日本史〜武士の台頭〜

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さきち

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高校全学年

久しぶりの日本史ノート!

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ノートテキスト

ページ1:

9~10世紀頃成長した地方豪族、有力農民たち
は、勢力を維持・拡大のため武装化するように
なった!!
JO
このため、中、下級貴族たちは押領使、追捕使に任じ
られ、鎮圧に派遣されたので平ら
この中には現地に残って、有力な武士になる者もいた
彼らは、武士の家を形成して時には国司にも反抗した!
武士の家
主人(リーダー)
いえのこ
愛子(一族郎党(家来)-下人、所従
家(一族郎党(家来)下人・所従
郎党(家来)-下人・所従
(下級の従者)
水平・天慶の乱(天慶の乱)
①平将門の乱
関東に勢力をのばした桓武平氏の平将門は、
土地をめぐって対立していたおじの平国香を殺害、国香の子
従兄弟の平貞盛と争い続けた。939年、将門は常陸の
国府を襲い、他の国府も次々と占領して、関東一帯を
支配下に置いた!そして朝廷の許可なく、勝手に国司を
任命するようになって、自ら新皇(新しい天皇)と名乗った。

ページ2:

Date
しかし、将門は下野押領使の藤原秀郷と
平貞盛に討ち取られた。
01
②藤原純友の乱
じょう
前伊場だった藤原純友は任期が終わっても
帰京しなかった。そして平将門の乱と同じ939年、
純友は瀬戸内海の海賊を組織して、反乱をおこした!
その理由は朝廷に対する待遇の不満(つまり、「なんで
こんなにご褒美、少ないの!?」「なんで、もっと出世させてくれないの!?」
みたいなもの)だという、純友は大宰府まで占領したが
清和源氏の祖・源経基に討たれた
この①②の反乱を合わせて水平・天慶の乱という!
(天慶の乱)
天慶の乱で武士の実力を知った朝廷は彼らを
待として奉仕させ、宮中警護の滝口の武者などに任じた。
一方、地方でも国衙が武士を組織化し、押領使
追捕使などに任じて治安維持に当たらせた。平
11世紀になると清和源氏、桓武平氏が地方の
武士団を組織して棟梁となり、勢力を持った。
摂津に拠点を持ち、安和の変に関わった源満仲
その子・源頼信は摂関家に近づいて勢力をもった。
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