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漢文 高校生

この論語の書き下し文の中で、『比較』『選択』『使役』の句法が使われているのですが、どの部分に当たるのか分かりません。 1つでも良いので回答お願いします!

論語 3 4 5 6 00 8 書き下し文> 君子(優が言い人)になるには学間と友人が大切 ホーチ はく、「学びて時に之を習ふ、亦説 亦楽 ずや。人知らずして幅らず、 しからず 亦君 明の遠方より来たる有り、 。」と。 心して少しずつ成長すれば良い。 「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑はず。五十 を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を 喩えず。」と。 学ぶことも思考することの が大事 子曰はく、「学びて思はざれば則ちし。思ひて学ばざれば則ち始し。」と。 学問は徳を修めて道徳心を高めるもの 哀公問ぶ、「弟子 か学を好むと為す」と。孔子村へて曰はく、「顔回なる者有り。 学を好む。怒りを遷さず、過ちを弐びせず。 不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。 未だ学を好む者を聞かざるなり。」と。 反省を繰り返し思いやりの心をあてる。 手 曽子曰はく、「吾日に吾が身を三省す。 人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交は りて信ならざるか。雪はざるを伝へしか。」と。 不陽子 自分を飾 かない 「巧言 色、 「鮮なし仁。」と。 覚える。 儒教の最重要視した教え。 仁を押 子曰はく、「剛毅木訥仁に近し。」と。 かさ 子貢問ひて曰はく 言にし を行ふべき者有るか。」と。子曰はく、 勿 「其れ恕 己の欲せ 所 」と。 子亦子 inte.

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古文 高校生

教えてください!おねがいします!

新傾向問題 『堤中納言物語』 次の文章は、主人公の少将が、深夜、恋人の家からの帰り道に、 ある荒れた屋敷の中をのぞき見て、そこの女主人に心ひかれる場面 である。 も少し すほう のなるのき下に隠れて見れば、「少納 君こそ明けやしぬらむ。でて見縮へ。」と言ふ。よきほどなる厳 の様態をかしげなる、いたう萎えすぎて宿直姿なる、 にやあらむ、 つややかなる相に、うちすきたる髪の裾、水に映えて、なまめかし。 月の叩き方に、扇をさし隠して、「月と花とを。」と口ずさみて、花の方 へ歩み来るに、驚かさまほしけれど、しばし見れば、おとなしき人の、 「光は、などか今まで起きぬぞ。弁の君こそ。ここなりつる。参り給へ。」 と言ふは、ものへ謝づるなるべし。 ありつる童は留まるなるべし。 「わび しくこそおぼゆれ。さはれ、ただ御供に参りて、近からむ所にみて、御 社へは参らじ」など言へば、「もの狂ほしや。」など言ふ。 みな仕立てて五六人である。下るるほどもいとなやましげに、これぞ なるらむと見るを、よく見れば、衣ぬぎかけたる様態、ささやかに いみじうめいたり。 もの言ひたるも、らうたきものの、ゆうゆうしく 聞こゆ うれしくも見つるかなと思ふに、 やうやう明くれば、帰り給ひ (注5) 男ども供の男たち。 2 こそさん。 『説苑』 次の文章は、斉の桓公と、その桓公に認められ、斉の政治を任さ れた管仲にかかわるエピソードである。 管仲治 ぬ。 8 不 斉 (注1) (注) 1 [Ⅱ] [二] 故y桓 公 以 仲 ? 対へ .. (注3) 市 租そ El@ 1, 桓公曰、「何故」管 桓公 二之斉国 桓公曰、「何故」、「 (注5) 以為 斉国 天下 見下ろす。 ここは、人を治める意。 向かう。 2 上剛 上級の職 3市和 市の租税。 4 君主と 君主の近親者。 仲父「仲」は管仲、 「父」は尊称。相公が管仲を父親のように尊んで仕 えようとした呼び名。 大 (注2) 卿 日ハ 3 貧 = 年, -07 仲 不能 血を 国 不 治 不ト 2+ 対 面。 安の 血 遂二 日 能人 使っ 国不治。 桓公 (注4) 次は、当時の恋愛の流れについてまとめたものである。これを見て、後の問 いに答えよ。 相手の女性のことを知る(噂で聞く垣間見をする) ② 女性に仕える人(女房・童など)につてを作り、手紙を送る を書いて贈るのが一般的〕 色よい返事をもらえたら、 女性に会いに行く 【8点】 ① 空欄に適切な語を補って書け。 【9点】 ② 上の文章の場面の後、少将は何をしようとすると考えられるか。それを説 明した次の文の空欄に、適切な内容を十五字以内で補って書け。 ○女主人に手紙を送るために、 ■とする。 2 上の文章の表現についての説明として最も適切なものを、 次から選べ。 【9点】 ⑦童や少将の服装など、登場人物の外見が詳しく描写されている。 少将だけでなく、さまざまな人物の視点から描かれている。 女主人と少将の出会いの様子が、回想を交えて述べられている。 ① 少将が見聞きしたことから、屋敷の人々の状況が推測されている。 主人の心の動きが、 比喩を用いて表現されている。 < P.40~4 次は、上の文章の後に続く孔子の評である。これを読んで、後の問いに答え よ。 孔子 日、「管仲之野、不得三此三橋者、亦不能 矣。」 君南 孔子が言うことには、「管仲の賢さえ、この三権を手に入れなければ、またその君主を 南面させて、覇者にならせることはできなかった。」と。 ① 孔子の考えを説明した次の文の空欄に適切な語句を補って書け。 ○管仲の能力は、 ■ ことで発揮された。 【9点】 ②孔子の絆をふまえて考えると、桓公はどのように評価されるか。 その説明 として最も適切なものを、 次から選べ。 ⑦ 管仲に権力を集中させないよう、調整する役に徹した。 M管仲がどれほど失敗しようと、その才能を信じ続けた。 管仲の諫言をすべて聞き入れ、 徳のある行動をとった。 管仲が能力を十分に発揮できるよう、環境を整えた。 管仲の進言に従い、政治を妨げている者を遠ざけた。 ほうじゅくが 2 管仲は鮑叔牙との友情のエピソードで知られ、「管鮑の交わり」という故事成 語にもなっている。 この故事成語と同じ意味で用いられない故事成語を、 次か ら一つ選べ。 の刎頸の交わり 肝胆相照らす 朱に交われば赤くなる 莫逆の友 かんたん 而 〈P.30~3〉 quaty [co-DE]

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世界史 高校生

社会苦手なので教えて欲しいです よろしくお願いします

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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世界史 高校生

優しい方教えて欲しいです。 よろしくお願いします

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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世界史 高校生

どなたか優しい方この課題教えてもらえませんか? よろしくお願いします。

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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漢文 高校生

このページがなかなかわかりません😭😭 答えを教えていただけるとありがたいです🙏🏻

書き下し文に従って訓点を付けよ。 但し、ハイフン(-)の必要な場合 もある。 (孔子集語) ①吾 何 為 不死 われなんす 何れぞ死せざらんや。 (史記) 酒 安 足辞 危酒安くんぞ辞するに足らん。 ③此 不謂適 而 何 謂 適(枕中記) 適すとはずして、確か適すと謝はん。 ⑨卻看妻子愁何在 (杜甫聞官軍収河南河北) 妻子を欲りてひくにからん。 2 現代語訳に従って書き下し文にせよ。但し、送り仮名を省いた箇所もある。 ちう ちゃうトシテ シマン ①奚 帳 面独悲。 (帰去来辞 ) (どうして恨み嘆いて独りで悲しもうか、いや悲しみはしない。) カヒテニ ②向月胡誰喜聞 かのうた (岑参・胡歌「送顔真卿使赴河麗」) (月に向かって吹く胡《葦の葉を巻いて作った笛》はだれが聞いて喜ぶ だろうか、いやだれも喜びはしない。) クンゾ ③会面安可」期。 (古文真宝前集) ([再び会えることはどうしてあてにできようか、いやあてにすることはできない。) ② 375反語形 1:35 (三国志) ① 誰 知其然 (それがその通りであることをだれがわかろうか、いやだれもわからない。) ( 呂氏春秋) ②笑 (どうしてできないでしょうか、いやできます。) なんそんてっこうろく (南村綴耕録) 安 可 賞 ([戻ってきたお金は半分なのでどうして落としたお金を拾ってもらったお礼 をすることができようか、いやできはしない。 「賞」= しやうス。 「お礼をする」 の意。) ゆうだいせんかんひっ ④ 吾 何 無 (右台仙館筆記) (私はどうして妻がいないことを嘆こうか、いや嘆きはしない。「患」=うれフ。) 2 次の各文を現代語訳せよ。 あたヘン ニ むすめ もうぎゅう ①奈何予之女 (蒙求) カランヤ 家事何与 1110 先生。 (履園叢話) (家庭内のこと) (かかわりがある) ③ 土烏能神。 (永州竜興寺息壌記) (地面) ラン ④籍何 以至 此。 (人名) (史記) S ナランヤ 10 (こういうこと) ●

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