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数学 高校生

(1)についてです。 陽性と判断する基準が具体的に明記されていません。問題文では2回の検査ですが、解答では1回の検査で計算されています。 この問題を作った先生と先生の意図を問題から汲み取れなかった僕、どっちが悪いですか

ある病原菌の検査薬は, 病原菌に感染しているのに誤って陰性と判断する確率が20%, 感染していないのに誤って陽性と判断する確率が10%である。 全体の30%がこの病原菌 に感染している集団から1つの検体を取り出して, 独立に2回、 検査薬で検査する。 病原菌に感染しているという事象をA, 陽性と判断するという事象をBとするとき, | 次の問いに答えよ。 ただし, 解答欄には答えのみを記入せよ。 (1) P(A), P(A), Pa(B), P^(B), P-(B), P-(B) をそれぞれ求めよ。 (2) 2回とも陰性であったが, 実際には感染している確率を求めよ。 (3) 少なくとも1回は陽性であったが, 実際には病原菌には感染していない確率を求めよ。 【30点】 (1) P(A)= -,P(A)=1- 3 10 P (B Pc (A)= PA (B)=1- P(B)=1171, P-(B)=1- 10 (2) 2回とも陰性であったが, 実際には感染している確率は ここで よって 2 10 = = ゆえに P(A∩C) P(C) PA (C)=PA (B) P(B) = 3 7 = 10 10' P(A)PA (C)=- 10 2 8 10' 1 9 10 10 P(A)PA (C) P(A)Pa (C)+P(A)P (C) 2 10 Pc(A)= ÷ = 100 3 4 3 10 100 250 3 579 250 1000 A: 感染している A感染していない A: 感染している A : 感染していない 4 193 3 P(A)P^ (C)+P(A)P-(C) = 4 7 81 + 10 100 10 100 567 1000 B 陰性 B陽性 2 8 10 10 C 2回とも陰性 で 少なくとも1回は陽性 12 288 1000 1000 B: 陰性 B陽性 9 1 10 10 P(C)=P(B)P(B)=( = 579 1000 133 1000 9 10 81 100 (3) 少なくとも1回は陽性であったが, 実際には病原菌には感染していない確率は P(A∩C) P(A) = P(C) ここで よって P(A∩C)=P(AUC) =1-P (AUC)=1-(P(A)+P(C)-P(A∩C)} 3 579 =1-| + 10 1000 579 1000 P(T)=1-P(C)=1- P(A) 133 421 1000 1000 ÷ 133 421 3 250 421 1000 1000-300-579 +12 133 1000 1000

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古文 高校生

古文です。問5の①って間違ってないですか? 生徒と先生の会話から分からなかった場合のために 、一応問題文もつけておきます。 よろしければ②から⑤の正誤判別もお願いしたいです。

問五次に掲げるのは、二重傍線部「「下行く水の」と、いとほし」に関して、生徒と教師が交わした授業中の 会話である。会話中にあらわれる和歌や、それを踏まえる二重傍線部の解釈として、会話の後に生徒から出 された発言 ①~⑤のうち、適当でないものを二つ選べ。 ただし、解答の順序は問わない。(各5点) 生徒 「下行く水の」だけでは、何のことかわからないのですが、どう考えたらよいでしょうか。 ろくじょう 教師 この「下行く水の」は「古今和歌六帖』の「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされ る」に基づいた表現だから、 この歌を知らないと理解できないね。 生徒 有名な和歌の一部を引用して、人物の心情を説明する、いわゆる「引き歌」の技法ですね。 教師 その通りです。さらに、この歌の注釈書には みかど みち いはて こぼり たか たま この歌、大和物語に、奈良の帝、陸奥の国磐手の郡より奉れる鷹のそれたるを、悲しみ給ひて詠ま せ給へる御歌に、心には下行く水のといふ上の句をそへたり とあります。 『大和物語』は歌物語だから歌の由来を説明しているということだね。 以上を踏まえて、『古今和歌六帖』の和歌と『枕草子』の記述について、意見を出し合ってみよう。 生徒A ―― 元は「言はで思ふぞ言ふにまされる」だけだったということは、この下の句にこそ帝の心 情が表現されているということですね。

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国語 中学生

神奈川公立高校入試2012年度の問題の問4です。答えがないので正当を教えて欲しいです。

問四 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 (土) というひとつの味があった。 (1) 谷中の里に、何がしの院とてひとつの寺あり。 水のころのことになん、将軍御のありし時、 であちこちと過ごしになれずにご覧になっていたが) からにてここやかしこ過ぎてましましけるが、この寺へも思ほえず渡御ありしに、折ふしそ もう八十にもなっていて) の時のはや人旬に及びて、庭に出て接ぎ木してけるが、供の人々遅れたてまつりて、御に二人 (食なお方だとは) 三人付きたてまつりし、やんごとなきことをば思びよらねば、そのまま背き居たりしを、「坊主なに ごとするぞ」と解せられしを、老心にあやしと思ひて、いとはしたなく、「接ぎ木するよ。」といらへ 申し上げたところ) 申せしかば、 ありて、「老がにて今接ぎ木したりとも、その木の大きになるまでの命もしれが しゃったので) た。それにさやうに心をつくすこと不要なるぞ。」と上意ありしかば、 老僧「御身は推人なれば、かく心 (45) なことをきこゆるものかな。よく思うて見たまへ。今この木ども接ぎておきなば、後の代に至りてい (必ずしも づれも大きになりぬべし。 ばもりもみなんと、我は寺の為を思うてすることなり。 あながちに お聞きになって (感心なさった) (実にもっともだ) 一代に限るべきことかは。」と言ひしをきこしめして、「老僧が申すこそ実も理なれ。」と御感ありけり。 ごついたお道具などが多くまってきたので) その隣の人々おひおひ来りつつ、物ども多く集ひしかば、 老僧それに心得て、大きにおそ (ということです) れて奥へ逃げ入りし、召し出しありて物など貼りけるとなん。 (生きている限り) 今、最もこの老僧が接ぎ木するごとく、老朽ちぬれども、ある限りは旧学をきはめて、人にも伝へ、 しいのが きっかけ) にも残して後世に至りて正学の瞬くるにもなり、この道のために万一の助けともなりなば、 翁死 人が死んでもちることがないと思ったことばが、思いあたることです) にも生けるがごとし。古人のいはゆる死しても骨朽ちじと言ひしこそ、思ひあたりはべれ。 すんだいぎつわ (「駿台雑話」から。) (注) 谷中 現在の東京都台東区の一部。 江戸時代の年号。 一六二四~一六四四年。 いらした腐を使って鳥や小さいけものを捕らえる狩猟。 その寺の住職。 あとの「坊主」「老僧」も同じ人物。 接ぎ木 成長を促すために、枝や芽などを他の木につぐこと。 代の住職。 老人。 ここでは、語り手の自称。 長期間続けてきた学問。 (e (2) 一代に頼るべきことではないのです) (株) サニ 13 ( 荒々しく見えるでしょう) (ひどくに) 思いがけなくおいでになったときに) ver (答え - ~部の主語として最も適するものを次の中から一つ選び、その番号を書きなさい。 将軍 ~ HE 3 御供の人々 M 1「身は誰人なれば、かく心なきことをきこゆるものかな。」とあるが、その意味として最 もするものを次の中から一つ選び、その番号を書きなさい。 あなたはどのような人であるので、このような思慮のないことを私に聞かせるのですか。 2 あなたはどのような人であるので、このように心に思ってもいないことを私に聞かせるのですか。 あなたは私をだれだと思って、このように思いやりのないことを私に聞かせるのですか。 あなたは私をだれだと思って、このような風情のないことを私に聞かせるのですか。 ―線2「我は寺の為を思うてすることなり。」 とあるが、その内容を説明したものとして最も適す るものを次の中から一つ選び、その番号を書きなさい。 「住僧」は、寺を立派にするためには何をすればよいかを、この先寺を継いでいく者たちに知らせ るために接ぎ木をしているということ。 2 「僧」は、やがてこの木々が大きく育ったとき、それを材料にもっと立派な寺を建ててもらうよ う祈って接ぎ木をしているということ。 3 「僧」は、このままだと樹木が寺を覆って見苦しいことになり、きっと後の代の者が困ってしま うから接ぎ木をしているということ。 4 「住僧」は、自分が生きている間だけを考えてのことではなく、後世にこの寺がますます立派にな るのを願って接ぎ木をしているということ。 線3「逃げ入りし」とあるが、その理由として最も適するものを次の中から一つ選び、その番号 を書きなさい。 I 「将軍」 と知ったうえで反発したものの、大勢の「御供の人々」に取り囲まれておそろしくなったから。 2 自分が言いたいことは全部言ってしまったので、「将軍」が怒り出す前に姿を消そうと思ったから。 3 そっけなく応対していた相手が「将軍」だったと気付き、大変おそれ多いことをしたと思ったから。 自分の発言が思いがけず「将軍」 にほめられ、ほうびまでくれるというので恥ずかしくなったから。 本文の内容と一致するものを次の中から一つ選び、その番号を書きなさい。 「将軍」は珍しい接ぎ木をしている寺があると聞いて鷹狩のついでに立ち寄ると、確かにおもしろ い接ぎ木の様子だったので、興味を抑えられず 「住僧」に声をかけた。 2 「僧」は接ぎ木をしているのを怪しい行動だと見とがめられることをおそれたために、声をかけ られたとき、わざと「将軍」だと気付かないふりをして背を向けていた。 3 「御供の人々」は二、三人を除いて「将軍」に遅れていたが、「将軍」に失礼なふるまいをして逃げ 出した「住僧」に追いついて召し捕り、「将軍」に差し出すことができた。 4 「翁」は「住僧」の接ぎ木の話から、自分も長く続けてきた学問を物に残すなどして後の世の役 に立つならば、自分は死んでも生き続けているようなものだと考えた。 (問題は、これで終わりです。) 1 = 14 A -14-

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日本史 高校生

至急です 日本史の問題で 『棄捐令とはどのようなものか教科書から30字程度で抜き出しなさい』 という問題があるのですが どこを抜き出したらいいのかわからないので教えていただきたいです。 よろしくお願いします

866 一正 ic 15 幕藩体制の立て直し てい とくがわいえなり 1787 (天明7)年、 徳川家斉が11代将軍となったころ、 1773-1841 寛政の改革 江戸で天明の打ちこわしがおこり、 幕府に衝撃をあ よしむね しらかわはんしゅ まつだいらさだのぶろうじゅう たえた。そのため, 8代将軍吉宗の孫で白河藩主の松平定信が老中にな 家斉を補佐した。 17. 革を進めた。 けんやくれい かび しゃれ p.171 定信は, 華美な生活をおさえるために倹約令を出すとともに、洒落本 1758-1829 定信は,吉宗の政治改革を理想として、寛政の改 を摘発するなど、風俗の取り締まりを強化した。 武士には学問と武芸を てきはつ 質実剛健な気風をとりもどそうとする一方、困窮した旗本・ 励して、 炭人を救済するために乗損査を出し、札差などからの借金を軽減した。 このころ、関東の農村から貧しい農民が江戸へ流入し、武家や町家の ぎょうしょう 奉公人になったり, 行商などを行ったりしてその日暮らしの生活をして でかせ きゅうり きのうれい いた。 定信は,出稼ぎを制限し, 旧里帰農令を出して江戸で定職を持た しゅそう ない者を故郷に帰し, 農業人口の確保につとめた。 また、各地に社倉や ぺいこく き きん きょうしゅつ かこい 義倉を設け, 飢饉に備えるために米穀を供出させてたくわえさせた ( まちにゅうよう 米)。 江戸市中でも, 町入用(町費)の節約分の7割を積み立て, 災害や飢 しちぶ つみきん、 いしかわじま にんそくよせば に備えさせた (七分積金)。 さらに, 江戸の石川島に人足寄場を設けた。 ゆしま せいどう りん しじゅく かんがく 学問を重視した定信は, 湯島の聖堂に付属した林家の私塾に官学とし しょうへいざか しての性格を持たせた (のち昌平坂学問所)。 そのうえで, 昌平坂学問所に しゅしがく かんせい いがく おいて朱子学以外の学問を講ずることを禁じ(寛政異学の禁) 学問吟味 がくもんぎんみ とうよう という試験によって役人を登用する新しい制度もつくった。 定信の厳しい政治は,しだいに江戸の民衆の不評をかうようになり, 一件などをめぐって家斉と対立した定信は,老中在職6年余りで退 陣した。しかし,七分積金制度など,定信の政策のなかにはその後も維 持されたものがあり、幕藩体制がつづくうえで大きな意味を持った。 はんせい 諸藩でも18世紀なかごろから藩政改革が行われ,特産物の増産と専売 制度によって財政の再建を ➡p.167 はかり,藩校を設立して有 ➡p.170 能な人材を育てるなど, 大 きな成果をあげる藩もあっ よねざわ た。 改革を主導した米沢藩 うえすぎはるのり ようざん の上杉治憲 (鷹山) 秋田藩 1751-1822 さたけよしまさ ほそかわ の佐竹義和, 熊本藩の細川 __1775-1815 1720-85 しげかた ◎めいくん 重賢らは名君と称された。 松平定信( おしすす せきでん D ③ 籍田の碑(山形県米沢市) 上杉鷹山が,自ら田を耕 さんこうぎょう 産興業をはかるなどの藩政改革を行った。 すことで農業の尊さを示した「籍田の礼」を伝える碑。 こうじょうかん しょく また, 鷹山は藩校 (興譲館)を創設し、 絹織物業の殖 ① ① 江 ② ら 45 た 第3

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国語 中学生

この問題の答えは 4 こそ なのですが、なぜこの答えになるのか分からないので教えてください🙏

点 古典 第四回 時間/八 *キーワードチェックをしましょう。 1 次の文章を読んで、後の各問に答えなさい。(字数制限のあるものは、句読点・符号も一字とする。) 秀吉、山城の伏見に御在城の時、宇治の住人、何のそれがしとやらんに、御秘蔵の鶴を預けおかれしにかの者、夜日大事にいたしけるに、 おい たいこう たかの がた しこう さうら もろこし たうこく 何としてかは、ある時の鶴、籠抜けをしていづちともなく飛行しぬ。 かなたこなたを尋ね歩けどもかひなし。よしそれとても隠しおきては後難 この事つぶさに言上す。秀 逃れ難しとて、伏見に参向し、広間に相詰め、 御出でを相待ち申し、太閤、鷹野に御出での時、御機嫌を見合はせ、 吉聞こしめし、「その鶴は唐国に飛行してやあらん」と仰せられしに、伺候の面々、「いや唐土までは飛行つかまつり候ふまじ、さだめて日本の 5 地 [ゐまうすべけれ」と申し上げければ、秀吉聞こしめし、「さあらば苦しからず、日本の地にゐるなれば我が飼い鶴なり」と仰せられ しとなり。 かなぞうし かがみ (『仮名草子集身の鏡』による。 一部改変) (注)秀吉…豊臣秀吉。 十六世紀後半に天下を統一した。 後に出てくる「太閤」も同一人物。 何のそれがし・・・名前のはっきりしない人物を指す言葉。 鷹野 鷹を使って山野で鳥獣を狩ること。鷹狩り。 苦しからず…かまわない。 伺候の面々・・・そばに仕えていた人々。 さだめて…きっと。 古典 第四回 それとも・・・たとえそうであっても。

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