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数学 中学生

千葉県の令和6年追試の数学です。 ⑴の②までは解けたのですが③からはいくら考えてもできません。教えてください。

4 次の会話文を読み, あとの(1)~(3)の問いに答えなさい。 会話文 図3 図4 A D A 2.3m、 5m 3 m 5m 生徒X 先生,高速道路のパーキングエリアでは、駐車スペースが斜めになっていました。 教師T車の逆走を防止できるなどの理由から、斜めに設置されていることがあるようです。 図1のように駐車場を設置するために必要な土地を、 長方形ABCD とします。 車1台分の駐車スペースは長方形で、長い辺を5m 短い辺を3mとし,傾き具合 を表す角度を駐車角度と呼ぶことにします。 ただし, 線の太さは考えないものとし 図1では駐車角度をαで表しています。 図1 A B D 13m 3m, 3 m 15m 5m 5 m a 45 B 1台目 2台目 C 台目 B 1台目 2台目 生徒X 駐車角度が45度の場合の長方形ABCDの面積は,nを用いて表すと です。また、90度の場合の長方形ABCD の面積は,nを用いて表すと です。 台目 C (a) (b) 教師T: そのとおりです。その2つの式を用いることで、駐車角度が45度の場合の方が,必要 な土地の面積が大きいことがわかります。 しかし、実際は車を出し入れするための スペースが狭くできるので、 高速道路のパーキングエリアなどでは,斜めに設置する 場合が多いようです。 生徒X: もっと調べてみたいと思います。 Ka 正方形ABCD の面積は 生徒X 図2のように, 車1台分だと、 必要な土地は正方形ABCD です。 車1台分の駐車スペースを長方形 EFGH とすると, ほま m²です。 教師T: そのとおりです。 それではまず, 駐車角度が45度のとき, 車1台分の駐車スペースを設置するために必要な土地の 面積を求めてみましょう。 生徒X駐車角度αや駐車台数を変えることによって, 辺 AB, AD 図2 の長さがそれぞれ変わるのですね。 A D (1) 会話文中の 「ほ」~「も」について、 次の①~③の問いに答えなさい。 ① 「ほ」「ま」にあてはまるものをそれぞれ答えなさい。 =5 3 m ② 「み」 「む」にあではまるものをそれぞれ答えなさい。 G √3x=5 5m E ③ 「め」 「も」にあてはまるものをそれぞれ答えなさい。 Saz 45° B F 3 C A (2) 会話文中の(a), (b)にあてはまる式を, それぞれ書きなさい。 教師T:そのとおりです。 生徒X AB の長さが最も長くなるのは, 長方形 EFGH の対角線 FH が辺AB と平行にな るときで, 辺AB の長さは みむ m です。 また, そのときの長方形ABCD の 面積は めも m² です。 教師T:正解です。 では、駐車角度を変えたとき,辺ABの長さが最も長くなるのはどのよう なときですか。 生徒X これらの場合は,駐車スペース以外の土地が必要になりますが, 駐車角度が90度の ときは、無駄なく土地を使えそうです。 教師Tでは, 駐車角度が45度と90度の場合に、同じ台数の車を駐車するために必要な土地 の面積について考えます。 図3, 図4は, 駐車角度が45度と90度の場合に, それぞれ 台の車を駐車するために必要な土地である長方形ABCD を示しています。 を用いて, 長方形ABCD の面積を表してみましょう。 <-9- ◆M2 (118−25) (3) 会話文中の下線部について、 次の 「や」「ゆ」にあてはまるものをそれぞれ答えなさい。 駐車角度が45度と90度の場合における, 長方形ABCD の面積の差が、 初めて300m² を超えるのは= のときである。 134X -10- OM2 (118- やゆ

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数学 中学生

この問題がわかりません。解説お願いします

4章 変化と対応 O 3の きの 式で この章 問題 じゅうたい てみよう。 QRコードからヒントの めいさんは、父とドライブに出かけ, 高速道路にはいる前にスマー トフォンで渋滞状況を確認している。 【高速道路の現在の状況】 ・A 料金所から上り車線は渋滞していて, 2km進むのに5分かかる。 •A料金所から下り車線は渋滞していて, 2km進むのに6分かかる。 動画が見られるよ。 また、この高速道路は, 渋滞していなければ, 上り車線、下り車線とも 時速80kmで進むことができる。 A 料金所から高速道路にはいってからの 向を正の方向、下り方向を負の方向と考え, 渋滞時は,一定の速さで進んでいるものとする。 時間を x 時間, 進んだ道のりを km とするとき, 次の問いに答えなさい。 ただし, 上り方 右のグラフは,渋滞していないときの上り車 線と下り車線のxとyの関係をグラフに表し たものである。 A ①渋滞時の下り車線について,xとyの関係 式に表し,そのグラフをかき入れなさい。 y 200 上り(渋滞なし) 100 ( A 料金所) O X 2 速さ=道のり 時間だよ。 ② 下り車線で90分走ったとき,渋滞時と渋滞 していないときとでは,進んだ道のりのちが いは何km ですか。 -100 下り(渋滞なし) -200 2 めいさんと父は、下り方向にある遊園地に向かうことにした。 渋滞していないときは,A料金所から遊園地にもっとも近い 料金所まで48分で着く。9時10分に高速道路にはいったとき, A料金所から4km 渋滞していたとして、遊園地にもっとも 近い料金所に到着する時刻を求めなさい。 渋滞情報 ここから4km C

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地理 中学生

答えを教えていただきたいです🙇🏻‍♀️

27 〈日本の工業地帯と工業地域> 次の地図中の①~⑧にあてはまる工業地帯や工業地域の名称を,あと の に書きなさい。 工業地帯・地域 工業地帯 ② 工業地帯 ③工業地域 その他 金属 1.4 大阪・兵庫 13.0 愛知・三重 0.9 新潟・富山・石川・福井 北関東工業地域 全国 1.3 4.7 せんい 機械 10.9/31,7 18.0 (兆円) 54.6 9.6 100 4.7 17.2 178 12.8 栃木・群馬・茨城 140 14.2 06715.2 148 北円 17.7 98兆円 115.7 角 28.2 11183070 北 15.3) 43.6 食料品 化学 35:6 66.7. 12.9 9.8 43.9 福岡 0.6 16.6 ④工業地域(帯) ⑤ 工業地域 岡山・広島・山口・ 16.5兆円 8.5 香川・愛媛 2.1 7.3 13.5 199 31.0) 円 24.8円 332 20.6 15.2 14.8 16.1 兆円 ⑥工業地域 9.6 400km 静岡 0.2 16.4 20.5 8.9 19.0 12.3 13.9 8.3% 兆円 48.4 11.6 38.7 17.9 兆円 ⑧工業地帯 ⑦工業地域 東京・神奈川・埼玉 千葉 (2014年) (2017年 「データでみる県勢」より) 工業地帯・・・用地不足などから、 生産額はのびなやむ。 内陸部に多くの中小工場。 工業地帯・・・ 1999年に⑧を抜き, 生産額が全国一に。 自動車など機械工業が中心。 とうじき しっ 工業地域・・・豊富な水力発電を利用。 織物や陶磁器 漆器などの伝統工業に特色 。 ②[ □③[ 工業地域 (帯)・・・ 鉄鋼業を中心に発展。 近年は全国的な地位は低下。 えんでんあと めち 6 ☐ ⑧ [ 工業地域・・・ 塩田跡や埋立地に工場用地を建設。 化学工業の割合が高い。 ]工業地域…策名高速道路などの交通網を利用。 工業地域… 東名高速道路などの交通網を利用。 輸送機器など機械工業が中心。 工業地域・・・ 東京湾東岸域に発達。 鉄鋼業や石油化学工業がさかん。 工業地帯・・・ 戦後長く, わが国最大の工業地帯であった。 印刷工業に特色。

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地理 高校生

選択肢①②④がわかりません。 ①については蛍光ペンを引いたところが図のどこから読み取れるのか知りたいです。 ②については答えにスラム、不法侵入とあったのですが、どこをみたらわかるのですか? ④答えには両方とも放射状に広がってないからダメとあったのですが、個人的にフィラデ... 続きを読む

問5 次の図3は、アメリカ合衆国のフィラデルフィア都市圏とメキシコのメキシ コシティ都市圏において,貧困が問題となっている地区の分布を示したもの である。図3に関することがらについて述べた文として適当でないものを後 の①~④のうちから一つ選べ。 17 *フィラデルフィア都市圏は,1世帯当たり所得中央値が下位10分の1の地区。メキ シコシティ都市圏は, 低級住宅地区。 問 0 10km フィラデルフィア都市圏 001 後の①~④のう 00 0 10km L メキシコシティ都市圏 貧困が問題となっている地区 都心地区 市街地 水城・湿地帯 □ その他 主要な高速道路 Diercke Weltatlas, 2017 などにより作成。 図3 01 e ESI きたの ① フィラデルフィア都市圏において貧困が問題となっている地区は,早期か ら都市化したが、 現在は住宅の老朽化や製造業の衰退がみられる。 ② メキシコシティ都市圏において貧困が問題となっている地区は,上下水道 などの社会基盤 (インフラ) が十分に整備されていない場所に広がる。 ③貧困が問題となっている地区の分布を比較すると、フィラデルフィア都市 圏の方が都市圏中心部に集中している。 ④貧困が問題となっている地区は,両都市圏ともに主要な高速道路に沿って 放射状に広がっている。

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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