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数学 中学生

(b)で、 答えが ア、16  イ、7 なんですけど、なぜか教えてください!

次の(1)(2)に答えなさい。 (1) たくまさんは、2025年8月の31日間のS市の最高気温を整数で記録し、同じ条件で調べた 2023年 2024年8月の日ごとの最高気温と比較した。 下の表は、各年の8月の日ごとの最高 気温の最小値、 第1四分位数、 中央値、 第3四分位数、 最大値をまとめたもので、 図1は、 表をもとにして、それぞれの年の8月の日ごとの最高気温の分布を箱ひげ図に表したもので ある。(a)(b) に答えなさい。 表 (単位:℃) 図 1 23年 24年 25年 最小値 23年 19 22 28 第1四分位数 26 27 32 24年 中央値 30 29 33 25年 第3四分位数 32 32 34 最大値 35 15 36 37 20 20 25 30 35 40 (°C) (a) 23年、24年、 25年の8月の日ごとの最高気温について、 表や図1から読み取れることと して正しいものを、次のア~エからすべて選びなさい。 ア 23年、24年、 25年のいずれの年も、 最高気温が35℃以上となった日があった。 イ 最高気温の範囲も四分位範囲も、3年間のうち最も大きいのは23年である。 ウ23年と24年で、最高気温が32℃だった日の日数は等しい。 エ23年は、 最高気温が29℃以下だった日よりも、 最高気温が3℃以上だった日の方が多い。 (b)たくまさんは、それぞれの年の8月に最高気温が33℃以上だった日の日数について、 表からいえることがらを次のようにまとめた。 (ア)(イ)にあてはまる数を、そ れぞれ整数で答えなさい。 表から、8月に最高気温が33℃以上だった日数を考えると、 25年には少なくとも (ア)日あり、23年と24年にはともに最も多くても(イ)日だったことがわかる。 このことから、25年に最高気温が33℃以上だった日数は、23年と24年の最高気温が 33℃以上だった日数の合計よりも多かったといえる。

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日本史 高校生

日本史わかる方教えて下さい🙇‍♀️

[3] 近代社会の幕開けと近現代社会の展開に関し、以下の設問に [3] 記号で答えなさい。 [思•判・表] (1) (1) 戸籍法と「解放令」に関する次の説明で,正しいものを一つ選び 記号で答えなさい。 (2) (教科書 P.196~197 参照) (3) ア 新政府の統治下では,大名を領主とする諸藩のうち有力な (3点×3) 一部はそのまま残り, 新政府は旧幕府の直轄領と中小藩を支配した。 イ 1869年,新政府は版籍奉還を各藩に命じたが,旧藩主を知藩事に任命したため、各藩には依然独自の 軍事力と徴税権があった。 ウ 新政府は徴税をしやすくするため, 1871年, 戸籍法を公布して家 (戸) を通じて国民を直接把握することと した。 I 新政府は江戸時代の身分制度を解体し、新たに華族,士族,平民, えた・非人の区分を設定し, 「四民平等」を実現した。 (2) 徴兵令と秩禄処分に関する次の説明で、誤っているものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.204 参照) ア 新政府は,近代的な軍隊をつくるため, 1873年に徴兵令を公布し,満 18歳に達した男子を3年間の 兵役に服させることにした。 徴兵令には多くの兵役免除規定があり、 実際に兵役に服した者の多くは、 農家の次三男らであり,各地で 徴兵反対の一揆が起きた。 ウ 廃藩置県で失職した士族には政府が家禄を与えたが、財政負担軽減のため、金禄公債証書を交付して 家禄支給をすべて廃止した。 I 秩禄処分で特権を奪われた士族の不満は大きく, 土族の反乱が起きたが、徴兵主体の政府軍が勝利を 収め近代軍隊が定着した。 (3) 自由民権運動の発展に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.214~215 参照) ア 1877年6月, 立志社の片岡健吉は建白書を提出し、 国会開設, 地租軽減、条約改正, 成文憲法制定 の4項目を要求した。 イ民権運動は全国規模に発展し, 1880年3月には国会期成同盟が結成され, 天皇に対して国会開設請願 書が提出された。 ウ 1880年11月の国会期成同盟第2回大会で、次回大会までに各政社に憲法草案 (私製憲法)提出が 義務付けられた。 I 広まる民権運動に対し政府は, 1880年4月, 政治集会開催や政治結社の活動を制限する集会条例を 制定し鎮静化を図った。

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