数学 中学生 3年以上前 これの求め方が分かりません。わかるから居たら、分かりやすく教えて欲しいです! -tcm) 24cm 2 x2 12 346-15x20x48=294 ピー35x+96=0 (X--XX-3-0 x=30 理解を深める問! ひもを使って周の長さ 3m -20cm が20cmの長方形を作る とき、面積が15cm²の長 方形を作ることはできますか。 できるな ら、そのときの長方形の短い方の辺の長 さを答えなさい。できないなら,その理 由を答えなさい。 x (10-x) = 13 10₂2-2²2²-15 F 2 1⑥人くらだから にあわない 0 -X² +10₂-115= 0. 56²10x²+15=1000 (原・村・表 x=10102-91×15 10土102510+20=5±10 5+扉は問題 問題 P.72 * - [TO (cm) ②~⑤もやってみよう! 69 未解決 回答数: 0
古文 高校生 3年以上前 古文の問題です。そもそもの内容が分からないので現代語訳を教え頂きたいです。 6 とりあはせ べんのないしにつき 弁内侍日記 三日の御鶏合 あせ かいあはせ 左右に分かれ、ものを比べて優劣を競い合う遊びに「歌合」「貝合」などがあるが、ほかに、陰暦三 月三日の宮中の行事として「鶏合」がある。次の文章は、後深草天皇の時代の記事である。 三日の御鶏合に、「今年は女房のも合はせらるべし。」と聞きしかば、若き女房た はりま くないきやうのすけ *ためのりの ち、心尽くしてよき鶏ども尋ねられしに、宮内卿典侍殿は、「為教中将が播磨といふ ① までのこうぢの 鶏を出ださん。」などぞありし。万里小路大納言の参らせられたる赤鶏の、石とさか なるが、毛色も美しきを賜はりて、空局に誇らかして置きたるを、盛有といふ六位 あきつぼね もりあり が、「その鶏、きと参らせよ。」と言ふ。かまへて鶏などに合はせらるまじきよし、 よくよく言ひて参らせつ。とばかりありて、片目はつぶれ、さかより血垂り、尾抜 けなどして、見忘るるほどになりて帰りたり。おほかた思ふはかりなし。 「今はゆ ゆしき鶏なりとも何かはせん。 賜はりの鶏なれば、聞きもいみじからんとこそ思ひ しに。」など、返す返す心憂くて、弁内侍、 我ぞまづ音に立つばかりおぼえける木綿付鳥のなれる姿に *ゆふつけどり *為教中将が播磨といふ鶏を為教中将の(所有する)「播磨」と さかなるが、 N AMER 内容 研究 歌に集約される心情を読み取る * * * 10 本文の扉 発端 三 展開 結末 A 求女の三 ww 回答募集中 回答数: 0
数学 高校生 3年以上前 質問です! この問題、何故起きる確率が6分の1になるのですか? Aが正解でありBを選ぶような確率…… 3分の1×2分の1という解釈でよろしいんですかね、 となると、B.Cが3分の1になるのはなぜですか? 方法1: 表をきちんと書いてみる 扉を A, B, C とします。 挑戦者が最初に A を選ぶとしても一般 性を失いません。 このとき考えられるパターンは全部で四通りで 正解の位置 AABC 司会者が選ぶドア BCCB 起きる確率 この表より, 1 // / / XXOO 扉を変えると? 扉を変えないと? ○○xx 例えば一列目は 「正解が 4 であり司会者が B を選ぶような確率 1 が で,そのとき扉を変えると不正解, 扉を変えないと正解」 で 6 あることを表しています。 扉を変えないとき正解する確率: 扉を変えたとき正解する確率 : + 3 3 1 I 1 1 2 3 1 1 6 6 = 1 3 物語 分 FE 正モー 回答募集中 回答数: 0
数学 高校生 4年弱前 この問題で、1度AFベクトルは2分の~の形を出したのに、中点として再びAFベクトルを求める必要ってあるのですか? 練習 △ABC において, 辺AB を 1:2に内分する点をD, 辺BC を 3:1 30 に内分する点をEとし,線分 CD の中点をFとする。 このとき, 3点 A, F, E は一直線上にあることを証明せよ。 未解決 回答数: 1
数学 高校生 4年弱前 授業では3枚目の写真のようにならいました。問題とか一切してないので解き方がわからないです、、 255で②までは理解出来たんですが、(解釈は合ってるかわからないです)③からなぜtanxとマイナスがないのにF(-x)となる理由などが分かりません、 後④も解こうとしましたがわか... 続きを読む 255 次の関数のうち, そのグラフがy軸に関して対称なものを選べ。また、原 点に関して対称なものを選べ。 ①/y=2sinx ④ y=sinx+1 y=3cosx と考える② ⑤ y=cos2x (3 y=-tanx ⑥ y=tan3x 回答募集中 回答数: 0
数学 中学生 4年弱前 教えてください🙏お願いします‼️(ᐢ ܸ. .ܸ ᐢ)՞ ՞(ᐢ ܸ. .ܸ ᐢ)՞ ՞ 扉(問1) 関数y=x²で,xの値を -3から3まで, 0.5 おきに とって, 対応する」の値を 求め、それらの値の組を 座標とする点を、 右の図に かき入れなさい。 関数 y = x2 で,原点近くのグラフの ようすをくわしく調べましょう。 問2) 関数y=x2で,xの値を -1から1まで 0.1 おきに とって, 対応するyの値を 求め,それらの値の組を 座標とする点を、 右の図に かき入れなさい。 -3-2-1- -0.5] - 6 LO 5 4 30 2 T O 1 もう少し 調べてみよう y 1 0.5 2 O 13 0.5 X 1 回答募集中 回答数: 0
数学 中学生 4年弱前 急いでます!教えてくださると幸いです🥺 1④ ヒトち。 サルやライオンも、 二つの目 の前にならんでついて いて、これは前方をしっかり 見るのに都合のよい目つきです。 ② いっぽう、同じ動物でもウマや シカのなかまの目は、よく見ると 値の欄についていることがわかり ます。 ④ 二つの目がの両側について いると、左右の前の方から後ろの 方までを広く見わたすことができ、 ライオンやチーターなどのできを より早く できるのです。 アサガオ、エンドウ、アブラナなど、 にはいろんな形のものが ありますが、見た目の色や形は ちがっても、そのつくりはほぼ のつくりを外側から順に見て いくと、いちばん外側には「がく」 とよばれる部分があり、花の台と 言ってよいところです。 その内側にあるのが「花びら」と 「おしべ」で、そのおしべに取り かこまれるようにして、 花の中心にあるのが 「めしべ」です。 の文章 答えましょう 次の文を読んで、ヒトやサル、 ライオンの目のことなら (A)、 ウマやシカの目のことなら (B)、と 書き入れましょう。 二つの日は、廊の扉にならんで ( 二つの目は、艦の両郷について からのまで、広く のものをしっかり見ることが できる。 ウマやシカの目のつき方は、どんな ことに都合がよいかを説明している だんは、 のどれですか。 だん の文章を読んで、答えましょう。 いろいろな店に共通していることは 正しいほうに〇をつけましょう。 ( )の板や色 のつくり 2は、どのような部分からできて いますか。 本にある部分から僕に その次に 中心にあるのが どんなところですか。 20 未解決 回答数: 1
数学 高校生 4年弱前 答えだとまだ証明が書かれているんですけど、このままだと足りないのでしょうか? 15 20* A (1,3), B (5,6), C (6,8), D (25) とする。 四角形 ABCD は平行四辺形であることを,ベ クトルを用いて示せ。 (13) (5,6) AB=(4,3) BC=(4,3) 扉=BCより平行四辺形である AB f D(2.5) B C (6,8) 回答募集中 回答数: 0
歴史 中学生 4年弱前 現在中2の方!!!! 「よくわかる社会の学習歴史2・3」 のp.6~p.9までの答えを解いて教えて欲しいです! 学校で解答が配られないので自分の答えが 合ってるか分からないのです…… よくわかる デジタルコンテンツはこちら *動画解説 *どこでも用語マスター *学習アプリ 社会の学習 歴史23。 日文 未解決 回答数: 1
現代文 高校生 約4年前 現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。 現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然, 回答募集中 回答数: 0