日本史〜貞観、弘仁文化〜

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さきち

さきち

高校全学年

今回は文化です!

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ノートテキスト

ページ1:

じょうがん
では、ここから文化について(弘仁・貞観文化)
平安初期から9世紀末くらいまでの文化だよ
密教・唐から伝わった仏教の一派、加持祈祷
で現世利益(死後のことではなく、今の
世での利益)を追求する考え方で、貴族
社会に広がった。体験や実践を通じて
学ぶ高度な教えがメイン。この時代の
キーワード!!
では、まず最澄と天台宗について!
当時の日本の仏教といえば南都六宗
で、いずれも小乗仏教(修行した人だけ救われる)
の寺院であったが、最澄は全ての人を救いたい
に大乗仏教の考え方)を持っていた。

ページ2:

最澄は唐へ留学に行って「全ての人は仏になれる!」という
天台宗を学んで、日本に持ち帰り、日本で天台宗
を開く。拠点としたのは比叡山延暦寺
そして、当時の日本には戒壇を授かれる場所
が3ヶ所しかなく、小乗仏教の寺だった。だから
最澄は大乗戒壇設立を目指した。そして最澄
の死後、一週間後に、ついに朝廷に認められた!!
ちなみに最澄は伝教大師ともいわれるよ!
そして、大乗戒壇設立のときに、もちろん奈良の
寺院は猛反対!!
だから、最澄は顕戒論を書いて、奈良の仏教
より天台宗の仏教の方が優れていると主張した
さんげがくしょうしき
また、山家学生式(天台宗の僧侶の養成規定)
も書いた
~その後の天台宗~
ちなみに空海の甥
K
最澄の弟子の円仁と円珍が唐に留学して、
天台宗の密教化を進めた(台密)
しかし、円仁派と円珍派が対立(2人が直接、対立した
わけではなく、2人の弟子たち)
おんじょうじ
円珍派は独立して寺門派に園城寺が拠点)となり、
円仁派は山門派に延暦寺が拠点)となった
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