ノートテキスト
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歴史総合 第2次世界大戦、おおまかな流れ 独ソ不可侵条約 1941年~ . 両国お互いに攻撃しない。 . ドイツ フランス、ロシアと同時には無理。 ・ドイツ、イタリア、日本→ 日本→東南アジアにどんどん進出 枢軸国 ソ連→ アメリカ・フランス信用ならないし、 満州と同時は無理。 イギリス、フランス、中国、アメリカ、ソ連→連合国 だんだんと・・・ で結ばれた。ドイツがポーランドの 西部、ソ連が東部を。 宥和政策 強い国にこれ以上させたくない 相手の要求をある程度ゆるす。 だから戦争は避けたい! ・ゆずって平和を保とうとしたけどうまく いかなかった。 ・ドイツがポーランド西部を占領!! →フランス抵抗やめた。(1940年) フランス北部→ドイツ ・日本はアメリカに負けるようになる。 ・ドイツキ連合国により負けるようになる。 ・イタリアのリーダー負けて降参。 → すでに戦争後を決める会議が行われる。 ・エジプト カイロ会談 ・イラン →テヘラン会談 連合国は、ドイツに取られたフランスを取りに。 ソ連もドイツ(ベルリン)まで来る。 枢軸国負けそうな時。 アメリカ、イギリス、ソ連→ヤルタ会議 ヤルタ会談 南部→ウィシー政府 ロンドン→自由 フランスによる レジスタンス(抵抗運動 11940年 日独伊三国同盟 →将来アメリカが敵になると考えた。 ファミズム国家と連たいを強くした。 . 戦争後のドイツやポーランドのこと ソ連が日本と戦うこと . 国際連合作ること ↓2ヶ月後 ソ連→ドイツに入って来て、ヒトラー自殺。 →ドイツ降参 北部仏印進駐 日本は中華民国と戦ってて、国民も苦しい。 →ドイツの戦いに負けたフランスの「インドシナ」 を取った。 ↓ アメリカ怒った 日本がこれ以上大きくなってほしくない! →石油や鉄売らない。(日米通商航海 条約)廃棄 ↓ 日本は東南アジアの石油や鉄が取れる国 を進出しようと考える。探しょうルート遮断 ↓ アメリカどうしよう…。(太平洋戦争) ハワイの基地襲う。→アメリカ戦争参加。 イギリスのマレー半島も . ポツダム宣言 ポツダム会談 ドイツを分けて治めること 日本への降参することを呼びかけ →知らね。まだ戦う!!! ↓アメリカ…は?詣 広島18月6日)、長崎(8月9日) 原子爆弾投下。 ↓ ソ連が日本に攻めてきた→降参 第二次世界大戦 連合国勝 終戦
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ハルノート ・アメリカ→日本の東条英機への提案である。 ・内容→3.日本は中国およびインドシナから 出て行ってほしい。 常任理事国 -> 拒否権がある 非常任理事国 ・その他の国から10ヶ国(2年ごとに変わる) 常任理事国と話し合うのは、安保理という。 賛成1/15以上で決まる 2 だけで日本は 4.蒋介石以外の汁(中国の政 また、政権を支持してはだめ。 6. 日本とアメリカ話し合って仲良く しよう。 にしよう。 7. アメリカの日本にある資金また、日本の アメリカにある資金の凍結をやめ という提案 受け入れ拒否した。 理由は中国・東南アジアからの撤退は 倫理の成果なくなるから。 (日中戦争、満洲国、朝鮮) た 「大東亜共栄圏」 ・スローガン的なもの。 理 東南アジア全体で共に支えよう! 実際でた資金を日本がもらい、それで日本式 の学校作るなどの日本優先の考え。 大西洋憲章 1941年 ・アメリカのローズベルト大統領 ・イギリスのチャーチル首相 共同宣言で共に協力しよう。ってやつ。 連合国共同宣言 1942年 ・アメリカ、イギリス、ソ連、中国の4ヶ国 で連合国として枢軸国と戦うの一緒に 頑張ろうね!てきなやつ。 1枚目終 ・プリント2枚目~ サンフランシスコ会議 国際連合設立のための会議 →連合国が中心となって作った。 ロシア、イギリス、アメリカ、フランス、中国 まとめて、常任理事国。 ※常任理事国が1つで反対だったら 決まらない。も 日米安全保障条約 連合国に負けて、日本はGHQに占領。 ↓6年くらいたって、 仲直りしよう。(サンフランシスコ)という約束 「サンフランシスコ平和構和条約」 これで日本は独立した。この時に、 結すんだもの。「日米安全保障条約」 ・この時結んだ人は、吉 ・ブレトン=ウッズ体制=会議で決まった。 ・お金のやり取りでモメないように、 その国のお金を安定させる ' 「国際通貨基金(IMF)」と 国を立て直すお金を貸す 国際復興開発銀行(IBRD)」 ドルと金を交換でき、アメリカドルとやり取り。 世界中心のドル(基軸通貨と呼ばれる ・それぞれの国のお金とドルの価値を決め 取り引き→「固定相場制」という。 →このことを「金ドル本位制」という。 GATT(ガット)・・・自由に貿易していいよ。 2枚目終
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0 4枚目 ラスト 冷戦の始まり(世界の二極化) ①みんな自由に競争し、いろんな製品作る。 →競争しながら豊かになっていこう!っての ※リーダーとなった国はアメリカ ②国の頭の良い人たちがそれぞれ作るべき ものを決める。働く人たちはもらえるお金は みんな平等だった。リーダー国はソ連 そもそもなんでわれた? A.ヤルタ会談でソ連はポーランドで選挙 しなかったのに対し不信感だったため。 「鉄のカーテン」(1946年3月 イギリス元首相チャーチルが言葉で、 ※運の影響下にあった東ヨーロッパと 西側の資本主義の分断を表したもの。 ●トルーマン=ドクトリン(通拡大抑えたい。) アリカ共産主義に抵抗する政治への支援。 具体的には・・・ギリシャとトルコの共産化を 阻止しようというもの (封じ込め政策)という。 マーシャル=プラン 1947年 (アメリカ) アメリカによるヨーロッパ諸国に対する 経済14年間で130億ドル超) 別名 (ヨーロッパ経済興復援助計画) . コミンフォルム ソ連共産党を中心の社会主義で、アメリカ に対抗して作られた。 別名(共産党情報局! • コメコニ 経済の社会主義の考え方。 別名(経済相互援助会議1
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