニャ王国は サルデーニャ王国の(ヴィットーリオ)エマヌエーレ2世はイタリアを1つにしたいと考える ロシアのクリミア戦争が 起まで いた フランスの力を借りて サルデーニャ王国は サルデーニャ国には ロンバルディア地方を トスカーナ、ルッカ、教皇領の 手に入れ、パルマ、モデナ、ところがあるため、そこを 北半分をサルデーニャ王国に一緒に攻める約束をした(プロンビエールの密約) 多くのフランス人が住んでいると フランスに味方して戦争に 参加 ケウーメ フランスにあげるやわりにロンバルドンヴェネト王国を は手に入らず) して、 サヴォイアとニースを フランスに渡した。 カヴールは 南イタリアの方は貧乏なので 北半分がまとまれば良いと考えていた。 2プロイセン勝利 110ヶ月ほど ジュゼッペ・ガリバルディが ローマ教皇鎖を ICCCの兵(赤シャツ隊)がジェノヴィから イタリアのものに… シチリア島に行き、1860年に両シチリア王国を占領 (南イタリア) 4年後 1870年(普仏戦争) 占領した土地をエマヌエーレ2世に献上 メインとフランスの戦争が 起きる イタリアが味する ↓ サルデーニャ王国は1861年にイタリア王国となる 5年後で プロイセンとオーストリアの戦争が起きる(普墺戦争)1866年 イタリアはプロイセン側について戦う プロイセン側脈2ヶ月ほど ヴェネチアをイタリアンク ものにい
ページ4:
クリシア戦争について そのため! ロシアは今になると港が凍る→凍らない港が欲しい この頃!! <南下政策> ↓ オスマン帝国には ← ニコライ1世(ヨ)は キリスト教の聖地エルサレム にあり、その教会はフランス 南に土地を広げたい!!! と考える が管理していた しかし キリスト教正教を 国の宗教と している フランス革命により維持不可に・・・ ロシアが管理することとなった!! 1852年 ナポレオン3世(ルインフィリップ) がエルサレムの管理をフランスが やるとオスマン帝国に認めさせた! この頃!!#2 少し前にイギリス、フランスでは 正教徒を守る... という理由をつける ロシア反発!!! ~ の バルカン半島(オスマン帝国 にある) ・産業革命が起こっていたため、 ロシアより有利!! 大砲の弾も倍飛ぶ、鉄製の蒸気船 クリミア半島のセバストポリ要塞を攻撃 (両軍20万人以上の人が死亡してしまった) 約1年… 1853年 (アリシア戦争2 オスマン帝国を攻める!! イギリス、フランスが味方になる しサイデーシャ王国も味方する) 途中 1855年にニコライ1世は 死亡 アレクサンドル2世が王 連合軍勝利(裏に続く… となる
ページ5:
ロシアは負けを認め ボスポラス海峡 1856年 パリ条約を結ぶ→ ダーダネルス海峡は 連合軍は ロシアの南下政策を 防止することに成功!! ロシアは地中海をあきらめる・・ しかし!! 日露戦争につながる。 アジアに今度は注目する!! オスマン帝国以外の軍艦が 通ること禁止!! 黒海を中立化へ・・・
他の検索結果
おすすめノート
News
コメント
コメントはまだありません。