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古文 高校生

画像の問題教えてください🙇🏻‍♀️❕ またどういうふうに覚えたりしたらいいかなども良ければ教えて欲しいです。お願い致します。

古文 知識 One 3 完了・ 次の傍線部の語の活用として最も適当なものを、後の各群の ①~⑤のうちからそれぞれ一つずつ選べ。 こよひ 今宵はただにし給へ。 未然形 ②連用形 3 終止形 已然形 5 命令形 宮路の山といふ所越ゆるほど……。 (8) かかる折にも、あるまじき恥もこそ、......。 ①未然形 ②連用形 3 終止形 ④ 連体形 ⑤ 已然形 未然形 ②連用形 ③ 連体形 終止形 5 已然形 病にて死にけり。 ふりわけ髪も肩過ぎぬ。 ) ①未然形 ②連用形 3 終止形 ④ 連体形 ⑤ 已然形 ① 未然形 ②連用形 3 終止形④ 連体形 5 已然形 などかうは泣かせ給ふぞ。 ①未然形 ②連用形 3 終止形 ⑨ 連体形 ⑤ 命令形 4 鏡に色形あらましかば映らざらまし。 4 e 次の各文の傍線部の語句の意味として最も適当なものを、後の 各群の①~⑤のうちからそれぞれ一つずつ選べ。 1 ふみを書きてやれど、返り言せず。 ぜん ①未然形②連用形 ③連体形 終止形 已然形 ① 書物 ② 漢詩 ③ 学問 手紙 物語 ⑤ 机の上に文を繰り広げて見ゐたり。 ①未然形 ②連用形③終止形 ④ 連体形 ⑤ 命令形 し ⑥ 大きなる利を得んがために少しきの利を受けず。 ①未然形 ②連用形 3 終止形 ⑨ 連体形 ⑤ 已然形 2 酒宴とめて、いかがはせむとまどひけり。 ①面白くない だれ 楽しかった 誰が悪いか 次はいつか どうしようか

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国語 中学生

この詩の問題が分かりません💦 教えていただくことは出来ますか?

国ス・中3 第五講座 寺 一・二年の復習⑦ Di ▽要点の整理 詩の種類 形式上の分類…定型詩、自由詩 ②用語上の分類・・・文語詩、口語詩 詩の表現技法…比喩法(直喩法・隠喩法・擬人法)、倒置法、反復法、対 句法、体言止めなど。 基本問題 OOO 次の詩を読んで、あとの問いに答えなさい。 初めて子供を 初めて子供を 草原で地の上に下ろして立たせし時 子供は下ばかり向いて、 立ったり、しゃがんだりして 一歩も動かず 笑って笑って笑いぬいた、 こ 恐そうに立っては嬉しくなり、 そうっとしゃがんで笑い そのおかしかった事 自分と子供は顔を見合わしては笑った。 おかしなやつと自分はあたりを見まわして笑うと 子供はそっとしゃがんで笑い いつまでもいつまでも一つ所で ゆうゆうと立ったりしゃがんだり 小さな身をふるわして 喜んでいた。 5 せんげもとまろ ばのこと。 ①この詩の種類を何というか。最も適当なものを次の中から選び、記号で答 えなさい。 アロ語定型詩 イ 口語自由詩 ウ 文語定型詩 エ文語自由詩 ②この詩の表現技法とその効果について述べたものとして最も適当なものを 次の中から選び、記号で答えなさい。 ア全体に五・七音の語を用いて、定型のリズムを構成している。 イ比喩を用い、情景をわかりやすく説明している。 ウことばを繰り返し、感動の深まりを印象づけている。 エ倒置により感動を和らげ、余韻をもたせている。 ③ この詩の鑑賞文として最も適当なものを次の中から選び、記号で答えなさ い。 ア 地上で遊ぶ子供のおかしさをいらだちの目で描いている。 初めて地上に立った子供の喜びを温かい目で描いている。 ウ親に甘える子供のあどけなさを厳しい目で描いている。 エ 初めて草原に来た子供のおどろきを冷静な目で描いている。 学習のポイント 1 千家元麿「自分は見た」〈初めて子供を〉より。 自分の子供を初めて地上に立たせたときの、子供のはしゃぎぶりと、それを温かく 見守る作者の愛情が、生き生きと描き出されている詩である。 1 用語、形式のうえから分類してみる。「口語」とはふだん日常で使われていること ② 「笑って笑って」「いつまでもいつまでも」という表現に注目する。 ③描写されている情景から、 子供の様子、作者の心情を考えよう。 -18-

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現代文 高校生

この問題の問ニの解説の意味がわからなくて納得いきません。ちなみに答えは技術の手先です。 そもそも、おのれの手先、技術の手先ってなんですか??

8 技術の正体 ※ われわれはこう教えられてきた。つまり、科学は人類の理性の産んだイダイな叡智である。もとも と科学は実用などとは無関係に、ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢なBチェだった のである。 それをたまたま実生活に応用したのが技術なのであり、その意味では技術も間接的には理 性の所産である。人類の理性が産みだしたものを、人類が理性によってコントロールできないはずは ない。われわれ人類には、この程度のものを理性的にコントロールする力は十分あるはずだ、と。 だが、本当にそうであろうか。 人類の理性が科学を産み出し、その科学が技術を産み出したという、この順序に間違いはないのであ ろうか。しかし、ギリシアの詩人が不気味だと恐れていたのは、人類の理性の所産である科学技術など ではなく、ただの技術である。 科学が技術を産んだというのは間違いではないのか。むしろ、技術 が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科 10 学を産み出したと考えるべきではないだろうか。 ※ ※ そして、その技術にしても、人類がつくり出したというよりも、むしろ技術がはじめて人間を人間た らしめたのではなかろうか。原人類から現生人類への発達過程を考えれば、そうとしか思えない。火 を起こし、石器をつくり、衣服をととのえ、食物を保存する技術が、はじめて人間を人間に形成した にちがいないのだ。 こうした技術に助けられて、その日暮らしの採集生活が可能だった熱帯・亜熱帯地方を離れ、寒冷な中 緯度地帯に進出することのできた原人が、明日を生きるために今日から準備しておかねばならない生活 のなかで、その時間意識にいわば過去や未来といった次元を開くことになり、 こうしてはじめてホモ サピエンスになりえたのだからである。 きょう 私が問題にしたいのは、技術は人間が、あるいは人間の理性がつくり出したものだから、結局は人間 20 が理性によってコントロールできるにちが ないという。アンイな、というより据傲な考え方である。 どうやら技術は理性などというものとは違った根源をもち、理性などよりももっと古いユライをもつ ものらしいのだから、悪性などの手に負えるものではないと考えるべきなのである。 LO 5 15 きだ 木田元

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国語 中学生

黄色の蛍光ペンで示した字は何と読みますか

を貰えの、 世話をする ろう。 ずいい 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をする なり、学資にして勉強をするなり、 どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構 わないと云った。兄にしては感心なやり方だ。何の六百円位貰わんでも困りはせん と思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰って置いた。兄 ついで はそれから五十円出してこれを序に清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受 しようばい しんばし ていしやば* けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。 しょうらい つい おれは六百円の使用法に就て寐ながら考えた。 商買をしたって面倒くさくって旨 く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろ う。 よしやれるとしても、今の様じゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないから つまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強し てやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三 年間一生懸命にやれば何か出来る。 それからどこの学校へ這入ろうと考えたが、学 間は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平御免だ。 B 新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌なものなら何をや きらい まつぴらごめん うま

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現代文 高校生

高一 現代の国語 「暇と退屈の論理学」という教材をやっています 「現代」や「現代社会」はどのようなものか。筆者の考えを踏まえて、説明してみる。 説明お願いします!

こくぶんこういちろう 暇と退屈の倫理学 國分功一郎 → 関連教材 「多層性と多様性」(二 六三ページ) 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。 その余裕には少な くとも二つの意味がある。 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手 に入れる。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全 ての時間を割く必要がなくなる。そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってき たのだろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが 返ってきそうである。確かにそうだ。 金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あら ゆる活動が生存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のこ とはほとんどできない。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余 裕を使って、それまでは願いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのよ うに考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。 その「好きなこと」とは何か。やりたくても できなかったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きて いる人たちは、その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得し 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願い つつむかなわなかったことではない。 問題はこうなる。そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持って p いたのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世 紀の資本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 5 5 かすみ もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。 芸術家だって霞を *…(の)あかつきに(は) 霞を食う 127 暇と退屈の倫理学 読解編 126

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