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国語 中学生

答えがイとオなのですが、ア・ウ・エが違う理由を教えて欲しいです。

めいそう じょう こ 上学的になる。 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。(2点) 乗り物のうちで、歩くことにもっとも近いのは、著者の経験では カナディアン・カヌーに思われる。もちろん、 ホワイトウォータ ーに挑むスポーツとしてのカヤッキングではない。河と湖をカナデ かつ ィアンカヌーで進み、森のなかではそれを担いで踏破する移動だ。 てつがく カヌーは深い思索に誘われる。哲学するためにこの乗り物を作っ たのではないかと思えるほどだ。しかしそれは歩いているときや ※トレッキングしているときとは、思考の働き方がかなり異なる。 カヌーを漕いでいるときの方が、より深く、より多角的に、その場 所に包まれる。自分は環境の一部分となり、その一部分全体が移動 する。自分は水となり、その水が海に向かう。 歩いているときには、 自分の身体は環境に包まれつつも、それから身を引き剥がし、足を 宙に浮かしている。カヌーでの思考は、歩行のときよりも形而 ヨットと乗馬は、圧倒的に素晴らしい経験であるが、歩くことと は似ていない。 乗馬には、馬という相棒がいる。相棒と自然につい て対話しながら進んでいく。だが、この相棒と私とは志向性がかな り異なり、ときに初心者には難解な言葉を容赦なく浴びせてくる。 ようしゃ 馬の歩行のリズムは、人間の歩行のリズムと異なるが、非常に快適 。 ※ であり、快楽をもたらす。 “ケンタウロスは、ひとつの人間の身体 的理想なのかもしれない。 こうい ヨットは、散歩よりもはるかに危険な行為であり、個体の生命を つねに自覚させられる。セイリングでは、カヌーと同じく、自然 に完全に包まれ、風と波、海の一部と化す。しかしカヌーが身体と ひかく の一体感が強いのに比較すると、ボートは依然として乗り物であり、 クルーもいる。風と波に従いながら、それらを最善に利用するには、 知恵とチームワークが必要である。セイリングでは、多忙な労働と 瞑想が交互にやってくる。それは風と波のリズムの反映である。 こうして、カヌーやヨット、乗馬では、自然のもつ意味が、そ れぞれに散歩やトレッキングとは大きく異なっている。

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国語 中学生

問5の記述問題の採点お願いします。

の種の ます TH 摘 C 数 れた の真 ALL いう る。 要素のある言葉に皆が敏感になり、その場のノリに合わない言葉を発し づらくなるケースだ。(哲学対話や哲学カフェは、そのような状況を避けて、 まずもって皆が自分自身の考えを自由に発言できる場をつくる営みだと言 える。言葉に対する批判は、その種の場があってはじめて有効なものだ。) ておけばイ 旗色を鮮明にせずに済む 言葉に責任をもつ必要もなくなる、 というわけだ。 「炎上している」とか「賛否の声が上がっている」といった言葉によって 物事をひとまとめにしてしまうのではなく、具体的な内容を「批判」する行 為が、メディアでもそれ以外の場でも、もっと広範になされる必要がある。 そして繰り返すならば、それは必ずしも否定的な行為だとは限らない。賛意 を示すのであれ、あるいは難点を指摘するのであれ、人々がともに問題を整 理し、吟味し、理解を深め合っている場こそ、本来の意味で「批判」が行わ れている、建設的な議論の場なのである。 【皿】非難や攻撃とは違って、批判は決して簡単な行為ではなく、 私自身も日々試行錯誤しているというのが実情だ。どうすれば的を射た批判 を展開できるのかという以前に、相手との人間関係がネックになることも 多い。というのも、批判をすれば、多少なりとも相手の気分を害したり傷つ けたりすることは避けられないからである。だとすれば、批判は具体的にど う行うべきだろうか。 批判する際には言い方に気をつける、というのはシンプルだが、しかし、 まずもって重要なポイントだろう。たとえ有益な内容の指摘であっても、不 必要にきつい言葉や口調で語られては、感情的にとても受け入れられ また、内容という面でまずい批判の典型は、相手の言葉尻だけを捕らえて 自分の土俵(自分の専門分野、自分の経験など)に引きずり込み、その土俵 上で相手を説き伏せる、というものだ。たとえば、「あなたはいま「無意識 自分の 2023駿台学園高校(23)

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英語 中学生

𐙚 中学生 英語 英作文 写真の問題の私の回答の添削をお願いします > < 英作文が致命的に苦手で全然わかりません。 赤ペンで書いたものがワークの答えです!! どうして私の英作文だと間違っているのかと 文法 ( 特に熟語 ) について教えていただきたいです ✧︎*。

4 問2 英語の授業で,次の【黒板】に書かれたトピックが与えられ,これについて,中学3年生 の桃子(Momoko) と大輔 (Daisuke) が英語で会話をしている場面である。会話が成立す るように,下線部 ① ② のそれぞれについて,( )内に英語を書き, 英文を完成させ )内の語を含めて, それぞれ6語以上使用し,( 下線部が1文となるように書くこと。 ('23 佐賀県) なさい。ただし,( )を含む a Daisuke: Momoko, what do you think [] 【黒板】 about this topic? Momoko: I agree with it. We are busy ① Today's Topic because ( things ). So I think we should buy books We should buy books on online stores. on online stores when we want to buy them. How about you, Daisuke? Daisuke: I don't think we should buy books on online stores because we may sometimes buy the books we don't want. But when we go to bookstores, ② books ). So we should buy the books at bookstores. Momoko: I see. That is a good point. ヒント agree with ~ : ~に同意する, the books we don't want : わたしたちが欲しくない本 We have to do many things • [ we should do lots of things (2) we can check the inside of books [ we can try to read books

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英語 高校生

赤い下線のところがどういう構造になっているか分からないです、教えてくださいm(_ _)m

moving from " (1) 点) There are historians and others who would like to make a neat division between "historical facts" and "values." The trouble is that values even enter into deciding what count as facts-there is a big leap involved in 'raw data" to a judgement of fact. More important, one finds that the more complex and multi-levelled the history is, and the more important the issues it raises for today, the less it is possible to sustain a fact-value division. But this by no means implies that there has simply to be a conflict of prejudices and biases, as the data are manipulated to suit one worldview or another. What it does mean is that the self of the historian is an important factor. The historian is shaped by experiences, contexts, norms, values, and beliefs. When dealing with history, especially the sort of history that is of most significance in philosophy, that shaping is bound to be relevant. As far as possible it needs to be articulated and open to discussion. The best historians are well aware of this. They are alert to many dimensions of bias and to the endless (and therefore endlessly discussable) significance of their own horizons and presuppositions. A great deal can of course be learned from those who do not share our presuppositions. Our capacity to make wise, well-supported judgements in matters of historical fact and significance can only be formed over years of discussion with others, many of whom have very different horizons from our own. It is possible to I have a 12-year-old chess champion or mathematical or musical genius, but it is unimaginable that the world's greatest expert on Socrates could be that age. The difficulty is not just one of the time to assimilate information; it is (2)

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政治・経済 高校生

1.3.4.5の答えと解説教えてください😭

第1問 次の文章は、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズ (1921-2002) の著作 『正義論』 の一部を解説したものである。 この文章を踏まえたうえで、 ABCの会話を読み、 各問に答えなさい。 〈文章 > ロールズは、「無知のヴェール」という新しい概念装置によって、 社会契約思想を修正する。 「社会契約なんて虚構だ」 という批判がすでにあることを、ロールズは意識している。 そして、 社会契約思想家 たちの言うような、 「原始的な自然状態」 を想定して 「そこで全員がいっせいに社会契約を結ぶ」という論法には さすがに無理がある、 とロールズは認める。 そこを修正してロールズは、 自然状態の代わりに 「無知のヴェール」 という新しい概念を、 思考過程の装置とし て置く。そしてこう問う。 「あなたがオギャーと生まれる直前の赤ちゃんだとして、 どんな境遇に生まれるかを知 ることのできないヴェールをかけられていたら、 どんな社会を望みますか」と。 その自分が生まれる社会は、 大富豪と極貧者に分かれる社会かもしれない。 ほどほどの富者と何とかはできそう な貧者が混在する社会かもしれない。 そして自分が生まれる境遇は、 金持ちの家かもしれないし、貧しい家かもし れない。そこが 「無知のヴェール」 をかけられて見えない、と想定するのである。 これが、 社会契約思想の 「原始 「的な自然状態」に代わるロールズ流の想定である。 そしてロールズはこう推論する。 「こう問われた人の多くは、 自分が最悪の境遇、 その社会ではもっとも貧しい 家に生まれる場合を考えて、最も不利な立場の人でも何とかはできそうな社会がよい、と答えるだろう」と。 大富 豪と極貧者に分かれる社会よりも、 富者もほどほどで貧者もほどほどという社会のほうがマシで、 自分が生まれる 家を前もって知ることができないなら、 後者の社会に生まれたいと思うはずだ、と言うのである。 出典:徳永哲也「正義とケアの現代哲学: プラグマティズムから正義論、 ケア倫理へ』 (晃洋書房、2021年) (出題に あたって一部改変した) <会話文 》 A「私はロールズの意見に賛成だね。 自分がもしとても貧しい家に生まれてしまって、 病院にも行けないリスクを考 えたら、少しくらいは平等な社会に生まれたいから」 B 「そうかな。 ロールズの意見は、おかしいと思うよ。 ロールズが言っているのは、 1000万円を X %の確率で もらえる権利と、 y 万円を確実にもらえる権利とがあったら、 後者のほうがいいってことだよね」 A「それのどこがおかしいの?」 B 「1000万円を X %の確率でもらえる権利の期待値は、 Z 万円、 y 万円を確実にもらえる権利の 期待値は、40万円でしょ。 前者の期待値は後者の2倍。 同じように、 極貧に生まれる心配をするよりも、 大富豪 に生まれる可能性に賭けたほうがいいかどうか、 計算すればいいんだ」 A「そうかなあ、Cさんは、 どう思う?」 C 「私はロールズに賛成はしないけど、Bさんが言っていることもおかしいと思う」 A 「つまり?」 C 「人生は一度きりだから、 何回も試すことはできないよね。 Bさんは、飲んだら10億円がもらえる代わりに、 50% の確率で死ぬ薬と、飲んでもなにももらえないけど、 毒性がまったくない薬を渡されたとき、 死ぬ可能性のある薬 を飲むの?」 1/4

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現代文 高校生

対象の意味について 下の画像の文章の意味を教えてください𐔌˘- · -˘𐦯💭

対象 入試でキーワードをチェック! 西洋の近代思想は、「認識する「我」を中心におき(主観)、この我が”対象 (客観)を捉える、という主観客観の軸に添って構成された。この基軸の 意味は、主観が対象を支配することであって、その逆ではない。「我」が対象 を受容するのではない。「我」がその対象を対象として成り立たせている、と いう考えである。主観が対象を構成するとともに、「対象」というあり方が、 主観の存在を聖化する。そこで、主観=人間は、対象=世界の支配者となる。 しかし、近年、この人間中心主義に対する批判と反省の意識はいよいよ強くな ってきている。例えば、ドイツの哲学者ゲルノート・ベーメは、雰囲気という あり方に注目している。より正確に言うならば、もののあり方のなかの、対象 的な側面よりも雰囲気的な側面に注目している。意識は対象を支配するが、雰 囲気にはわれわれの方が包まれる。 きけんいち 出典 佐々木健一「日本的感性』 出題 中央大学・文学部 要約 読解のポイント 西洋の近代思想=人間中心主義 認識する「我」を中心におき(主観) 「我」が対象(客観)を捉える 主観=人間は、対象=世界の支配者 人間中心主義に対する批判と反省 対象的な側面よりも雰囲気的な側 面に注目 西洋の近代思想では、人間は対象(= 世界)の支配者となった。だが、人間中 心主義への批判と反省から、もののあり 方の対象的な側面よりも、弊気的な 面が注目されている。

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現代文 高校生

この問題なんですが 存在しないことが問題とみなされるようになったという文から必要不可欠的なのがいるのかと思ったのですが なぜ入らないのですか?

TOME NO! 例題 P.109 理由説明 ① 因果関係を説明する 技術哲学の展望 村田純一 設問で「どう れるのが〈理由説明〉でお 傍線部の原因・理由> となる内容を一 から読み取り、それを「~から(のでた め)」という形で答える。この例題のよう に、原因と結果の関係 (因果関係)〉を答 えるパターンである。これが 〈理由説明〉 の基本となる。 現実の状況というのは、多くの要因が絡み合った多様性を示すので、 人工物が用いられる場合に、必ずしも常に一義的な仕方で 使用の仕方が実現するとは限らない。しばしば、道具を設計したデザイナーの意図と反するような仕方で道具が使用されたり、あ るいは、ある状況での道具の使用を介して道具に全く新たな目的が付加されるということも起きる。やや極端な例ではあるが、金 は状況に応じて、本来の目的のほかに、人に危害を加えるためにも、ものを押さえるためにも、あるいは、芸術作品として用い られることもある。どのような人工物も、程度の違いはあれ、このような多次元性をもっているし、しかも、技術の歴史はこの種 の事例で満ちているともいえる。 の上に昔から生きつづけ 例えば、一七世紀から一八世紀にかけてヨーロッパから多数の機械時計が中国に輸入された。それらはおもに交易を求めたヨー ロッパ人が中国の皇帝に献上品として運んできたものである。当時の中国は古来の不定時法を採用していたので、機械時計は実際 の生活に役立つものではなかった。にもかかわらず、多数の時計が持ち込まれたのは、芸術作品、ないし、玩具として、おもに宮 延に関係する人々にとっての鑑賞の対象になっていたからである。この例は、技術的人工物が異なった文化的脈絡のなかで用いら 100 場合には、あらためて「解釈」される必要のあることを示しており、その意味で、異なった文化のあいだで発揮される人工物 に備わる「解釈の柔軟性」を示しているということができる。 制作された最初の目的や機能とは異なった仕方で技術が「解釈」されるようになる可能性は、二〇世紀の技術の場合にも決して 珍しいわけではない。インターネットが典型例の一つである。よく知られているようにインターネット技術のもともとの起源は軍 事的領域にあったが、現在では日常生活の新たなコミュニケーションの形態を作り上げることになった。自動車の技術もこの例に めることができる。ベンジやダイムラーらが自動車を発明する以前に、あるいは、フォードがT型フォードを開発し、自動車が 大量生産されるようになる以前に、馬車より速い乗り物がないことは「問題」ではなかったし、馬車より速い乗り物に対する強い 社会的な需要があったわけでもない。例えば、アメリカでは、自動車は最初は都市部の富裕階級によっておもに娯楽のために用い られる乗り物として登場した。農村部では、自動車は馬車による交通の邪魔になり、家畜に被害をもたらし、道路を破壊するやっ かいものでしかなく、「悪魔の乗り物」 (devil wagon) と呼ばれ、嫌われた。自動車が農村部での日常的使用にも耐えるようなデ ザインに改良され、広く普及されるようになってはじめて、つまり、自動車によって移動することが自明化し、日常的な価値基準 の一つとなってはじめて、一般に自動車が存在しないことが「問題」と見なされるようになったのである。 点で技術の創造性が発揮された例と考えられる。 これらは、既存の目的手段―連関が、技術の展開のなかで変換され、新たな目的手段連関を形成することになったという こうした事例に加えて、技術の歴史のなかには、意図に反した結果がもっぱら「否定的」に解される事例も豊富に見出される。 例えば、E・テナーは「逆襲するテクノロジー』のなかで、オフィスのネットワーク化は紙でコピーを取ることを不要にするだろ うという未来学者の予言に反して、現在のオフィスは紙であふれているという事態、あるいは、ある地域で安価なセキュリティ システムの導入がなされたが、それによって誤作動や誤報が多くなったために、かえって前よりもセキュリティのレヴェルを下げ ることになってしまったといった事例をあげて、「モノが反撃しているように見える」と述べている。 これらの事例は、技術が単なる道具に還元できない「他者性」を持つことを印象深く示している。ただし、ここで示されている 他者性は、広い意味で「創造性」ということのできる特徴である。というのも、これらの事例で示されているのは、技術の展開が デザイナーや製作者の意図に反して実現する過程であり、そしてこの過程はポジティヴに評価されるにせよネガティヴに評価され るにせよ、いずれにせよ、人工物が新たな意味を獲得する過程だと考えることができるからである。 で説明せよ。 傍線部「馬車より速い乗り物に対する強い社会的な需要」がアメリカで生まれたのはどうしてか、本文に即 90

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